父の影響で過剰にきれい好きになった日下部朝陽は、民間清掃会社で契約社員として働いている。ある日、隣の部屋に住む佐野友笑の部屋がゴミで溢れかえっていることに気がつく。物を捨てられない友笑は、ゴミを集めてはアート作品を創っていた。2人の距離はいつしか縮まり、目の前に立ちはだかる壁をひとつひとつ乗り越えていくが──。

「小説推理」2024年5月号に掲載された書評家・あわいゆきさんのレビューで『ゴミの王国』の読みどころをご紹介します。

 

ゴミの王国

 

ゴミの王国

 

■『ゴミの王国』朝倉宏景  /あわいゆき[評]

 

「ゴミ」によって出会った若者たちが創り上げる、「ゴミでつくったアート」とは? 社会のサイクルから弾かれてしまった現代の孤独をやさしく拾い上げる、新たな救いの一冊。

 

 大量消費社会。過剰に生産して消費するサイクルは膨大な金銭を市場に巡らせ、それによって戦後の資本主義社会は今日まで発展してきました。その一方で、消費しきれない生産と消費のサイクルは、当然のように余剰をもたらします。その結果うまれるのが、ゴミです。至るところに捨てられたゴミは現代社会の代償でありながら、汚いものとして目を逸らされ、多くのひとに存在を軽んじられているのが現状です。

 また、資本主義社会が目を逸らそうとするのは、ゴミだけではありません。どんどん過激になっていく生産と消費のサイクルについていけず、弾き出されてしまった人たちは、現代に多く存在しています。

 一度捨てられたゴミは、劣化していくばかりです。だとすれば社会を循環させるサイクルから弾かれてしまった人間も、軽んじられ、無視されてしまうのでしょうか?

「きれいで在り続ける」ことに囚われる日下部朝陽と「汚く在り続ける」ことに囚われる佐野友笑は、ともに社会のサイクルから弾かれ、循環しなくなった部屋で生活している若者です。就活に失敗して民間の清掃会社で契約社員として働く朝陽は、アパートの隣人である友笑がゴミを部屋まで運んでいるところに遭遇します。友笑はゴミを持ち込むことで孤独を紛らわせていました。しかし潔癖な父親が支配する「清潔の国」で育った朝陽にとって、「ゴミの王国」で暮らしてきた友笑の生活は理解しがたいものでした。

 対照的ながら同じ孤独を抱える2人が、歩み寄っていくきっかけになるのは「ゴミでつくった人形」です。友笑は部屋のゴミを利用して気まぐれに人形を制作していました。朝陽の友人である民人はゴミの人形に捨てられても踏みとどまろうとする人間の孤独を見出し、彼の撮影するMVに人形が使われることになります。人形たちはMVのなかで、サイクルからこぼれ落ちた人間を見て見ぬふりしようとする社会に対して存在を想像させようと抵抗するのです。友笑の人形制作を手伝うことになった朝陽は価値観が合わない彼女の境遇を想像して、交流を深めていきます。

 ゴミを通して「想像」する営みは、ゴミでつくった人形だけに留まりません。朝陽は仕事で回収するゴミからも、持ち主を思い浮かべます。それにより、暮らしの背景にある貧富格差、物品の飽和──現代が抱える歪みを詳らかにしていきます。社会が目を逸らしているものを想像させ、「ゴミ」として軽んじることを許さない一冊です。