「なるほど、人口動態統計ですか……」
 さすがに、説明せずともピンとくるものがあったらしく、津山は片眉をピクリと吊り上げた。
「クライアントにいわれて、私も人口動態統計を調べてみたんだけど、二○四○年から五○年の間に、日本の人口は一億人を割り込んで、九七○○万人台に、さらにその十年後、六○年には八六○○万人台になるとされているのね」
 その数字が意味するところは明らかだ。
 果たして津山は言う。
「つまり、内需依存の経済が成り立つ時代は、二○四○年代で終わりを告げるってことですね。二十年先どころか、すぐ先のことじゃないですか」
「そう、目前に迫っているわけ」
 下条は頷くと続けた。
「内需依存の経済が成り立つためには、一億人の人口が必要なのに、今現在でも日本のGDPの七割は内需に依存しているわけよ。クライアントが憂いているのはそこなの。今の日本企業の経営者、政治家、官僚に、その時の備えができているのか。策はあるのかと……」
 津山は、思案するかのように視線を逸らすと、短い沈黙の後、断言した。
「誰も真剣には考えてはいないでしょうね」
「でしょうね。私だってクライアントに指摘されるまで、そんなこと考えてもみなかったし……」
「超高齢化時代に突入したと言われて随分経ちますけど、この問題は年を経るごとに深刻化していくんですからね。少子化も改善の兆しがないどころか、進む一方。このままでは、日本経済が苦境に陥るのは避けられませんし、それすなわち、国力の衰退を意味するわけですから。確かにこれは深刻な問題ですね」
 津山も事の重大性に気がついたらしく、沈鬱な表情を浮かべ、声を落とす。
「これもクライアントが言っていたことなんだけど、危機が目前に迫っているのに、なんら策を講じない。見て見ぬ振りをしているのは、企業経営者、政界の重鎮、官僚の重要ポストを占める人間の大半が高齢者だからだと……」
 津山も思い当たる節があるようで、とがった顎をクイッと突き出すと、
「分かります、それ……」
 即座に肯定する。「私もLACに入社して以来、多くの案件に携わってきましたけど、二十年どころか、十年先を見据えた事案なんて皆無ですからね。民間企業のビジネスパーソンは、一定期間内に成果を挙げなければ、評価にバッテンがつき、昇進はそこで終わってしまいますし、それは経営者もまた同じ。会社の業績は株主から常に増収増益を求められているわけですから、当期、来期をどうやって乗り切るか。先のことなんか、考える余裕もないし、そもそも、自分がいるかいないかの時のことを考えても仕方ありませんからね」
「そう、そんな先のことなんか、知ったこっちゃないと思っていても不思議じゃないかもね」
「かもねじゃなくて、そう考えていますよ」
「政治家だって、それは同じよ。議員で居続けるのに必死なんだもの。有権者の大半が危機意識を持たないでいる問題に取り組んだところで、票にはならないからね。有権者に分かりやすく、かつメリットがあると簡単に理解される政策を公約に掲げるに限るんだもの。そりゃあ、こんな難題に取り組む気にはならないわよね」
「知ったこっちゃないってのは、こちらも同じでしょうしね……」
 今度は津山が、下条の言葉を繰り返す。
 その声の中に、怒りがこもっているように感じられたのは気のせいではあるまい。
「分かりました」
 果たして津山は言う。「私も、今の今まで、二十年、三十年後の日本なんて深く考えたことはありませんでしたけど、確かにこれは国の将来を考える上で、大変意義のあるテーマだと思います。ぜひやらせてください」
「津山さんは、今年四十三歳になるんだったわね」
「ええ……」
「となると、日本の人口が一億を割る時は、あなたが現役のうちにやってくることになるわけだ」
「内需が細れば企業は海外に市場を求めるしかありませんが、その時を見据えた戦略の立案に着手している企業はまずないでしょうからね。その時に備えてどんな分野に活路を求めるべきか、今のうちから分析を行い、随時内容をリバイズドしていけば、うちのビジネスにとってもプラスになりますし、政策にも大きな影響を与えることになるでしょう。面白い仕事になりそうですね」
 津山はすっかり乗り気になった様子でこたえると、「ところで、この案件はどこからの依頼なんです? 差し支えなければ教えていただけませんか?」
 続けて問うてきた。
「依頼主は、東洋総研の前嶋会長……」
「東洋総研の前嶋会長?」
 津山は下条の答えを繰り返しながら、目を見開いた。
 言いたいことは分かっている。
「前嶋さんは、この日本という国の将来を本当に案じていらっしゃるの。人口減少に伴う内需の縮小は、とどのつまり少子化問題であるわけ。この問題は随分前から議論されているけど、国民の大半はまるで危機意識を持っていないでしょう? それに、子供を持つかどうかなんて個人の自由なんだし、ライフスタイル、所得、住環境と様々な要因があってのことだから、そう簡単に改善されるわけがない。ならば、人口を維持する、あるいは増やすために移民を迎え入れるのか。もしそれしかないのなら、その時、日本の社会はどう変わるのか。日本社会の将来像を明確にして、国民の覚悟を促したいと考えていらっしゃるの」  
「確かに人口維持、あるいは増やそうと思うなら、移民は最も効果的、かつ即効性のある策には違いありませんからね……」
「もちろん、言語、文化、生活習慣が異なる移民を大量に迎え入れれば、様々な問題が発生するでしょう。最初はマイノリティでも、ネイティブ・ジャパニーズの人口が減少し続ければ、移民がマジョリティになってしまう可能性だってあるわけだからね」
 津山は、その時の社会を想像しているのか、視線を伏せたまま言葉を発しないでいる。
 そこで下条は問うた。
「津山さんもアメリカで暮らしたことがあるから、移民がマジョリティになれば、どんな社会になるか想像できるでしょう? アメリカの公用語は一応英語ってことになっているけど、スペイン語を母国語とする人口は増加するばかりで、英語を話せない人たちは当たり前にいるからね」
「現時点では、スペイン語をネイティブとする人口は七人に一人ですけど、二〇五〇年には三人に一人になるという推計もありますからね。英語と似た言語でさえそうなんですから、〝悪魔の言語〟と称されるほど難解な日本語となればなおさらですよ。少なくとも、移民一世が日本語を使うようになるのは、ちょっと考えづらいですよね」
「ならばその時、ネイティブ・ジャパニーズはどうするのか。伝統、文化、風習はどう変わっていくのか。産業構造の変化のみならず、日常生活に至るまで、日本がどう変わっていくのかを考察してほしいの」
「分かりました……」