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 むかしむかしあるところに、死体がひとつ転がっておった。
 死体はおあやという名の、それは美しい女で、頭を石で何度も打ち付けられておった。
 お綾は三十歳ばかりじゃったが、男ぐせが悪く、生前は村じゅうの男を夜ごと一人暮らしの家に招いておった。中にはもちろん妻のある男もおり、女たちはお綾のことを蛇蝎だかつのごとく嫌っておった。
 お綾の死体が見つかったのは、お綾の家のすぐ裏の草むらじゃった。見つけたのは女で、かつてわが夫がお綾のもとに通っていたことから、あわや離縁騒動にまでなった過去があった。
「どうせなら私がこの女を殺してやりたかった」
 女は死体の顔を引っ掻いたので、みなが駆け付けたときには、頭の傷とは別に、顔は傷だらけじゃった。
 男たちはお綾のことを気の毒に思ったが、女たちは、
「この女、いつか舌を切ってやろうと思うとった!」
「わたしもじゃ! 獣のように男をとっかえひっかえしおって。舌を切ってやりたかった!」
 口々にお綾の死体に向かって汚い言葉を投げつけたんじゃ。もともとこの村の女たちは気性の荒いのがそろっておって、「舌を切ってやる」という物騒なののしり文句が流行はやっとった。そんな中で、美しく、けっして男の悪口を言わないお綾に、男たちはかれておったんじゃろうのう。
 ともあれ、誰がお綾を殺したのかわからんまま、お綾はしめやかに葬送おくられた。葬式を執り行ったのは、庄屋の息子の花蔵をはじめ独り身の男たちばかりで、妻のある男たちは隠れて、お綾のために涙を流したのじゃった。

 さてこの村には、作兵衛さくべえという名のじいさんがおった。作兵衛じいさんは村一番の正直者じゃった。若いころから正直で、たとえば他人の家の軒先に干し柿がぶら下がっておるのを見て、「食いたい」と思うと、自分の気持ちに正直に取って食ってしまう。じゃがその家の者が飛び出してくると、「うまそうなもんで食うてしもうた」とこれまた包み隠さず正直に言うてしまうもんで、怒るに怒れず許してしまうんじゃ。
 そんな作兵衛じいさんじゃが、気立てがよく働き者で、毎日、朝もはようから畑へ出かけ、夕方まで仕事に精を出しておった。
 お綾の葬式が終わった明くる日、作兵衛じいさんは、いつものように畑へ出て汗を流して働いた。夕方になったので家に帰ろうと歩いていると、白い猫が一匹騒いでいるのを見かけたんじゃ。
「おや、あれは苗五郎なえごろうのとこの白玉しらたまでねえか」
 苗五郎というのは猫の好きな男で、三十を過ぎても嫁を取らず、猫を十匹ばかり飼っている変わりもんじゃった。その飼い猫の白玉が、何を騒いでおるんじゃと近づいていくと、一羽の傷ついたすずめを追いかけておったんじゃ。
 作兵衛じいさんが足を止める前で、白玉はふにゃっ、と雀を前足で取り押さえたんじゃ。白玉は口を開き、鋭い牙で雀を食いちぎろうとした。
「こーりゃっ! 弱い者いじめをするでないぞ」
 作兵衛じいさんはくわを振り上げ、白玉に向かっていった。驚いて逃げる白玉。その走っていく先に、苗五郎が立っておった。
「なんじゃ、馬鹿正直の作兵衛じいさん。ずいぶんと乱暴するのう」
 苗五郎は非難がましく目を細めて、じいさんに言った。
「乱暴は、お前さんの猫じゃ。わしは雀を助けたいと思うたから正直にそうしたまでじゃ」
 苗五郎は首を横に振り振り、白玉を抱きかかえた。そのふところに、何やら布があった。浅黄色じゃが、赤黒い、猫のぶちのような模様があるんじゃ。作兵衛じいさんは、そのおかしな手拭いにどことなく見覚えがある気がしたんじゃ。
 苗五郎は作兵衛じいさんに向けて舌を出すと、去っていった。
「おお、おお、かわいそうにの」
 作兵衛じいさんは残された雀を拾い上げた。血はそれほど出てはおらんかったが、羽が折れ、飛ぶこともままならん様子じゃった。チチイ、チチイとなげくようなさえずりにいたたまれず、作兵衛じいさんは家に雀を連れ帰って手当をしたんじゃ。
「そんな汚らしい雀を連れてきて、どういうつもりじゃ」
 千代ちよという名のばあさんは雀を見て顔をしかめたが、作兵衛じいさんは自分の飯を分け与え、元気になれよと声をかけたんじゃ。
 二人のあいだに子どもはなかったもんで、作兵衛じいさんはすっかり雀が可愛くなって、チイコと名をつけた。毎日看病するうち、チイコはすっかり元気になり、折れた羽もちゃんと元通りになって飛べるようになった。ところがチイコは作兵衛じいさんにすっかりなついてしまい、家を離れようとせん。チイコは作兵衛じいさんの周りを飛び回ったり、肩に止まったりしてチチイ、チチイとさえずるのじゃった。
「痛い痛い。チイコ、髪の毛を引っ張ると痛い。でも、可愛いから引っ張らせてやるんじゃ」
 いたずらをするチイコに、作兵衛じいさんはにこにこしながら正直に言うのじゃった。
 これを面白く思わないのはもちろん、千代ばあさんじゃ。
「ふん、せっかくの米を雀っこに食わせるなんてもったいねえ。お人よしも行きすぎると大馬鹿じゃ。舌でも切ってやろうか」
 とののしった。作兵衛じいさんはこの村の他の男と同じように、気の荒い女房に罵声を浴びせられるのは雨風と同じと思うて慣れておる。どうせそのうち収まるじゃろうと気にせんかった。
 そんなある日、作兵衛じいさんがいつものように畑仕事に出ていくと、千代ばあさんは障子紙を貼り変えようと米でのりをこしらえた。ところがどうじゃ、ばあさんが古くなった障子紙をがそうと目を離しているすきに、チイコは糊をついばんで、みーんな食べてしまったんじゃ。
 千代ばあさんが怒ったのなんの。
「このろくでもねえゴミ雀が! 糊を食ったのは、この口か? え? この口か?」
 チイコの体をむんずとつかむと、裁縫道具の中からはさみを取り出し、チイコの口を無理やり開くと、この村の女がよく言うあの言葉を立て続けに吐いた。
「舌を切ってやろうか? え、二度とこんな悪さができねえように、舌を切ってやろうか! ああ、舌を切ってしまうがいいな!」
 千代ばあさんは、チイコの舌を本当にちょきんと切ってしまった。
 チチイ! チチイ!
 チイコは痛そうに鳴き、しばらく部屋の中をぐるぐると飛んでいたが、やがて窓から外へ飛び出して行ってしまった。千代ばあさんはそれを見て高笑いじゃ。
「うす汚い雀め、やっといなくなった。ああ、せいせいした」
 ところが、作兵衛じいさんはそうはいかん。夕方になって帰ってきて、ばあさんからことのいきさつを聞くと、天地も割れそうなほどに嘆き悲しんだんじゃ。
「おお、おお、まさか本当に舌を切るなんて。かわいそうに。チイコ、チイコ……」
 千代ばあさんは白けた目で作兵衛じいさんを見ておったが、ふん、と鼻息を一つ残し、飯も作らず眠ってしまったんじゃ。
 作兵衛じいさんは夜通し泣き続けた。その悲しみは、やがて朝になって、昼になっても消えることはなく、チチイ、チチイというチイコの楽しそうな声を思い出すたび、会いたくてたまらんようになった。ふてくされている千代ばあさんを尻目にじいさんは家を出て、チイコを探しはじめた。



舌を切られた雀のチイコはいったいどこへ行ったやら。おじいさんを待ち受けるのは不幸か幸せか……何が正解かわからない続きは本書でお楽しみください!