【こぶとりじじい/青物郷 紫蘇野村】
紫蘇野村にはそのむかし、芋作という朗らかで正直もののじいさんと、葱作という陰気でいじわるなじいさんが暮らしておったそうな。この二人のじいさん、性格はまるで真逆だったが、大きく似ているところがあったんじゃ。
芋作じいさんは右の頬に、葱作じいさんは左の頬に、それぞれ、みかんほどの大きさのこぶをぶら下げておった。もとより陰気な葱作じいさんは「このこぶはほんに邪魔じゃのう」と日々愚痴ばかりを言ってすごし、朗らかな芋作じいさんのほうも「このこぶさえなけりゃ、どんなに楽かのう」と思っておった。
ある日のこと、芋作じいさんは村の西にある雨落山へきのこを採りにいった。きのこはおもしろいように採れ、ついつい山の奥まで入ってしまった。ふと気づくと日は傾き、あたりは暗くなりはじめておった。
「こりゃいかん。このままでは村に帰り着くのが夜になってしまうぞ」
この山には鬼が住んでいて、夜になると棲み処から出てくるという噂があった。芋作じいさんは急いだが、悪いことに道を見失ってしまった。どうしたものかと困り果てた芋作じいさんの目に、一軒の建物がとびこんできたんじゃ。
「おお、雨乞い堂じゃ」
かつて日照りのときなど、村人がこもって雨乞いの儀式をしたお堂じゃ。雨乞いの儀式はすでに廃れ、ここに近寄る者は誰もおらん。
「仕方ない、今夜はここで夜を明かすとしよう」
お堂の中には木でできた観音像があった。芋作じいさんはその台座の向こうにあった筵にくるまった。昼間の疲れもあり、すぐに眠ってしまった。
どれくらい経ったときじゃろうか。がやがやと楽しげな声で芋作じいさんは目を覚ました。お堂の中に明かりが灯っていた。観音像の台座の後ろから、芋作じいさんはそっと様子をうかがい、ぎょっとした。
観音像のすぐ前で、赤鬼と青鬼が差し向かいで酒を飲んでおった。ともに牙のようにとがった歯をむき出し、がははと恐ろしい声で笑っておるんじゃ。
「それにしても美味い酒じゃ。こんなに美味いとつまみがほしくなるのう。お前、この世でいちばん美味いつまみは何か知っとるか」
赤鬼が言うと、
「人間に決まっておる」
青鬼が答えた。
「そうじゃ。まちがいない」
「話していたら、人間を食いたくなってきた。なますにして食いたい」
「俺は丸焼きじゃ」
「餅と一緒にして、味噌で煮るのもよかろう」
「それもいい。ああ、ここに人間がおったらなあ」
見つかったら命はないぞと、芋作じいさんは震えが止まらなくなった。
「手に入らないつまみの話をしてもしょうがあるめえ。おい青鬼、俺が歌を歌うで、お前、踊れ」
「よっしゃ」
青鬼が立ち上がると、赤鬼は箸で盃をちゃんちゃんと打ち鳴らしながら歌いだした。それに合わせて青鬼は踊るものの、どうも調子がはずれておった。初めはこわごわそれを眺めておった芋作じいさんだったが、だんだん体がうずいてきた。
芋作じいさんは若いころから踊りが得意で、青鬼の下手な踊りをただ黙って見ておるのは我慢のならんことじゃった。
「おおい、待て待て」
ついに芋作じいさんは、観音像の陰から飛び出した。
「なんじゃ」
盃を打ち鳴らす手を止めた赤鬼に向かい、芋作じいさんは言った。
「わしが踊るで、もう一度囃子を頼む」
「お、おう……」
赤鬼は押されるようにちゃんちゃんと盃を打ち鳴らしはじめ、それに合わせて芋作じいさんは踊りはじめた。軽やかに足を踏み、桜の花びらのように両手をひらひらとさせ、それは見事に舞ったんじゃ。鬼たちは感心し、やんややんやの大喝采が芋作じいさんに送られた。
「わしにも教えてくれ」
せがむ鬼たちに芋作じいさんは手ほどきをし、一緒に踊った。楽しいときというのはあっという間じゃ。いつしかお堂の破れた壁の向こうに見える空が、白みはじめておった。
「こらいかん。じいさん、俺たちは朝日が出る前に岩の洞窟にもどらにゃならん。今日は楽しかったぞ。また今夜、ここに来い」
こう言われて、芋作じいさんは今さらのように怖くなったんじゃ。
「い、いや、わしは」
「必ず来い」
黄色い目をぎらりと光らせ、赤鬼はその毛むくじゃらの手を芋作じいさんの顔に伸ばしてきた。そして頬についておったこぶを握った。
すっ―と、こぶは右の頬からもぎ取られた。不思議なことに血も出なければ、まったく痛くもなかったんじゃと。
「俺たちにはのう、お前ら生き物を殺さずに体の一部をもぎ取る力があるんじゃ」
赤鬼はにんまりと、もぎ取ったばかりのこぶを見た。
「な、なんと不思議な……」
「不思議なものか。はるか北方の雲落山には、死んだばかりの生き物の一部をもぎ取り、ずーっと腐らんように保てるちゅう鬼が住んどるそうじゃ。角はこんなにちっこくて、人間のような肌の色をしとって、気味が悪いったらないわ」
「赤鬼」
青鬼が焦ったように赤鬼の肩を叩いた。
「早くしねえと、朝日が」
「わかっておる。いいな、じいさん。もし今夜来なければ、このこぶは返してやらんぞ。必ず来るんだ」
二匹の鬼は疾風のごとき勢いで、雨乞い堂を出ていった。あとに残された芋作じいさんは夢見心地じゃ。右の頬を撫でたが、つるりとして傷一つありゃせん。赤鬼はどういうわけか、芋作じいさんがあのこぶを大事にしとると思ったようじゃったが、邪魔なこぶが取れて、万々歳。きのこがたくさん入った籠を背負い、うきうきした足取りで紫蘇野村へ帰った芋作じいさんの顔を見て、村人たちはみなびっくりした。中でもつっかかったのはもちろん、葱作じいさんじゃった。
「やい芋作、お前、頬のこぶはどうしたんじゃ」
「おお、葱作。じつはかくかくしかじか……」
「なんじゃと。踊りを踊っただけで鬼がこぶを取ってくれたじゃと」
葱作じいさんはうらやましいやら悔しいやら。
「やい芋作。そのお堂とやらはどこにあるんじゃ」
芋作じいさんから聞き出したそのお堂へ、葱作じいさんは昼の日なかから出かけ、胡坐をかいて待っておった。やがて夜になると、がやがやと楽しげな声が聞こえてきた。お堂の扉が開き、入ってきたのはまさに、赤鬼と青鬼じゃ。
「もう来とったか」
「およ、昨晩のじいさんと違うの」
鬼たちの黄色い目に睨まれ、葱作じいさんは固まった。とにかく踊りゃいいんじゃろうがと高をくくっておったが、いざ目の前に現れた鬼たちの恐ろしい風貌を目にすると、体が凍りついてしまった。
「おい見ろ、このじいさん、昨日のじいさんと同じように、こぶがある」
青鬼が葱作じいさんの顔を指さした。
「こぶのある人間ちゅうのは、踊りが上手いんじゃねえか」
「なるほどそういうことか。よし、じいさん、踊りを見せてくれ」
鬼たちは盃を並べ、箸でちゃんちゃんと打ち鳴らし、歌を歌った。葱作じいさんは手足を動かしたが、踊りなんぞずっと馬鹿にしてきたものだから、うまくできるはずもない。ましてや恐ろしい鬼たちに睨まれとる。ついに足がもつれ、どたんと転んでしまった。
「もうよいわ!」
赤鬼が怒鳴って立ち上がった。
「下手くそめ、気分が悪い。ほんとうなら食ってしまいてえところだが、お前みたいなじいさんを食っても美味くなかろう。これを返してやるから、二度と俺たちの前に姿を現すんじゃねえ!」
葱作じいさんの右頬に、赤鬼は何かを押しつけた。
「えっ」
葱作じいさんは頬に手をやった。そこにはなんと、こぶがついておった。
「わしらはこのとおり、もぎ取った生き物の一部を、別の生き物につけることもできるんじゃ」
「な、なんという……」
「不思議な力ってか。不思議なものか。北方の雲落山には、死んだ生き物の一部をもぎ取って……」
「赤鬼、もういいじゃねえか。このじいさん、とっととほっぽり出しちまおうぜ」
ぽーんと雨乞い堂の外へ放り出された葱作じいさんは泣く泣く、夜道を紫蘇野村まで帰った。
それから先、葱作じいさんは両頬に邪魔なこぶをぶら下げたまま過ごさなきゃならんようになったんじゃと。
それからしばらくして、青物郷紫蘇野村では殺人事件が起きた。犯人は誰で動機は……とある「探偵もの」で使われたトリックも楽しい続きは本書でお楽しみください!