そこで、津山は言った。
「内需に依存して経済を回そうとするなら、一億人の人口が必要なの。でも、その頃には、日本の人口は八千万人になっているのね」
「だったら、移民を受け入れればいいじゃないですか。肝心の日本人が子供を産まないんですもん、そうするしかないじゃないですか」
「そうね、不足する人口は移民で補うしかないんだけど、じゃあ日本にやってきた移民はどんな仕事に就くことになるのかしら」
再び黙った神部に向かって、津山は続けた。
「さっき、神部君は自動車産業を例に出したけど、基幹産業だってかつての優位性は失われつつあるのよ。産業構造も大きく変わるだろうし、新たな基幹産業が生まれたとしても、仕事の内容、労働従事者に要求される能力は違ってくると思うのね。それでも日本の場合、国民の高齢化は今後も続くわけだから、介護職従事者の需要はなくならないけど、最初から日本語を理解している移民はまずいない。介護される日本人だって、英語すら満足に使える人間はほとんどいないでしょ? つまり職はあっても、就くに就けないってことになるんじゃないの?」
「確かに、その通りかも……」
神部もようやく事態の深刻さに気づいたらしく、神妙な表情を浮かべる。「IT企業なんかでは、随分前から多くの外国人が社員として働いていますけど、内需で経済を回すためには二千万人必要になるわけですからね。数が揃えばいいってもんじゃありませんし、そんなの無理ですよ」
「となったら、高齢者の介護は誰がやるの? 言葉が通じる日本人? じゃあ、その人たちへの報酬は誰が負担するの? 個人の問題だからといってしまうのは簡単だけど、日本人の所得はずっと低迷したまま。蓄財に余裕のある人はそう多くはない。かといって、切り捨てるわけにもいかないなら、結局公金で支援するしかないっていうことになるんじゃないの?」
「それも、新たに国の基幹産業が生まれ、税収が劇的に増えない限り、財源という大問題に直面することになりますね……」
「そんな財源、どこにある?」
津山は鼻を鳴らした。「仮に財源の問題が解決できたとしても、施設にせよ、在宅にせよ、やっぱり介護する人が必要になるわよね。言葉を解さない移民じゃ無理なら、世話をするのは日本人ってことになるわけだけど、肝心の現役世代の日本人の人口が減っていくのよ? 世話する人なんかいないじゃない」
「確かに……」
神部は顔を強ばらせ、虚ろな目をして頷いた。
そこで、津山は止めの言葉を吐いた。
「それ、あなたが直面する問題なのよ」
「えっ?」
ぎょっとして、顔を上げた神部に津山は言った。
「当たり前じゃない。神部君は二十五歳。五十年後には七十五歳。その頃ネイティブ・ジャパニーズの人口が、仮に今の半分になっていたとしたら、そうなるじゃない」
神部はふうっと息を吐き、腕組みをして考え込む。
津山は続けた。
「そんな社会の到来を防ぐためには、合計特殊出生率を劇的に上げるしかないんだけど、ひと組の夫婦が二・○七人子供を産んで、やっと今の人口が維持できるの。それが現時点で一・二台。つまり、一人がやっとなのに、二人だなんて不可能に決まってるじゃない。だから、経済を維持しようと思えば、選択肢はただひとつ。移民を受け入れるしかないわけ」
「となると、移民の雇用基盤。それも日本語ができなくとも、職につける環境を整備するのは必須ということになりますね」
「雇用基盤という点では、新たに国の柱となる産業の創出も必須よね」
「そういうことか……」
どうやら、この仕事の重要性を認識したらしく、「これ、どういった手順で進めたらよろしいでしょうか」
神部は津山に視線を向け指示を仰いできた。
「まずは、人口動態統計、それも都道府県別のデータを集め、その上でここにリストアップした人たちへ、インタビューをしようと考えているの」
そこで津山はファイルを開き、数枚のペーパーを手渡した。
「拝見します……」
素早くそれに目を通した神部は、「これ、うちの社員ばっかりですね。それもヤメキャリばっかりじゃないですか」
怪訝な表情を浮かべる。
「少子化が問題視されるようになって久しいけど、この間に打ち出された対策は、何一つとして効果がなかったでしょ? それはどうしてだと思う?」
「う~ん……」
神部は唸り声を上げながら、暫し考え込むと、「どんな対策が打ち出されたか、俄には思いつかないんですけど、子ども手当とか、託児所や保育園の整備とか……」
「子ども手当の給付額は子供の年齢、自治体によっても異なるけれど、月額数千円から一万数千円が相場なの」
「そんなに少ないんですか?」
独身の神部が知らないのは無理もないのだが、あまりの金額の低さに驚きを隠せない様子である。
果たして神部は言う。
「そりゃあ、ないよりはマシですけど、子育ての足しになるって金額じゃないですよね」
「日本人の年間給与の平均は四三○万円ちょっと。ところが、世帯別の平均では一○○万円未満が約六パーセント、一○○万円から二○○万円が約一三パーセント、二○○万円から三○○万円が約一四パーセント、三○○万円から四○○万円が約一三パーセント。世帯平均所得は約五五○万円。つまり、世帯全体の所得が、年間給与の平均以下の家庭が五割もいるのね」
「全世帯平均はそうでも、全ての家庭が子育てをしているわけじゃ――」
「もちろんそうだけど、中には子育てしている家庭もあるわよね」
津山は神部の言葉を遮って続けた。
「年収一○○万円、二○○万円の人たちにとって、月額数千円、一万円は、決して小さな額ではないでしょう。でもね、じゃあ倍貰えるから二人目を産もうかって気になるかっていえば、そうはならないわよね」
「そんなの無理に決まってるじゃないですか。年収が一○○万円や二○○万円じゃ、二人どころか、一人だって産もうって気になりませんよ」
「ってことはだ。行政が子育て対策として行っている政策は、少子化対策として何の効果も期待できない。つまり、無意味な策を延々と講じてきたってことになるわよね」
「そんなの今に始まったことじゃないですよ。役所は前例主義ですからね。少子化対策なんて、これまでやったことないんですし、無事これ名馬ですからね。下手に大胆な策を打ち出したはいいけど、失敗したら出世できなくなっちゃうんですもん」
神部の指摘は、的を射ていることは間違いない。
前例主義に加え、キャリア官僚は経験を積むために数年単位で部署を転々とする。仕事の内容も都度変われば、学歴は皆似たようなもの。野心に駆られてリスクを冒すより、出世の鍵は無事これ名馬。いかにしてミスを冒さないかが習性となるわけだ。
「だからヤメキャリに、話を聞くのよ」
津山はニヤリと笑った。「何たって、少子化対策に有効な策を打ち出せなかった当事者なんだもの。コンサルタントになった今、彼らがこの問題を、日本の将来をどう考えているのか、本音を聞いてみたいとは思わない?」
「なるほどねえ。そりゃあ、興味ありますけど、しっかし、津山さんも意地悪だなあ」
神部は苦笑しながら、悪戯気に瞳をくりくりと動かした。「だって無責任、かつ他人事のような答えが返ってくるに決まってますもん」
「だからいいんじゃない。役所時代には口が裂けても言えなかった本音が聞ければ、どんな社会で生きることになるのか、日本がどんな国になるのか、はっきりと見えてくるでしょう?」
「面白そうですね」
神部はニンマリと白い歯を剥き出しにして笑うと、「じゃあ、すぐにデータを集めに取りかかります」
椅子から立ち上がった。
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