■ブータン パロ
南アジアの仏教国ブータンは、旅をするとなると、いささかやっかいな国である。滞在日数に応じた「観光税」が課され、滞在中は観光バスなど専用車両での移動と、ガイドの帯同が義務付けられる。つまり、個人旅行は難しく、原則、高額のツアーに参加するしかない。
6年ほど前、渋谷で辺境専門の旅行会社を営む知人のY氏からブータン渡航に誘われた。数人のカメラマンにそれぞれのテーマでブータンを撮影させるという企画らしい。
「中田さんは、無論メシでしょ?」
長い付き合いのY氏は、僕の旅の目的がほぼ「食」であることを理解している。かくして、「幸せの国ブータン」を訪れる機会を得た。
首都ティンプーを中心にブータン西部を1週間かけてまわる旅の後半で、パロ県郊外の農村へ出向いた。棚田が広がる村を散策していると、赤ちゃんを背負ったお母さんが僕を見てニコリと笑った。通訳のサンゲイさんによると「うちで休んでいきなよ」と言ってくれているらしい。
案内された民家は2階に台所があり、調理器具がピシッと整えられている。台所からはなにやらいいにおいがして、思わずお母さんに頼んでいた。
「なにか食べさせていただけませんでしょうか……」
お母さんは「まかしとき!」と言わんばかりに赤ちゃんを背負ったまま外へ出ると、庭で青菜を摘み、冷蔵庫から青唐辛子やチーズを取り出して、手際よく料理にとりかかった。
青唐辛子(エマ)とチーズ(ダツィ)を炒めた「エマダツィ」はブータン料理の定番で、この旅でも何度となく食べてきたが、それに青菜(ヘンツェ)をあわせたヘンツェ・ダツィと、エマとヘンツェに干した豚の脂身(シカム)をあわせたものが板の間に並んだ。
「家庭料理はちょっと辛いけどおいしいですよ!」
サンゲイさんがそう言いながら目を輝かせている。
濃厚なチーズの旨みと青唐辛子の鮮烈な辛さが溶け合い、摘みたてヘンツェの力強い風味がふわりと広がった。ジューシーなシカムと青菜の相性も実に良い。うまいことは間違いないが、強烈に辛い。ブータン料理は世界一辛いとも言われるが、このお母さんの料理は観光客向けレストランとは桁外れの辛さである。ほんのり甘い赤米が止まらない。
ふと見ると、小皿に自家製のエゼ(赤唐辛子の薬味)が盛られていて、お母さんが「ぜひ!」と言わんばかりに目を見開いている。
「いや……無理……」
汗と涙をぬぐいながら「限界です……」と後ろに座るサンゲイさんを振り返ると、エゼで真っ赤に染まった料理を、彼は涼しい顔で黙々と頬張っていた。