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メンバーが揃った「生きづら会」で奈月はついに自分について話しはじめ……。試し読みでは、本作に出てくる「生きづら会」の様子がわかる章を一部おとどけします。本篇では語り手が抱えるコンプレックスや苦悩が明かされているので、書籍を要チェック!

 

「さっき、女性の前で恋愛や性的な話はできないって雄太さんが言ったとき、わたし、ちょっとショックだった。ガーンって感じ。だって、わたしは同じ女性とでも、そういう話はしたことがないから。男性でも女性でもダメなら、わたしはどうすればいいんだろうって、ショックで。ちがうの。雄太さんが悪いんじゃなくて、なんていうか、わたしは性別関係なく、自分の悩みを話したり、聞いてもらったり、そういうことが一生できないのかもしれない、ガーンって感じで。
 雄太さんは同性となら、性の話を抵抗なくできるのかな? わたしは、そもそも異性とはあまり接点がないからわからないんだけど、同性と、性のこととか体のこととかを話すのが昔からすごく苦手、というか苦痛で、そのせいで、女友達ができないのかなって思うときがある。
 ほら、“女同士ならいいじゃない”っていう文化があるでしょ? 女同士なんだから、裸を見せ合っても恥ずかしくないし、体のことや、その……月経について話すのも当たり前でしょ? みたいな。わたしは昔から、とにかくそういう“女同士”っていう圧力が苦手で。怖くて。女性が怖いとか、そういうわけじゃないんだけど。女友達はずっとほしいし。でも、何でも話せる、見せられるっていうとそうじゃない。だからいつも、どうやって同性と関係性を築けばいいのかわからなくて。
 それで思い出したんだけど。高校二年のときのことなんだけどね。
 学校は共学の普通科だったんだけど、二年生の時だけ女子クラスになったの。わたし、それまでずっと友達がいなくていつも一人でいたから、今度こそ友達を作ろうと、新学期がはじまって早々、いろんな人に話しかけたり明るくふるまったりして、すごく張り切ってた。毎回そうなんだけどね。最初はそうやっていろんな人と仲良くなるんだけど、すぐに見限られて一人ぼっちになる。
 でも、女子クラスだったからなのか、いつもとは違って、一学期の終わり頃になっても、一人ぼっちになることもなく、グループにも入って楽しく過ごしてた。やっぱり年頃だから、みんな男の子の話や、性の話ばかりしてて。内心すごく嫌だなって思ってたんだけど、仲間でい続けたかったから、わたしも積極的にそういう話をするようにしてた。 
 とはいっても、実体験の話なんかできないから、ふざけて言う感じ。いわゆる下ネタっていうやつ。下品なことをわざと言ったり、ね。わたしは昔からやせっぽちで胸が小さかったから、自分はぺちゃぱいだってことさらアピールして笑いをとってた。笑ってもらえないとすごく傷ついたし、でも、笑われてもみじめさと自己嫌悪で死にたくなった。今思い出しても、すごく恥ずかしい。いわゆる黒歴史ってやつ。でも、そうやって頑張ってアピールしないと、つまらない子って思われて、仲間外れにされそうで。とにかく、一人ぼっちにはなりたくなかったから。
 それで、二学期に入ってすぐね。同じグループの子が、副担任に体を触られたって言い出したことがあって。若い男性の先生で、かっこよくてみんなに人気の先生だった。その子が言うには、放課後呼び出されて、誰もいない教室で抱きしめられて、スカートの中に手を入れられたんだって。そしたら次々に、『わたしも呼び出された』とか『わたしも背中をさすられた』とか言い出して。みんなで訴えを起こして、副担任を退職に追い込もうって話になった。
 だけど、わたし、言っちゃったんだよね。『みんな、気のせいじゃない?』って。
 副担任をかばいたかったわけじゃなくて。わたしもね、実はその先生に、その、なんていうか、一回だけ、気のせいかもしれないけど、一回だけ、触られたことがあって。でも、認められなかった。自分が大人の男性から性の対象として見られてるのかもしれないってことも、ましてすごくいい先生だって思ってたその副担任が、そういうことをするってことも。認められないし、受け入れられないというか。だから、とても人に話すなんてできなかった。クラスメイトに『奈月も何かされたでしょ? 女同士なんだからなんでも話してよ』って言われたとき、気持ち悪くて仕方なかった。まるでその子からも、性的な目で見られているように感じちゃって。
 おかしいよね。女同士なのに。向こうはちっともそんな気はないはずなのに。おかしいよね。でもね、本当に気持ち悪くて仕方なかった。だから、言っちゃった。『みんな、気のせいじゃない?』って。
 その瞬間から、もうわたしだけ完全排除。わたし以外のクラスメイトが一丸となって、授業をボイコットまでして副担任を休職に追い込んだの。最近の言葉で言う、シスターフッドの団結って感じで、まるでドラマみたいだったなあ。みんな正義感に燃えて、一緒に高揚して、女同士の絆がより一層強まって。
 わたしはそれを、ずーっと一人で見てた。みんなからは完全無視。自分が幽霊にでもなったみたいだった。
 最近、よくあるでしょ。女同士で一致団結して男社会と闘っていくようなフィクション。ああいうのを見ると、胸が苦しくてたまらなくなる。わたしはああいう物語の一部にはなれない。だって、女のことが気持ち悪い女、なんて存在しちゃいけないもの。“女同士ならいいじゃない”っていうルールを受け入れられない限り、わたしはずっと一人なんだよね」

 そこまで話して、奈月は黙った。しばらくの間、まるで呼吸をとめているかのように口をつぐんでじっとしていた。やがて「ふーっ」と息を吐きだすと、へへっと笑った。
「なんだか、べらべら話しすぎちゃった。ごめんね」
「謝ることないよ」とすかさず薫が言った。「でも、話してみて、どう?」
「うーん、どうかな」奈月はなぜか天井を見上げる。「こんなこと、人に話す日がくるなんて思ってなかったから。話したくない、っていうより、考えないようにしていたことっていうか。でも、うん、そうだね、わたし、ずっと誰かに話したかったんだと思う。でも……」
「でも?」
「『もう三十七歳なのに、いつまでも学生時代のことにこだわって、バカじゃないの? そんなだから人生うまくいかないんだよ』ってダメ出しされそうで、とても人に話せないと思ってた。実際そう思わない? こんな三十七歳、わたしだけじゃないかな」
「そうは思わない。誰しも少なからずそういうところはあるんじゃないかな。それに、ダメ出しはしない。それをこの会のルールにしよう」
 二人のやりとりをながめながら、雄太は妙にドキドキしていた。奈月の話を聞いているとき、その話に引きずられるようにして、いろいろな思い出が脳裏をかけめぐっていた。自分もそれを話したい。そして、ダメ出しもアドバイスもなく、ただ黙って受け入れてほしい。そう思った。
 自分も高校入学直後、男子同士で話す下ネタについていけず苦しんだ。クラスの中心メンバーから存在しないものとして扱われたときの、幽霊になったような気持ちもよくわかる。
 俺もそういう話がしたい。聞いてほしい。けれど今はまだ、言葉が出てこない。
「あ、もう十時過ぎてる」奈月が言った。「今日はこのぐらいにしとこうか。なんだかお腹がすいちゃった」
 その瞬間、雄太の思考はピタッとストップした。思わず「嘘でしょ!」と声をあげた。
「お腹がすくなんてこと、あなたにもあるんですか? 茶碗一膳のご飯すら苦しそうに食べてるくせに」
 はははと奈月は笑った。「確かに、滅多にないかも」
「ちょっと、探してきますね」
 雄太はいそいそとキッチンに立った。食事の支度となるとついつい張り切ってしまう。なんとなく甘いものがいいような気がした。つい先日、業務用スーパーで大容量のハーゲンダッツバニラ味を入手していたことを思い出す。三つ小皿を出してそれぞれに盛り、たまたまそばにあったクラッカーを一枚添えてリビングに持っていく。ついでにそば茶も淹れなおした。
「たくさんしゃべって脳が疲れてるからか、アイスがとっても甘く感じる」
 アイスクリームを一口食べて、奈月はしみじみと言った。この人も、こんなふうにおいしそうに何かを食べることがあるんだ。そう思って、また少しドキドキして、雄太はとっさに目を伏せた。次から毎回必ず甘いものを用意しよう、と決意する。
 そしていつか。そう、すぐじゃなくていい。いつか。
 ずっと封印しているあの話をしよう。あの話。
 髪の毛の話。俺の、髪の話だ。