■シンガポール リトルインディア

 

高層ビルの立ち並ぶ近代的なエリアの片隅に、異国情緒の漂う風景が。

 

 コロナ騒ぎになる前、年に数回は取材でシンガポールを訪れていた。大都会シンガポールの物価は東南アジア諸国のなかでも群を抜いて高い。ちょっと洒落た店ならビール1杯が日本円にして軽く1,000円を超える。

 何度も通ううち、リトルインディアというエリアに安宿やリーズナブルな食堂が集まっているとわかった。文字通り、街を歩く人の多くはインド系で、道路標識には英語の下に南インドの公用語であるタミル語が並記されている。取材が終わると、エアコンのない半屋外の食堂で炒め物をつまみにビールを飲むのがシンガポール滞在の定番になっていた。

 

 

 ある日の夕方、MRTのリトルインディア駅から宿へ帰る道すがら安メシ屋を物色していると、小さな広場に迷い込んだ。広場にはテーブルと椅子が並び、仕事を終えたインド人たちがわらわらと集まってくる。シンガポールらしからぬ異様な光景に唖然としていると、目の前の席に座った男がおもむろに瓶の栓を抜いた。

「キングフィッシャー……」

 インドでよく飲んだビールだ。

 ラッパでぐいぐいあおる男の見事な飲みっぷりを見ているうちに、席はどんどん埋まっていく。そして、男たちのあいだにはロクに会話もなく、各々が黙々とビールを飲み続けている。どうやら広場のまわりには売店や屋台のような店が並んでいて、フードコート状態になっているようだ。

 僕もならってロング缶をぐびりと一口。日が暮れていくぶん涼しくなったとはいえ、赤道直下のシンガポール。汗ばむ熱気のなかで飲む冷たいビールは格別である。一気に飲み干し、2本目を買いに席を立つと、となりで「Knock Out」という恐ろしい銘柄のビールを飲む男がつまむひよこ豆が気になった。やけにうまそうだ。

 

ひよこ豆のトマト煮

 

「それはどこで買いました?」

「うまいよ。スパイスが効いてるからね」

 男はそう言って、広場のすみっこの屋台を指さした。

 紙皿に雑に盛られたひよこ豆のトマト煮。プラスチックのレンゲで頬張ると、トマトの甘味と酸味をまとった、ひよこ豆の濃い旨みが舌の上で弾けた。たしかに、スパイスの具合が実に良い。ピリ辛かつ複雑な風味で極上のつまみに仕上げられたひよこ豆。ビールが止まらない。

 あたりを見渡すと、どこの国にいるのか分からなくなるような雑多で異様な空間だが、なぜか無性に居心地がいい。

 コロナ前に足しげく通っていた東南アジア。記憶に残る晩餐はと聞かれ、まっさきにリトルインディアを思い出した。

 日本では味わえないアジアめしが、恋しくなった。