「会長のおっしゃることは理解できますが、議員を選ぶのは有権者、国民です。経営者を選出するのは役員会、承認するのは株主です。いずれも法に基づき、手続きを踏んで選出されるのですから、こればかりはどうすることもできませんよ」
 前嶋の言わんとすることはもっともだと思う。いや、バブル崩壊以降の日本経済が低迷してきた最大の要因のひとつを言い当てているといってもいいだろう。
 しかし、地位には権力が伴う。そして権力を握った者は、とことん地位にしがみつこうとする。それが人間のさがというものである以上、国にせよ企業にせよ、制度や体制を劇的に変えるのは不可能だ。
「もっともだとおっしゃるからには、下条さんも、国や企業が高齢者に支配されている現状に問題意識を抱いておられるわけですね」
「それは、まあ……」
 前嶋が来訪した目的がますます分からなくなって、下条は曖昧に返した。
「たった今、下条さんは国会議員を選ぶのは国民、企業のトップを選ぶのは役員会。承認するのは株主だとおっしゃった」
「ええ……」
「じゃあ、なぜそんな連中を国民が選び続け、株主が承認し続けるのでしょう」
「そうですね……」
 下条は短い時間の中で思案し、答えを返した。「政治家と経営者の場合は、状況が異なりますので、分けてお答えいたします。まず政治ですが、日本人は変化よりも安定を好む傾向があると思うのです。つまり、今日の暮らしが明日も続く、いえ、長期的に続くことを望んでいる。だから、候補者個人に対する信頼や政策に対する期待というよりも政党で選ぶ。そして、政治は数。全ての政策が多数決で決まるわけですから、政権交代でも起きない限り、何も変わらないということになるのではないでしょうか」
「なるほど」
 うなずく前嶋に向かって、下条は続けた。
「企業の場合は、社長候補は役員会で決まりますが、それはあくまでも建前で、現職が後継候補を指名するケースがほとんどです。ですから、現職の覚えがめでたい人間が、後継者候補に指名されがちです。もちろん株主総会での承認を得なければなりませんが、株主が経営者に求めるのは結果。それも短期的な業績にしか関心がありませんから、きちんと配当を出し、株価を上げてくれさえすれば、経営者の資質の有無は、ほとんど問題にしない――」
「要は、企業の将来がどうなろうと、株主は知ったことではないというわけだ」
 途中で言葉を遮った前嶋に、
「はっきり言えば、そういうことになりますね」
 下条は、苦笑を浮かべながら頷いた。
「政治の場合も、有権者は改革よりも安定を望む。だから、高齢者支配は変わらないのだと、いうわけですね」
「有権者の意識が変わらない限りは、そういうことになるでしょうね」
 前嶋はうんうんと頷くと、
「それは、この国の国民が二十年、三十年先の日本が、自分たちの子供や孫がどんな社会で生きることになるのか、考えたことがないからだろうね」
 憂いを帯びた眼差まなざしを宙に向け、重い息を漏らした。
「えっ……」
「企業で働く人間たちも同じだよ。二十年、三十年先の市場、社会、ましてその頃会社がどうなるかなんて、考えもしないんだろうな」
 下条は前嶋が、なぜ今日ここを訪ねてきたのか、その目的が、ますます分からなくなった。
「そうですね……考えもしないでしょうし、考える必要もないと思っているでしょうね。第一、二十年、三十年先のことなんて、誰にも分かりませんし……」
 下条は、曖昧な言葉で答えたのだったが、
「分からない?」
 意外にも前嶋は疑念を呈し、目を見開きにらみつけてきた。
「技術の進歩は日進月歩。しかも加速度がつくばかりです。それに伴って、社会もすさまじい勢いで変化している時代に、二十年、三十年先のことを予測しても、あまり意味がないことのように思うのですが?」
「なるほど、コンサルタント業が繁盛するわけだ」 
 口の端をゆがませ、嘲笑する前嶋の言葉には、明らかに皮肉がこもっている。「クライアントがコンサルタントに求めるのは、多くの場合、目の前の問題に対する解決策や、業績の向上を図るための戦略の立案だからね。それも短期のうちに効果が出るプランを望むんだ。せいぜい二、三年先の時代に合わせた提案をすりゃあいいんだもの、すぐに次の仕事が舞い込んでくるよね」
 これには、さすがに下条もカチンときて、即座に反論に出た。
「それは、御社も同じではありませんか? 私どもとは少々内容は異なりますが、御社だって東洋地域の社会情勢や市場分析を行って――」
「下条さん」
 前嶋は、低い声で下条の言葉を遮ると、続けた。
「二十年、三十年先のことを予測しても意味がないとおっしゃるが、本当にそうなんだろうか」
「一つの新技術の出現で、世の中が激変してしまっても不思議じゃないんですよ。そんな先のことは、とてもとても……」
「私はそうは思わないね。それは、携帯電話の歴史を見れば明らかというものではないかな?」
「携帯電話……ですか?」
「日本で携帯電話が普及し始めたのは九○年代の半ば頃。使用可能なエリアは限られていたし、地下はもちろん、室内だって電波が届かないところがザラにあって、便利なのか不便なのか分からない代物だった。通話料も高額だったし、いずれ全国津々浦々、よほどの僻地へきちでもなければ日本全国、いや世界のどこからでも、どこにいても通話可能になると言われても、いつになったらそんな時代が来るんだとあざ笑う人間が大半だったんだ」
 今年五十一歳になる下条の脳裏に、遠い記憶が蘇った。
 携帯電話が普及し始めたのは、大学を卒業してから二年ほど経った頃のことだったが、確かに世間の反応はそんなものだったかもしれない。
 全国を通話可能にするためには、膨大な数の中継局が必要になる。当然、莫大ばくだいな先行投資が必要なわけで、利益が上がるようになるまで、携帯事業会社がコスト負担に耐えられるのか。まさに卵が先か、鶏が先かの議論が交わされたものだった。