頷く津山に向かって、下条は言った。
「分析に当たっては、識者へのインタビューや、その他諸々、外部の人間の力を借りなければならないでしょうけど、社内の人材を使うのもいいかもしれないわよ」
「社内の人材といいますと?」
「うちには、ヤメキャリがたくさんいるでしょう?」
下条はニヤリと笑ってみせた。
ヤメキャリとは、LACに転職してきた霞が関の元キャリア官僚のことで、社内でのみ通用する隠語である。
国家公務員上級職試験を突破し、キャリアとして採用されたにもかかわらず、若くして霞が関を去る官僚は後を絶たない。理由はそれこそ様々なのだが、退職に際してはコンサルタント業界に転ずる者も少なくない。
元々、優れた頭脳を持つ上に、国家運営を担う中央官庁で、幹部候補生として働いてきたのだ。国家組織に通じていれば、過去、現在にわたって各省庁が打ち出してきた政策についても熟知している彼らは、LACとっても即戦力となりうる人材なのだ。
「なるほど、彼らに聞けば、少子化問題を国や各省庁がどれほど深刻に捉えてきたのか、日本の将来像をどう見ているのかが分かるというわけですね」
下条は、口元に笑みを浮かべ頷くと、
「早々に取りかかってちょうだい。前嶋会長は、今年の六月いっぱいで退任なさるそうなの」
「期限は半年ですか……」
「どう? やれる?」
「やらなければ、ならないんでしょう?」
片眉を吊り上げながら、艶然と微笑む津山の瞳には、自信の色が浮かんでいる。
その姿に満足しながら、下条は言った。
「楽しみにしているわ。もっとも、愉快な内容になる気はしないけど……」
2
神部恒昭は、LACに新卒で入社して、今年三年目を迎える若手社員だ。
四年とはいえ、民間企業でビジネスの現場を経験した津山からすると、新卒時の就職先にコンサルタント会社を志望する、神部のような若者の心情が理解できない。
クライアントの依頼内容は様々とはいえ、企業戦略や業績改善策を提示しなければならないことも多々ある。高学歴には違いないが、ビジネスの現場経験がない人間が、まともなアドバイスができるはずがない。なのに、新卒者の中には、いきなり経営指導や問題解決策を立案する仕事に携われると思い込んでいる者も少なくないのだ。
もちろん、コンサルタントと称するには未熟に過ぎる神部のような人間でも使い道はある。受験競争の勝者だけに書類仕事はお手のものだし、数字には滅法強い。膨大なデータを正確に処理する能力に長けていれば、資料を集め、分析する根気もある。最終的に津山がレポートを仕上げるに当たって、最も時間と労力を必要とする力仕事を任せるにはうってつけなのだ。
「二十年、三十年後の日本の姿ですか?」
津山が新たな任務のテーマを話した途端、説明も聞かぬうちに神部は怪訝な表情を浮かべる。
「そう、二十年、三十年後の日本の姿。その時この国がどんな社会になるのか。その間に国民は、企業はどんな備えが必要になるのかを考察するの」
「そんな先のこと、分かるわけないじゃないですか」
神部は嘲笑を浮かべると、「今現在絶好調な企業や産業にしたって、新技術が現れた途端、あっという間に廃れてしまう時代なんですよ。自動車業界なんて、その典型じゃないですか。今や市場の流れは完全にEV(電気自動車)に向いて、新興企業、電器メーカーまで参入して、群雄割拠の様相を呈しているんです。完全自動運転技術が確立されるのは、そう先のことじゃありませんし、スマホだって半導体の性能や通信技術がどこまで進化するか分かったもんじゃありませんからね。そんなのSF小説を書けって言ってるようなもんですよ」
神部には欠点が幾つもあるが、訳知り顔で反論するのはその一つだ。
津山は内心で舌打ちをしながら、ピシャリと返した。
「あのね、前から何度も言ってるけど、あなたはサラリーマンなの。サラリーマンは上司と仕事は選べないの」
「それは重々承知してますけど、それにしたって分かんないものは分かりませんよ」
「ご不満なようだけど、結構大事なテーマだと私は思うけど?」
津山は意識して柔らかな声で言い、続けて問うた。
「神部君は大学に現役で合格したんだったよね」
「もちろんです」
「ってことは、入社三年目だから今年二十五歳になるわけだ」
「そうですけど」
だから何だとばかりに、神部は答える。
「二十年後は四十五。その頃の日本がどうなっているか、興味を覚えない?」
「興味以前の問題じゃないですかね。だって、予測したところで、自分の力で何が変えられるってわけじゃなし、なるようにしかならないのが国、社会ってもんじゃないですか」
「じゃあ、将来に何の備えも、覚悟もしなくていいと思っているわけだ」
「それが、分かんないんですよ。備えとか、覚悟とか、したところで何か意味あるんですか? そんなの、人間はいつか死ぬ。今のうちから覚悟を決めて、その時に備えろっていうのと同じじゃないすか」
「死ねば、終わりだけどさ、二○四○年から五○年、あなたが働き盛りの真っ最中に、日本の人口は一億人を割り込んで、九七○○万人台に、さらにその後の十年、六○年には八六○○万人台になるとされているのは知ってるのかな?」
「正確な数字は把握してませんけど、長いこと少子化が続いてますからね。そりゃ、そうなるでしょうね」
「こんなこと聞くと、ハラスメントになるかもしれないけど、神部君、結婚するつもりはあるの?」
「まあ、そりゃあ縁の問題ですから何とも言えませんけど、いずれするんじゃないですかね」
「結婚すれば、子供が生まれるかもしれないわよね」
「相手の意向もありますけど、結婚すればその可能性もなきにしもあらずでしょうね」
「仮に、三十歳で子供が生まれたとしたら、二十年後には十五歳。中学三年になるわけだけど、子供がどんな世の中を生きることになるか興味を覚えない?」
神部は、それでもピンとこない様子で、首を傾げて黙り込む。
津山は続けた。
「確か神部君は、中高一貫の受験校出身だったと思うけど、我が子にも同じ道を歩ませるつもりなのかな?」
出来の悪い子供に答えを誘導するようで何とももどかしいが、理詰めで納得させれば、神部はよく働く。
津山は根気強く質問を重ねた。
「学歴は高いに越したことはありませんから、そりゃあそうなるでしょうね。なんといっても、母校は東京、いや、日本のトップスクールですから」
自慢げに胸を反らす神部に向かって、
「でもね神部君、その頃の日本って、内需に依存してたんじゃ経済が回らない状況に陥っているの。つまり、今まで以上に海外に出ていかないと生きていけない国になっているのよ」
「えっ?」
どうやら、その辺の知識は持ち合わせてはいないらしい。