ポータルサイトを表示し、検索窓に『中三少女刺殺事件』と打ち込み、最新のネットニュースに目をとおした。
 未成年が起こした衝撃的な事件だったせいか、マスコミは煽情的な報道を繰り返していた。昨日、作家との打ち合わせの席でも話題になったばかりだ。そのときは紅茶を片手に、自分とは無関係の遠い出来事として語り合っていた。
 事件が起きたのは横浜市の市立中学校、三年二組の教室。被害者は十五歳の穂村マリア。加害者の少女は、被害者とクラスメイトだったという。
 発生時刻は、午前九時四十五分。警察関係者によれば、一限目の授業の終了を知らせる呼鈴が鳴り、休み時間に入ってから事件が発生したようだ。
 加害者はスクールバッグから取り出した包丁を片手に、教室の隅で友だちと談笑していた穂村マリアに近寄った。クラスメイトの眼前で被害者を前から刺し、悲鳴が響き渡る中、加害者は倒れている穂村マリアに馬乗りになり、包丁を振り下ろした。クラスメイトの証言によれば、加害者は被害者を四回刺した後、うつすら微笑んでいたという。
 すぐに病院に搬送されたが、傷は臓器を貫くほど深く、穂村マリアは出血性ショックで死亡した。加害者は逃げる様子もなく、警察の指示に素直に従ったという。
 その後、加害者は殺人の疑いで、身柄を横浜地方検察庁に送られた。調べに対し、少女は「私がやりました」と容疑を認めているようだが、動機については黙秘しているという。
 小説の投稿サイトには〈第四十八回シルバーフィッシュ文学賞、最終選考で落選。哀しいので明日、人を殺します〉と書いてあった。
 それが動機なら、なぜ黙秘しているのだろう――。
 颯真は眉根を寄せ、不服そうな声を出した。
「加害者は十五歳か。少年法の改正後、刑事処分の対象年齢が十四歳以上に引き下げられたけど、まだ中学生だから逆送はされないでしょうね」
 重大事件の場合、少年事件であっても、家庭裁判所が成人と同じ刑事処分が妥当であると判断すると、検察に送られることになる。これを逆送というが、颯真はそうならない、つまり起訴はされないだろうと踏んでいるのだ。
 不安が膨れ上がってきて、私は尋ねた。
「もしもメザソウに投稿したのが加害者本人だとしたら……犯行に及んだのは文学賞の落選が原因だと思う?」
 加害者の処分よりも、動機のほうが気になった。プロフィール欄に書かれていた内容が真実なら、騒動が起きるのは目に見えている。受賞作の担当編集者は、他の誰でもなく私自身なのだ。
 颯真は投げやりな口調で答えた。
「そんなこと言い出したら、落選した七百人近くが殺人犯になりますよ。いくら未成年でも人の命を奪うなら、もっと他の理由があると思うけどな」
「たとえばどんな?」
「それは……追い詰められていて『相手を殺さなければ、自分が殺られてしまう』みたいな」
 ドアの開閉音が耳朶を打ち、反射的に視線を向けると、桐ケ谷きりがや恭一郎きよういちろうがスマートフォンを眺めながら室内に入ってくるところだった。
 颯真は、すかさず緊張をはらんだ声で隣席の先輩に挨拶した。
「お疲れさまです」 
 私も同じ言葉をかけると、桐ケ谷は自席に座りながら聞き覚えのある言葉を放った。
「今回の受賞作、話題になるかもな」
 桐ケ谷は四十三歳、文芸編集部の古株だ。同僚に対しては物言いがきついところもあるが、作家たちからは絶大な信頼を寄せられている。仕事は丁寧でミスも少なく、作品に対する指摘も具体的で、実際に彼が担当した作品はどれも評価が高かった。
 去年、文芸編集部に異動後、私は桐ケ谷が担当しているベテラン作家の何人かを受け持つことになった。彼らの誰もが前任者の仕事ぶりを褒めそやしていたので、異動して間もなくは重圧を感じながら仕事に勤しんでいた。
 勢いよくドアが開くと、今度は険しい表情の編集長が室内に駆け込んでくる。
「颯真と小谷、すぐに会議室に来てくれ」
 怒気のある口調で言い、編集長は奥の部屋に姿を消した。
 ふたりで顔を見合わせ、会議室に足早に向かった。ノックしてからドアを開ける。編集長は窓際の椅子に座って待っていた。
「もしかして中三少女刺殺事件に関することですか」
 ドアを閉めてから颯真が深刻な声で尋ねると、編集長は深い溜息をついてから答えた。
「その件で警察から連絡があった。ネットでも噂になっているようだが、加害者はシルバーフィッシュに応募した作品をメザソウに投稿したと証言しているそうだ。警察から、ウチの応募作とメザソウの投稿作品が一致しているかどうか確認したいと言われた」
「それって……事件の犯人は、シルバーフィッシュの最終選考に残っていた応募者だったってことですよね」
 颯真が核心を突くと、編集長は眉根を寄せて首肯しゆこうした。
「さっき四階のデスクに呼ばれて確認したら、加害者の名前は遠野美月だった。応募時のプロフィールの本名、年齢、住所、学校名もすべて一致した。本人で間違いないだろう。明後日、刊行する『週刊文高』で記事にするそうだ」
 四階に入っているのは、『週刊文高』編集部――。
 一気に緊張が高まり、私と颯真は放心したように言葉を失っていた。
 文高社が発行している週刊文高は、スクープ記事、政治、経済、事件など多方面に渡る内容を掲載している週刊誌だった。今はインターネット上で囁かれている噂に過ぎないが、もしも週刊誌に掲載されたら世間は大騒ぎになるだろう。
「ちょっとマズくないですか? 加害者がシルバーフィッシュに応募していたという事実も掲載するってことですよね。選考委員の先生たちも騒動に巻き込まれるかもしれませんよ」
 颯真が青ざめた顔で言うと、編集長が腕を組んで苛立いらだった声を上げた。
「これから四階に行って、どんな記事になるのか確認してくる。今はネット社会だ。報道関係者が実名を公表しなくても、加害者の名前が出回るのは時間の問題だろう。本名が判明すれば、連動するようにシルバーフィッシュに応募していたこともわかる。だが、うちから記事が出るまでは一切口外しないでほしい」
 二ヵ月前、文高社のサイトや文芸誌でシルバーフィッシュ文学賞の最終候補作が発表された。遠野美月はペンネームを使用していなかったので、加害者を割り出すのはそれほど難しい作業ではないだろう。
 編集長は緩慢な動きで立ち上がると、疲れた表情で言葉を発した。
「颯真は前島先生にフォローの連絡を入れてくれ。前島先生はまったく悪くないが、もしかしたら『厳しい評価を下した自分のせいで、今回の事件が起きたかもしれない』と胸を痛めてしまう恐れがある」
 颯真の「はい」という返事が響いた後、編集長はこちらに視線を移した。
「小谷は、受賞者の青村信吾さんの対応を頼む。同じように事件との関連を気に病んでしまう心配もあるからな」
「でも、彼も関係ないですよね」
 私がそう言うと、颯真が神妙な面持ちで口を開いた。
「さっき匿名掲示板のシルバーフィッシュ文学賞のスレを確認したら、かなり荒れてました。クソみたいな匿名台風が来て、青村さんが叩かれてます」
 叩かれる? 今回の事件に彼は無関係のはずだ。
 不穏な予感を抱えながら会議室を出て自席に戻ると、検索窓に『シルバーフィッシュ文学賞 スレ』というキーワードを打ち込んでいく。
 会議室から出てきた編集長は詳しい説明は省き、昼食から戻ってきた部員たちに指示を出した。
「今、中三少女刺殺事件について総務に電話が殺到しているようだ。編集部にもかかってきたら『個人情報が関係しているので詳しい内容はお話しできません』で通してくれ」
 編集長が退室すると、颯真はキーボードを打ち始めた。事件について検索しているのだろう。私も匿名掲示板に目を通そうとして、手を止めた。
 一通、メールが届いている。送信者は青村信吾。会って話がしたいという内容だった。来週の月曜、午後三時に会う約束をした。