「募集:現代の都市伝説 あなたの体験した『鬼』の話を百字以内で聞かせてください」
「鬼」の定義は問いません。あなたが出会った「人知を超えた存在」「人間技とは思えない所業」「科学や論理で説明できない謎」「不思議な体験」——あなたが「鬼」だと思うもの。それを、百字以内で送ってください。
あなたは、「鬼」を信じますか?
送り先:@island/in/the/mist(霧島ショウ /フリーライター)
こんな企画を立てて、霧島は、何がしたかったんだろう。
本や印刷物や謎の置物で散らかったデスクの、かろうじて空いている部分に肘を付いて、青白く発光するノートパソコンの画面を見つめた。
リビングの一角に据えられたパソコンデスクは、アナログな記録媒体ですっかり埋め尽くされている。本来の主役のはずのノートパソコンは、積み上がったそれらの上に危なっかしく鎮座している始末だ。
やや斜めに傾いたパソコンの画面が、ふっとブラックアウトした。パソコンから目を離し、側に転がっていた判読不能なメモの切れ端をつまみ上げる。
霧島、スケジュール管理とか手帳でやってたもんなあ、根がアナログっていうか、ショーワなんだよなあ。あいつ、説教も好きだしなあ。
霧島は多忙な男だったので、時折仕事を手伝ってやったのだが、何故かよく叱られた。最後に会話した時も、やはりそうだった。
「お前な、おれは事件の関係者に話を聞いてきてくれって言ったんだよ、それなのに何で、関係者にトラウマ植え付けて帰って来るんだ」
「事前に同意は取ったよ。無理やり暴いたわけじゃない」
「あのな、それで済むなら、世の中にクーリングオフなんてものは要らないんだよ」
霧島は呆れていた。それがどうにも不本意で、苛立った。
「そうかい、それならそうすりゃいいよ」
こんな風に苛々させる存在は、霧島だけだった。大抵のことには何も感じないのに、霧島に小言を言われると心が波立って、言葉を止められなかった。
「そうだ、そうすりゃいいんだ。素知らぬ顔で、何も知らなかった頃に、事件なんか起きなかった時に戻ればいいよ。できやしない癖に」
霧島がため息を吐くのを、無視して畳みかけた。
「何もなかった頃には戻れないのに、何が起きたかわからない。そんな状態でいるよりも、鬼が出るか蛇が出るか、知れるほうがずっといい」
「あのな」
「君もそうだっただろ」
これは常套句で、切り札で、禁じ手だった。こう言うと、霧島はいつも黙り込んで、背中を向けた。
この時も、そうやって会話は尻切れトンボになって、そのまま、霧島とは連絡が取れなくなった。
だんまりは、狡いよなあ。オトナのやることじゃないよ。
ノートパソコンをカーソルで揺り起こし、霧島のSNSアカウントにログインした。IDとパスワードの書かれたメモは、部屋に来て早々に見つけていた。ほんと、こういうところだよ、霧島。
霧島のアカウントには、五十を超える新規の投稿が寄せられていた。鬼、鬼、鬼。ざっと目を通してから、ノートパソコンの電源を落とし、立ち上がった。
しょうがないから、代わりにやっておいてやるか。本当は写真を撮りたいところだけど、それはまあ、状況次第だ。
「鬼」の話なら——まるきり他人事でもないし。
デスクに立てかけられている古いビニール傘をひと撫でして、部屋を立ち去った。
さあ。
あなたの「鬼」の話を、聞かせてください。
【影や道禄神】
東京の「影踏み鬼」のことで、「影や唐禄人」ともいう。互いの影を踏み合って遊ぶとき、手を打ちながら、「影やどうろくじん、十三夜のぼーた餅、さぁ踏んでみぃしゃいな」とはやした。昼間の太陽の影でもできるが、日中はあまり行わず、月明かりの影で遊ぶことが多かった。
携帯電話に着信があったのは、わたしが喫茶店の隅の席でノートパソコンを立ち上げた直後のことだった。
表示されている番号に見覚えはない。普段なら迷惑電話と判断して放置するところだけれど、今回は相手の見当がついていた。画面をタップして耳に当てると、耳当たりのよいハスキーボイスが流れてくる。
「もしもし、明良ちゃん?」
予想通り、相手は年上のいとこだった。二年前に会って以来それきりになっていたが、先週突然家に電話をかけてきたのだと母から聞いていた。わたしと連絡を取りたがっていたから、携帯電話の番号を教えたことも。
「ご無沙汰してます」
話しながらノートパソコンの画面をオフにして、時計を確認する。待ち合わせの相手からは十五分ほど遅れると連絡を受けているし、待つ間に手を付けるつもりだった資料も、締め切りはまだ先だ。入社して五年も経てば、仕事のペース配分も慣れたものだ。
「聞いたよ、明良ちゃん、商社の営業でバリバリ頑張ってるんだって? 男社会で大変じゃない?」
「いや、そこまででもないですよ。部署で初めての女性総合職ってことで、むしろ気を遣われてます。病院と違って、一応土日は休みですし」
「一応ってあたり、立派なワーカホリックだって」
いとこの笑い声に交じって、子どもの泣き声や診察への呼び出し放送が聞こえてくる。職場の病院から掛けてきているのだろう。土曜日だからといって、病人や怪我人は待ってはくれない。
「それで、どうしたんですか、急に」
「うん……実は、本当に急なんだけど……明良ちゃんのお祖父さんの家、売ることになったから、それを伝えようと思って」
「そうですか」
この話は、実は初耳ではなかった。いとこからの電話の件で母と話した時に、すでに聞いていたからだ。
祖父の家は数寄屋造りの古民家だ。あの家を訪れたのは二十年前のたった一度だけ。それでも、座敷の畳の匂いや軋む床の音をはっきりと思い出すことができる。
——忘れたくても忘れられない、と言ったほうが正しいかもしれない。
不意に、テーブルに影が差した。
顔をあげると、見知らぬ青年が立っていた。わたしと目が合い、微笑んで軽く会釈する。にこり、というよりは、にんまり、という形容が似合う笑い方だった。
「もしもし、明良ちゃん?」
「あ、すみません、今ちょっと、人と会っていて。終わったら掛け直します」
断りを入れて電話を切った時には、青年は向かいの席に座って注文も済ませていた。
「失礼しました」
「いえ、遅刻したのはこちらですから、僕のほうこそすみません」
青年は二十代後半くらいに見えた。残暑が厳しいこの季節に汗一つかかず、涼しげな表情を浮かべている。ゆるりとうねった髪に、襟ぐりが浅く広く開いたTシャツ姿で、メディア業界らしいカジュアルな雰囲気だ。微笑を浮かべた大きな口は、ピエロを連想させる。
「ご挨拶が遅れました、フリーライターの霧島です。アキさん、ですね?」
「はい」
「今回は企画に応募いただいてありがとうございます。さっそくですが」
「すみません」
流れるような霧島の口上に、声を張って割り込む。
「企画の件……辞退させていただけませんか」
「辞退、ですか?」
霧島の顔に困惑が浮かぶ。わたしはテーブルを覗き込むように頭を下げた。
「やっぱり企画の趣旨に合わない気がして……すみません、今更」
「そうですかね? そんなことないと思いますけど」
「とにかく、気が変わったんです。本当に申し訳ないんですが」
SNSで偶然見つけた参加型企画に応募したのは、今思えば完全な気の迷いだった。「現代の都市伝説」「あなたの体験した『鬼』の話を百字以内で聞かせてください」だなんて。
母からあの家の売却の話を聞いた直後で、動揺していたのだろう。初対面の人間にあの話を聞かせるなど、いつものわたしだったら考えもしない。
わたしの頑なな態度に、霧島は苦笑を浮かべた。
「うーん、困ったなあ。実は、決定権は僕にはないんですよねえ」
霧島はポケットから革の名刺入れを取り出すと、テーブルにひらりと名刺を一枚置いた。シンプルな書体で「写真家 桧山」と書かれている。
「写真家? それに名前……さっき、霧島さんって」
「すみません、僕は替え玉なんです」
霧島——否、桧山の口調や表情は、言葉ほど悪びれた様子でもない。
「替え玉?」
「ええ。霧島は僕の友人なんですが、あれは節操のない売文家でね。殺人事件から芸能ゴシップに女性誌のコラムまで、とにかく何でもかんでも依頼を受ける。そのくせ、手が回らなくなると人にぶん投げる。で、今回巻き込まれたのが僕というわけです」
桧山は、肩にかけていた大きなトートバッグからICレコーダーを取り出した。
「僕の今回の役割は、応募者の話をこれに録音するところまでなんです。実際に文章を書くのは霧島なんでね」
「はあ」
「だからまあ、ここであなたに降りられると、僕は成果物を提出できず、報酬も受け取れないことになるんですよ。ここまでの交通費も自腹の切り損だ。売れない写真家には手痛い出費ですねえ」
桧山の声は柔らかかったが、きっちり嫌味を含んでいる。
「それは……それなら、費用はこちらで」
「いえ、お金は結構です。それより」
桧山はICレコーダーを鞄に戻し、じっとわたしを見つめた。
「霧島には言わないと約束しますから、僕に話を聞かせてくれませんか?」
「……どういうことですか?」
「実はね。僕の目当ては報酬よりも、話そのものなんですよ」
「話?」
「僕はね、『鬼』を撮りたいんです」
食らいつくように即答したその一瞬、桧山の目つきが鋭くなったように見えて、わたしは視線をそらした。
「撮りたいって……あの、写真はちょっと」
「あ、いえいえ、何もあなたの顔写真を公表しようってわけじゃなくて」
こちらの機嫌を取るように、愛想のよい話し方に切り替わる。器用な男だ。
「『鬼』に出会ったと感じる瞬間の非日常感といいますか——そういう、普通ではない瞬間というものに興味があるんです。本当はその瞬間を撮りたいんですが、そうそううまくもいきませんから、せめて話だけでも聞きたくて。お願いできませんか」
「でも」
「それにあなただって、本当は話したいんじゃないですか?」
両目と大きな口が、三日月形に弧を描く。それこそ、この世のものならざる狐狸や化け猫の類のような、得体の知れなさを感じさせる。
「……どういう意味ですか」
「いえ、だってね。子どもの頃からずっと、誰にも言えずに抱えてきた。誰かに言いたい、でも言えない。そういう葛藤を吐き出すのに、身元のごまかしがきくSNSはぴったりですからね。特にあなたみたいに、人一倍頑張り屋で弱音が吐けないタイプには」
「何ですか、それ。ひとのことを勝手に決めつけて」
言い返す声が尖ってしまったのは、動揺したからだ。百字足らずの短い文章を何回も書き直し、「送信」を押した瞬間の迷いと解放感を、見透かされた気がした。
「わかりますよ、だってほら」
桧山は、テーブルに載せたままのノートパソコンを示した。
「週末までお仕事お疲れ様です。でもいくら仕事熱心でも、たまにはお休みしないと」
店員が桧山の前にアイスカフェラテを置いた。この店で一番大きいサイズだ。長居する魂胆が透けて見える。
「鬼の話を聞かせてください」は全4回で連日公開予定