朝のラジオでアルテミス世代という言葉を知った。
 A世代とも略されるこの言葉は、NASAが主導する月探索プロジェクト「アルテミス計画」に従事することになる7歳から19歳の子供たちを指す。アポロ11号の月面着陸を見て宇宙飛行士に憧れた当時の子供たちの、孫の世代にあたる。
 アポロの双子の姉で、月の女神でもあるアルテミスの名前を付けたのは、人類初の月面歩行から半世紀が経ったいま、あの感動をもういちど──月へ、そして月を足がかりにして火星にまで探索の領域を広げようというNASAの本気の現れである。
 親にとってそれは、子供の就職先が宇宙になるかもしれない未来を示す。JAXAのウェブサイトを見ると、A世代向けの教材やゲームが公開されていて、日本語対応しているものを小学生の息子と一緒にいくつか試してみた。少し難しそうだなという心配をよそに、息子は楽しんだようだ。
 それは私たちがよく星の話をしてきたからかもしれない。
 ある秋の終わり、犬の散歩中に息子があれなに? と空を指した。夕暮れの南西にひときわ明るく輝くのは、宵の明星・金星。それからは金星を見るのが日課になり、低い空に三日月と金星が並ぶ珍しい配置を発見したのも息子だった。月がきれいだよと息子に誘われて、縁側に出たこともある。母親がいつも夜空を見てから晩酌するのを楽しみにしてきたから、子供にも星を見上げる習慣が育ったのだろう。
 私たちの家はぶどう畑が広がる標高600メートルの里山にあり、市街地へと下る長い坂の彼方に富士山を望む。
 助手席に人を乗せていると、話題はおのずと富士山のことになる。今日は見える(見えない)とか、雲がベレー帽みたいにかかっているとか。南の日差しを正面から受け、あまりのまぶしさに運転用のサングラスなしでは目を開けていられないほどだ。
 そうしていつものように運転していたとき、息子が言った。
「太陽はもうすぐ死ぬって知ってる?」
 曰く、太陽の寿命は100億歳と決まっていて、いまは50億歳なのだそうだ。50億年先はけっしてもうすぐではないが、それは人間の物差しで測るからであって、生涯の半分が過ぎたのだと考えれば、我が身に置き換えても大変なことである。
 その日差しも、年単位で見ると、冬至を境にして少しずつ長くなる。折り返し地点は12月21日もしくは22日と決まっていて、2024年は21日だった。
 冬至の日、長年の飲み友達がうちに遊びにきた。古い建物が好きだというパートナーを連れて、旅の途中に寄ってくれたのだ。
 となると柚子である。庭からもいできて、お茶菓子を作ることにした。
 柚子を縦半分に割って中身をくり抜き、白いワタも丁寧にかき出す。そこに上用まんじゅうを詰めて蒸すこと15分。皮ごと食べられる柚子まんじゅうの出来上がりだ。あんこの甘さと柚子皮のほろ苦さがよく合う。黄色い釜に白いまんじゅうがぴったりはまっている姿もかわいらしく、じゃーんと蒸篭のふたを開ける私の手も楽しい。冬はこうして手の先にあるものを喜んで暮らしていきたい。
 薄茶を点てるのは息子の役目だ。お菓子で釣って稽古に通わせた甲斐があり、小さな手で器用に茶筅を振る。
 どうぞと差し出された茶碗をのぞきこんだ友人が、
「表と裏で、お茶のちがいはあるの?」
 と聞いてきた。
 泡を均一に点てる裏千家に対して、私が学んでいる表千家は、抹茶の表面に一部泡を点てない箇所を残す。初めて稽古をつけてもらった日、この余白を「池」と呼ぶと教わり、絶妙な表現に唸ったものだ。茶碗の中に風景を見つけるとは、なんと細やかな感性だろう。
 お茶を飲みはじめたときにはまだ昼の暖かさが残っていたが、二服目を点てる頃には日が沈み、夜が駆け足で深くなった。ストーブにさらに薪をくべて部屋を暖める。冬至を迎えたとはいえ、日が長くなる実感がすぐには湧かない。むしろ寒さの本番はこれからだという気がする。
 春を待ちわびる心はいつの時代も同じ。指折り数える気持ちを美しく表現した、おもしろい言葉を見つけた。
九九消寒図くくしょうかんず」と呼ばれる中国の古い風習が、師走のある日の朝刊で紹介されていた。詳しくは陳舜臣著『雨過天青』に書かれているとあり、すぐに取り寄せて読んだ。
 まず紙に墨で梅の花を九輪描く。一輪につき花弁は九枚。この花弁に冬至の日から毎日一枚ずつ色を塗っていく。九日を九回繰り返して八十一日経つ頃、つまり春分の頃には寒さはやわらぎ、春を感じられるというわけだ。
 こういう遊びを知ると、じっとしていられない。
 窓から見える梅の木の輪郭をトレースして紙に写し取り、そこに白抜きで花弁を描く。氷点下の朝も、珍しく暖かい朝も、どの朝も等しく粛々と色を付ける。それはやがて日課となって生活にリズムを生み、繰り返すことが祈りへと通じる。春は形を持たない。しかし、九九消寒の絵描き遊びが、季節の移ろいを可視化し、冬を過ごす力になる。
 先のアルテミス計画で印象的だったのは、宇宙飛行士に求められる資質として表現力と発信力が挙げられていることだった。
 JAXAの発表によれば、4段階ある選考過程で、プレゼンテーション審査が3回も行われる。ほかにも、義務教育を終えていれば受験資格があり、身長は158センチ以上から149.5センチ以上へ条件が緩和された──など、ひと昔前に比べてより多くの人が対象になる。
「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍だ」
 初めて月面に降り立ったアームストロング船長の名言に匹敵する言葉を、誰の感性に託すのか。言葉にできない感動を、どう言葉にするのか。それはマニュアルや受験対策によって磨かれるのではなく、日々の喜怒哀楽の積み重ねの末に育まれるものだと私は思う。
 道を作った人たちの言葉に、私は何度も射抜かれてきた。たとえばそれは数学者の岡潔や染色家の志村ふくみの随筆の中に。アスリートの羽生結弦や、シェフの斉須政雄のインタビューの中に。
 彼らは言葉にする訓練をしてきたわけではない。夢中で使った体の後ろを言葉がついてきたのだ。そうした数々の言葉に、私はときに頬を引っ叩かれるほどの衝撃を受けてきた。ぼんやりしてちゃいけない、私は私を生きなければ、と。
 いっぽうで、街でふと耳にした知らない誰かのひと言や、ラジオや新聞で見つけた表現が頭から離れない日もある。
 あるテレビ番組で街頭インタビューが流れていた。関西の訛りのある女性が、折りたたみ式のガラケーをスタッフに差し出し、亡くなったお父さん(夫)の写真を待ち受けにしてもらえないかと頼む様子が紹介されていた。スタッフがお安い御用ですと設定してあげると、
「これで心丈夫やわ」
 ガラケーを胸に抱えてお礼を言った。
 ココロージョーブのジョーにアクセントがあった。ココロヅヨイとは違う、歌うようなその節回しに、美しい言葉を持っている人だなと思った。
 経済の発展は、故郷を離れて暮らす人を大量に生んだ。私は生まれ育った富山を18歳で離れ、東京に25年暮し、ひょんなことから40代で山梨へやってきた。子供たちの世代は月から帰省してくるかもしれないなんて、にわかには信じがたい。私自身が山梨から月へ移住する未来もあるだろうか。興味はないが、婆友に誘われたら考えるかもしれない。
 地球上で私はほとんどの時間をキッチンで過ごしている。日中は誰とも口を利かないが、ちっとも退屈しない。長さ2メートルのカウンターで、野菜を刻みながらポッドキャストを聴き、リビングのテレビを見やる。コーヒーを淹れて新聞を広げ、原稿も、手紙も書く。それはまるで、世の中じゅうの気になる言葉をドッグイアに折って回るかのごとくである。

 こうして原稿を書いている今日、町内のお通夜の報せを受け取った。2軒隣のおばあちゃん、御年103歳。生き切って星になった人の、長い年月を思う。星たちから見ればそれは、一瞬の輝きである。

 

(つづく)