「嫌だ、恥ずかしい!」
フェンスの切れ目の向こう側に、爛々と輝く瞳がのぞいた。朝陽はあわてて顔を離した。
「ごめんなさい!」朝陽は自分の部屋のほうへ後ずさった。「その……、のぞくつもりはまったくなくって、えぇっと、その……」
「こちらこそ、すみません!」姿の見えない佐野さんも叫ぶ。「こんな状態で驚かれたでしょう?」
「いえ、全然、まったく」サンダルを脱ぎ、開けっぱなしだった掃き出し窓から部屋に上がった。「それでは失礼します!」
勢いよく窓を閉めると、自分でも驚くほどの大きな音が響いた。当てつけのように聞こえなかっただろうかと心配になり、さらに鼓動が跳ね上がる。胸に手をあてながら、何もないリビングをぐるぐると歩きまわった。
一度だけ、勤めている会社の業務の応援で、ゴミ屋敷の現場に入ったことがある。清掃、産廃業者である守山産業は、ゴミや資源の回収、産廃処理、そして特殊清掃などの業務を行っている。
そのゴミ屋敷清掃は、三日間の予定でシフトが組まれていたのだが、一日の仕事を終えると、明日はどうしても特殊清掃の応援からはずしてほしいと、朝陽は社長に懇願した。
ゴキブリ、ネズミ、蛆がいたるところにわいている。高性能マスクをつけていても、ホコリを大量に吸いこんでいるのか、肺がつまったような感覚になり、呼吸がままならなくなった。社長に平身低頭あやまり、なんとかいつもの収集業務に戻してもらった。
あの惨状が、すぐとなりに広がっているかもしれないと考えただけで、おちおち夜も眠れない。
朝陽は手を洗ってから、先ほど買った大福のパッケージを開けた。夕食前だったが、次から次へと頬張った。白い粉が床を汚すのもかまわず、気分を落ち着けるために食べつづけた。清浄な部屋で洗い流すことのできない、どす黒い澱のような不安が心に溜まると、どうしても体が、脳が、甘いものを欲してしまう。
あんこの糖分が隅々まで行きわたるような感覚で、ようやく不安な気持ちがやわらいできた。ほっと、ため息をつく。
大福は母の好物だったが、思い出すのは、どうしても父親のことばかりだった。
物心ついて、自分の家がおかしいと最初に気がついたのは、クラスの友だちを我が家に招くことが絶対に許されない禁忌だと知ったときだ。
家族以外が足を踏み入れてはいけない場所──それが日下部家のマイホームだった。
「ごめんね」母親は、いつも申し訳なさそうにあやまった。「お父さんが……。ねぇ? わかるでしょ?」
小学生の時点で、自分のお母さんはかわいそうな人なんだという感情が芽生えていたから、駄々をこねることは決してしなかった。
父親が、過剰なほどのきれい好きだった。母親は、今思えば、まるで高級ホテルで働く清掃員みたいだった。
家のなかの、少しの汚れも、ホコリも、水垢も父は見逃さず、許さなかった。母親は専業主婦だったが、いつもどこかを掃除していた。料理を作ると、毎回キッチンやシンクを隅々まで拭き、家族がお風呂に入り終わると、バスタブや壁、床をこすり、一日一回は必ずトイレ掃除をした。
窓を磨き、掃除機をかけ、玄関を掃き清め、洗面台の水垢を落とし、ハンドソープやシャンプーの容器の底が濡れていると、ぬめりや赤カビの原因になるので、しっかり水分をぬぐう。風呂場や洗面所の鏡は、いつだって曇り一つなかった。
庭の雑草を抜き、落ち葉を集め、高圧洗浄機で玄関のアプローチにこびりついた泥汚れを落とす。
ほかの家庭も、これくらいきれいなものだと、小さい頃は思いこんでいた。だから、友だちの家に遊びに行って朝陽は愕然とした。
物が多い。汚い。トイレなんか、入れたものじゃない。べとべとに油が跳ねたコンロやキッチンが見えると、いろんな想像がめぐってしまい、手作りのおやつを出されても気持ち悪くて食べられなかった。
程度の差こそあれ、今ならそれが一般的な家庭の、一般的な状態だと認識している。でも、その当時は比べる基準が自分の家しかなかった。
無菌室のような家で育ったせいもあり、友だちを家に呼ぶのは早々にあきらめた。たしかに、小学生の男子は平気で食べこぼす。鼻もほじるし、靴下もたいてい汚れている。父親が忌み嫌うのも理解できた。何より、朝陽自身が汚れに無神経なクラスメートを家や自分の部屋に上げることに抵抗をおぼえた。
だから、親しい友人はほとんどできなかった。「家に行っていい?」と聞かれると、朝陽はいつも、歯切れの悪い言い訳を繰り返してはぐらかしたからだ。
父は神経質だったけれど、家の汚れを発見したからといって、怒鳴ったり、暴力を振るったりするわけではない。ただただ、深いため息をついて、一気に不機嫌になり、まったくしゃべらなくなる。それが、まるで妻への当てつけのようで、子どもながらに見ていて冷や冷やした。
母親は掃除をサボっていたわけではないのだ。父は本当に隅の隅まで、汚れやホコリ、たった一本の髪の毛も見逃さなかった。
車は土足厳禁だった。車内でお菓子を食べることも許されなかった。ポテトチップスなんて言語道断だ。だから、旅行やレジャーもあまり楽しくなかった。父は、基本的に高級なホテルや旅館にしか泊まらなかったが、たまに我が家より圧倒的に汚い宿にあたると、やはり不機嫌になった。帰宅後は、仕返しとばかりに酷評のレビューを書きこむのだった。
「ねぇ、なんで、お母さんはお父さんと結婚したの?」あるとき、何の気なしにたずねてしまった。
困ったように笑う母親を見て、朝陽は後悔した。世の中には、聞いていいことと、悪いことがあるのだと、小学校一年生でさとった。
家さえきれいなら、父親は上機嫌で優しい。茨城県庁に勤めていて、株や投資で財産を蓄え、生活も安定している。それでもお母さんはこの家のドレイなんだと、朝陽は子どもの頃から、ずっと憤りを抱えてきた。