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一、
「ははぁーっ。お殿様、私のような者をお招きいただきまして、ありがとうごぜえますぅ」
 なえは両手をつき、畳に額をこすりつけている。こんなにいい匂いのする畳ははじめてだ。
「よいから、おもてを上げるのじゃ」
 恐る恐る顔を上げた。左手には桜や藤の描かれたふすま。右手は濡れ縁の向こうに広がる立派な庭園。枝ぶりのいい松の葉にのどかな春の陽光が降り注ぎ、そよ風に乗ってちょうがひらひらと飛んでいくのが見える。
 なえの正面には小高く畳が積まれ、金の屏風びょうぶが置かれている。その屏風の前に、脇息きょうそくもたれ、金魚のように目をきょろきょろさせた、ちょんまげのお殿様がいた。魚井戸信照うおいどのぶてるといって、なえの住む村はこのお殿様が治める国にある。お殿様の前にある三方には団子や餅が積まれている。また、お殿様の両脇には、力強そうなお供が一人ずつ、太刀を携えて控えていた。
「ははぁーっ。立派なおひげですねえ」
 なえがめると、お殿様は閉じた扇子せんすで自分のひげを撫でてみせた。
「余の自慢のひげじゃ」
「お殿様にお目通りしたなんて言ったら、おっとうもおっかあも、きっと目を回してしまいます。こんな汚れた身なりで、すみませんです」
「気にするでない。そのほう、名は何という」
「なえと言います。年は十と二つになります。おっとうもおっかあも、朝起あさおき村の百姓です。朝起村は知ってますか」
「城より半里ばかり南にある村だ。わが領国内の村のことは知っておるぞ。ときになえよ、そのほう、枕山まくらやまの小屋に住む不思議な男と知り合いだそうだが」
「そうです。太郎たろうさんのところには、去年の秋からちょくちょく通っていたので、ここのところいちばんしゃべってるのは、私だと思います。太郎さんのおっかあよりもです」
「余はその太郎のことを知りたい。まず、なえと太郎との出会いから聞かせよ」
「はあ、出会いですか。あれは去年の十月のこと。私は栗を拾いに、枕山に行ったのですが……」
 なえは思い出し思い出し、その日のことをお殿様に話しはじめた。

 その日、なえは栗を拾いに枕山に行ったが、もう他の人たちに採りつくされてしまって、落ち葉をきわけても全然見つからなかった。それでつい、崖に近いので行くなと言われているほうに足を延ばした。
 そこは誰も来ていないと見え、あたり一面に栗が落ちていた。夢中になって拾いながら歩いてると、いつの間にかおんぼろの小屋の前に立っていた。
 壁には穴があき、わらぶき屋根も半分くらい落ちて、人なんて住めっこないと思えるくらいのあばら家だった。疲れていたなえは、少し休ませてもらおうと中に入り、驚いた。
 見たこともない椅子が一つあった。頑丈な木でできていて、肘を置く台がついていて、足は刀みたいに反り返っていた。こちらに背を向けて体の大きい人が座り、ゆーらゆら、ゆーらゆらと、椅子ごと揺れていた。
「だ、だれ……」
 あとから考えたら、勝手に入り込んだのはなえのほうだが、そのときはそんなことを考えなかった。
「名前なんてねえ」
 低い、男の声が返ってきた。太郎という名を後で知ることになるが、名のない人なんているんだなあと、なえはそのとき思ったのだった。
「何をしに来た」
 今度はその人が訊いてきた。栗を拾いに来たことと、休ませてもらいたいということを話した。
「勝手にするがええ。そこに箱があるから」
 なえは壁際にあった木の箱を引きずってきて腰かけ、水筒の水を飲んだ。しばらくそうしていたら、その人としゃべりたくなった。おっかあにもおっとうにも、「口から生まれてきたんでねえのか」と言われるくらい、なえはおしゃべりが好きなのだった。
「朝起村の人ですか」
「いんや、もとは尾眠おねむり村のもんだ」
 朝起村から枕山をこえて行ったところにある村だ。
「人づき合いが面倒でな。鉄砲撃ちだった親父の残したこの小屋にこもってるんだ。毎日この椅子の上で考え事をして、ゆらゆら揺れて、もうしばらくで三年になる」
 食い物は尾眠村に住んでいるおっかあが三日にいっぺん、持ってきてくれるということだった。
「こんなところでこもってて、つまんなくねえですか」
「つまんなくねえ」
「私がおしゃべり、しましょうか」
「しなくていい」
真白山ましろやまの雪女の話、知ってますか」
「……くだらねえ、むかしばなしだろ」
 このあたり一帯は冬になると雪深くなる。枕山よりずっとけわしくて高い真白山の雪女の伝説はみんな知っている。
「私もそう思っていました。でも違ったんです。朝起村に、巳之吉みのきちさんっていう木こりがいるんですが、そのお嫁さんが、雪女だったんです」
「なんだと?」
 気を引かれたようだった。なえは嬉しくなった。こうなると、なえの口は止まらない。
「話のおこりは、十二年前です。もちろん私は生まれていませんから、おっとうから聞いた話ですけど。そのとき巳之吉さんはまだ三十歳くらいで、六十歳の茂作もさくというおっとうと二人で木こりをしていたんです。ある冬の日、巳之吉さんと茂作さんは二人で真白山に木をりに行きました」
「冬に木を伐りに行くのか」
「ええ行きますよ。まきが足りなくなることもありますし、それに、巳之吉さんは鉄砲玉を集めるのが好きなもんで」
「鉄砲玉だと?」
「鉄砲撃ちが山で撃った玉です。獲物に当たらなかった玉を見つけると、巳之吉さんは拾うんです。雪のときは玉が見つけやすいんで巳之吉さんはむしろ進んで山に行っていたんです」
「ほうか……続けろ」
「はい。その日、二人は木を伐っているうちに暗くなってしまって、山小屋に泊まったんだそうです。ところが次の日、山から下りてきたのは巳之吉さん一人でした。『おっとうが死んでしまった』。青い顔で、巳之吉さんは言ったそうです。庄屋さんと村の人たちみんなで山小屋へ行くと、茂作さんは凍って死んでいました。私のおっとうも茂作さんを運ぶ手伝いをしたのですが、両手を背中に回して、足をくの字に曲げて、目をかっと見開いて、手首も足首も真っ黒になってて、それは恐ろしい死体だったそうです」


茂作さんはどうして死んでしまったのか。太郎とはいったい何者か……笠地蔵と爆発音の関係が気になる続きは本書でお楽しみください!