朝陽は民間の清掃会社、守山産業の契約社員だった。守山産業は、近隣の複数の区から業務委託を受け、家庭ゴミの回収を行っている。
収集作業員のほとんどは、労働者供給事業によって日々派遣されてくる日雇いで、朝陽のように社員の立場の人間のほうが圧倒的に少なかった。日雇いと契約社員では、日雇いのほうが手取りの給与が多い。社員は社会保険料が天引きされるから、あえて日雇いの雇用形態を選んでいる作業員もいると聞く。仕事はハードだが、日当はほかの職種よりも多く、また、拘束時間も夕方までと短い。
「ただいま」四時ちょっと過ぎに、朝陽は一人暮らしの家に帰りついた。ほとんど物がない、がらんどうの1DKの部屋の隅々に、みずからの声がじんわり浸透していく。
むなしさは感じない。むしろ、ここに帰ってくると、一日に溜めこんだ不安や憤りが一気に抜け出て、清々しい気分になるのだった。
余計な物が存在しないというのは、なんと心地良いことなんだろうと、朝陽はいつも自分の部屋を眺めわたしては爽快感をおぼえる。今日はゴミが散乱した集積所が何件もあったから、なおさらだ。
駅からかなり離れているのと、少し古い物件だけあって、予算の範囲内でリビングが八畳、キッチンが五畳の、それなりに広い1DKを借りられた。
リビングには、折りたたみ式のシングルベッドと、ノートパソコンを置いた簡素な机と椅子だけ。テレビはない。棚のたぐいもない。細々した小物も、装飾もない。服や、掃除機、その他、どうしても必要な物はクローゼットにすべて収納されている。
キッチンには、冷蔵庫と電子レンジと炊飯器しかない。最低限の食器と、鍋やフライパン、買い置きの食料などは、シンクまわりの上下の収納にきっちり納まっている。残りの大きな家電といえば、洗面所にある洗濯機くらいだ。季節によって、小型のサーキュレーターと加湿器を入れ替えて出す。
靴は絶対に靴箱にしまう。小説やマンガも読むけれど、すべて電子書籍だ。大学時代に使っていた本やテキスト、プリントは、売るか、後輩に渡すか、捨てた。そんなものを社会人になって読み返すことがあるだろうか──あるわけない。だから、迷いはいっさいなかった。
フローリングの床には、ホコリ、髪の毛が残らないように、ルンバを走らせている。もちろん、自分でワイパーや掃除機もかける。
広々と気持ち良く、清潔な空間を保つことに、何よりも生活の比重をおいていた。これといった趣味も、収集癖もない。邪魔になりそうな物はそもそも最初から買わない。いわゆる、ミニマリストと呼ばれる生活様式を貫いている。
みんな僕みたいな生活をしていたら、さぞかしゴミが減って、環境にもいいはずだと朝陽は考える。商品は売れなくなるけれど、過剰に大量生産して、大量消費することもなくなる。企業は、本当に売れる、本当に良い物だけをつくるようになるだろう。
──というのは夢のまた夢の話で、朝陽には到底理解できないのだが、人々は果てしのない物欲にまみれているように見える。その欲望が、日々出されるゴミにあからさまなかたちであらわれるのは、なんとも皮肉なことに思えた。おいしいものをたらふく食えば、たくさんの便が出る。それと同じだ。ゴミは人々の物欲のなれの果て──排泄物のようなものだ。
ゴミの汁で汚れた作業着を、薄めたハイターに浸ける。会社にも共用の洗濯機はあるのだが、古くて、カビが生えていて、どうしても使う気になれない。
漂白をしているあいだに、風呂に入り、体を二回洗った。いくら臭くないと言われても、体が匂うような気がどうしてもしてしまう。風呂から上がると、作業着を入念にすすいでから洗濯機に入れた。普段着と作業着は、絶対にいっしょに洗わないようにしている。洗剤を投入し、スイッチを入れると、スーパーに行く準備をした。
清潔な服を着て、エコバッグをたずさえ、家を出る。玄関の扉を開けかけると、外からガラガラと騒々しい音が響いてきた。
台車が近づいてくる。きっと配達員が大きな荷物を運んでいるのだろう。住人の誰かなら、やり過ごしてから家を出ようと思ったのだが、その必要もなさそうだった。
ドアを開けると、その途端、一人の女性と目が合った。
「あ……」と、思わず声が出る。
台車を押しているのは、となりの部屋に住んでいる、同年代の若い女性だった。
「こんにちは……」
たしか、名前は……、佐野さんだ。今どきめずらしいのだが、半年前に彼女がここに越してきたとき、わざわざ菓子折を持って挨拶に来てくれた。だから、朝陽のなかで彼女の好感度はかなり高かった。何より夜が静かなのが、ありがたかった。早朝に家を出て肉体労働に従事する朝陽にとって、夜中の物音ほど腹立たしいことはない。
鍵をカバンから出しながら、「こんにちは」と、佐野さんも軽く頭を下げる。
世間話をするような仲でもないので、そのまま外廊下を行きかけたのだが、朝陽の目は彼女が運んでいる物に釘づけになった。
「あっ、これ、ゴミです」朝陽が何か問いかけようとした雰囲気を察したのか、佐野さんが先に口を開いた。
言われなくてもわかる。半透明のゴミ袋には、空のペットボトルが満杯につめこまれている。画面がクモの巣状にひび割れたパソコンのモニターに、なぜか外側の部分が熱でドロドロに溶けた小ぶりの白い電子ケトルなど、どう見ても使用不能な家電も、いくつか台車に載っている。
「ゴミ……、ですね」
「はい、ゴミです」