【中3女子、教室で刺され死亡 殺人未遂容疑でクラスメイトを逮捕】

 26日午前9時45分ごろ、神奈川県横浜市の市立中学校から「教室内で生徒が刃物で刺された」と110番通報があった。
 駆けつけた救急隊が、倒れていた同校に通う3年生の穂村ほむらマリアさん(15)を病院に搬送したが、間もなく死亡が確認された。死因は胸や腹を複数回刺されたことによる出血性ショック。神奈川県警は、殺人未遂容疑で、刺したとみられる女子生徒を現行犯逮捕した。
 捜査関係者によると、現場となったのは校舎3階の教室で、穂村さんと逮捕された女子生徒は同じクラスだったという。凶器の包丁は、加害生徒が事前に用意し、校内に持ち込んだとみられる。
 今後、県警は容疑を殺人に切り替え、慎重に事件の経緯などを調べる方針だ。

◇二〇二一年――秋

 チョコレートを舌の上でゆっくり溶かすように、人間の生き血を味わう連続殺人犯――。
 刊行前のミステリ小説を読み終えた途端、全身の筋肉が弛緩しかんしていくのを感じた。まだ慣れていないせいか、初稿を読むときはいつも軽い緊張感に包まれる。
 私は肩や首筋を指で揉みほぐし、高く腕を伸ばしてストレッチした。
 物語の中を漂っていた心が、ゆっくり現実に引き戻されていく。長い夢から覚めたような心境だった。
「今年の受賞作は、話題になるかもしれませんね」
 その声に顔を向けると、正面の席の同僚と視線がぶつかった。
 きし颯真そうまは意味深長な言葉を残し、パソコンのモニターに目を戻した。そのまま無言でキーボードを打ち鳴らしている。自分から話しかけてきたくせに、どうやら詳しい説明はしてくれないようだ。
 私は冷めた紅茶を一口飲んでから訊いた。
「受賞作って、『シルバーフィッシュ文学賞』のこと?」
 颯真は「只今、予感が当たっているかどうか検索中です」と独り言のように答え、マウスを動かしている。時折、彼は要領を得ない話し方をして、先輩編集者を困らせていた。
 この文芸編集部は、編集長を筆頭に、副編集長と十名の編集者で構成されている。今は昼時で、ふたりしかいないせいか、颯真は肩の力が抜け、寛いだ雰囲気を漂わせていた。彼は部員たちの中でいちばん歳が若く、私よりひとつ下の二十七歳。文芸編集部の所属歴は颯真のほうが長い、年下の先輩だった。
 去年の四月、『小谷こたに莉子りこ殿、文芸編集部での勤務を命じます』という辞令が出て、私は電子書籍編集部からこの部署に異動することになった。
 颯真はさっと顔を上げると何か確信を得たのか、勝ち誇ったように口を開いた。
「やっぱり、今年の受賞作は話題になると思います」
 先月、第四十八回シルバーフィッシュ文学賞の受賞作が発表されたばかりだった。
 シルバーフィッシュ文学賞は、私が勤める文高社ぶんこうしやが主催する小説の公募新人賞で、応募資格は新人であることのみ。広義のエンターテインメント長編小説を募っていた。数多あまたある新人賞の中でも歴史は古く、これまで多くの人気作家を輩出し続けている。受賞作は決まって映像化されるため、世間からの注目度の高い賞でもあった。
 今回、一次・二次選考を経て、三次選考に進んだ作品は十作。その中から最終選考に進めるのは五作。どの作品を残すかは、文芸編集部の編集会議で検討された。
 そして最終選考に残った五作を審査するのは、四名の選考委員たち。選考委員は現役作家や文芸評論家が担い、彼らによって受賞作が決定する。
 今年の受賞者は、二十三歳の青村あおむら信吾しんご――。
 受賞作のタイトルは『プラスチックスカイ』。特殊能力を持つ少女の苦悩と葛藤を描いた物語だった。
 初めて『プラスチックスカイ』を読み終えた後、私は原稿を見つめたまま放心した。心が哀しみで震えていたのだ。そのとき、この作品は読者の記憶に深く刻まれる、可能性を秘めた本になると強く感じた。物語の舞台は特殊な設定だったが、登場人物たちが抱える苦悩が痛いほど伝わってくる内容で、思わず彼らに手を差し伸べたくなった。
 おそらく他の編集者たちも魅了されているはずだと信じていた。けれど、意気込んで臨んだ編集会議の席で『プラスチックスカイ』を推す者はひとりもいなかった。予想外の展開に驚いたが、私は編集者としての経験も浅く、自分の判断に自信が持てず、青村の作品を強く推せずにいた。
 会議は進み、四作まで絞り込まれた。そしてあと一作を決める段になったとき、ひるんでいる心に反して、私の身体は勝手に動いていた。まっすぐ手を挙げていたのだ。
 批判を浴びてもかまわない。どうしても『プラスチックスカイ』の魅力を伝えたい。一読者として、胸に迫ってくる場面、既視感のない描写、痛みを伴う台詞を踏まえ、気づけば恥ずかしいほど熱弁していた。
 颯真の「残りの六作なら、僕も青村信吾さんの作品がいいと思います」という賛同の声が後押しになり、最終候補作に選出された。
 編集会議の結果からも、受賞に至るのは難しいだろうと悲観的な気持ちがくすぶっていたが、選考委員に選ばれたのは他でもない、青村の『プラスチックスカイ』だった。
 あの作品が世に出る。そう思った瞬間、編集会議で勇気を出して発言してよかったという気持ちと同時に、自分の感覚は間違っていなかったという実感が湧いてきた。文芸編集部に異動後、初めての成功体験。この経験は編集者としての自信にも繋がった。
 受賞作決定後、上司からの進言もあり、私は青村の担当編集者になったのだ。

 颯真の「話題になる」という言葉に不可解な感触が残り、私は率直に尋ねた。
「どうして今年の受賞作が話題になるの?」
「昨日起きた『中三少女刺殺事件』に関して、SNSで騒いでる人がいたんです」
「どういうこと? うちの新人賞が、その刺殺事件と何か関係あるの」
「Twitterのタイムラインに流れてきたんですけど、中三少女刺殺事件の犯人がシルバーフィッシュに応募していたみたいなんです。『ムホウ』というタイトルを覚えていますか?」
「それって……最終候補作に残っていた作品だよね」
「そうです。その落選した作品を『メザソウ』にアップしているようで」
 颯真は腕を伸ばし、「これ、加害者のユーザー名」と言って、メモ紙を差し出してくる。『美しい月』と書いてあった。
 私は検索し、小説投稿サイト、メザソウにアクセスする。
 メザソウは誰でも無料で自作の小説を投稿できるサイトだった。掲載している小説が人気を集め、編集者に才能を見出されて小説家としてデビューした人もいる。
 サイトの検索窓に、『美しい月』と打ち込む。一件、ヒットした。タイトルは『ムホウ』。強張る指でマウスを動かし、プロフィール欄に目を走らせていく。
〈第四十八回シルバーフィッシュ文学賞、最終選考で落選。哀しいので明日、人を殺します〉
 これは――犯行動機?
 それとも、メザソウに投稿したのは本人ではなく、誰かの悪戯いたずらだろうか――。
 颯真が声を上げた。
「メザソウの投稿作品は、ウチの応募作と内容が一致していますね」
 底のない沼へ引きずり込まれるような不安が心に宿り、胸が騒ぎ始めた。拍動を強める心臓に急かされるように、今度は小説が掲載されているページにアクセスする。
〈人間は法では縛れない。国際法も無意味だ。それは歴史が証明している〉
 見覚えのある冒頭――。
 私は応募原稿を取り込んだパソコンから、『ムホウ』のPDFを開いた。たしかに、最終選考に残った作品の冒頭と完全に一致している。すぐさまメザソウに投稿した日を確認する。
 十月二十五日――。
 視界が揺れ、すっと体温が下がった気がした。
 中三少女刺殺事件が発生したのは、十月二十六日。つまり、『ムホウ』が投稿されたのは、事件の前日ということになる。
 私は手帳を取り出し、過去のスケジュールを確認した。
 文高社が発行している文芸誌に、青村の『プラスチックスカイ』が掲載されたのは先月の九月で間違いない。受賞作は文芸誌に全文公開されたが、落選作はどこにも載っていないはずだ。それらを考慮すると、メザソウに投稿した人物は、『ムホウ』の内容を知っていた人間に絞られる。
 作品の内容を知っているのは、新人賞の選考に関わった人間、もしくは応募者しかいない。とはいえ、関係者の誰かがメザソウに応募作を投稿したとは考えにくい。そんなことをしても責任を問われるだけで、何のメリットも生まないからだ。
 メザソウのプロフィール欄に書かれていた内容を思い返すと、投稿者は事前に刺殺事件が起きるのを知っていた人物に限られてくる。やはり、加害者本人が投稿したという仮説が濃厚だ。
 応募作の『ムホウ』は、編集者たちから高評価を受けた。選考委員からも「文章が巧みで、リーダビリティも高く、物語の展開に破綻がない。人物造形・描写も的確」と絶賛された。そのうえ、十五歳という筆者の年齢に誰もが驚愕した。
 最終選考会でも『ムホウ』を推す選考委員が多くいたが、ミステリ作家の前島まえじま静江しずえが強く反対し、議論を重ねていく中で他の選考委員も彼女の意見を受け入れ、受賞には至らなかった。
 私は心を鎮め、応募原稿に添付してあったプロフィールシートを表示した。
 本名は、遠野とおの美月みづき。年齢は十五歳。学校は横浜市立星嶺せいりよう中学校―。