「男性は孤独に弱くひとりぼっちでいると生きる気力を失い、おかしくなる」40代独身・雇われコンビニ店長の春来は、誰かが投稿したつぶやきを見て不安に襲われる。周りを見ると、同じ中年独身はそれぞれ抱えるものがあり……。

『死にたいって誰かに話したかった』が好評の南綾子さんの最新刊『俺はこのままひとりぼっちで、いつかおかしくなってしまうんだろうか』は、就職氷河期世代の男女4人の10年にわたるつながりを通して、ひとりでも「腐らず」生きるヒントを描いている。

 恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表で、男性が抱える様々な問題も扱う文筆家の清田隆之さんのレビューで『俺はこのままひとりぼっちで、いつかおかしくなってしまうんだろうか』の読みどころをご紹介します。

 

俺はこのままひとりぼっちで、いつかおかしくなってしまうんだろうか

 

■『俺はこのままひとりぼっちで、いつかおかしくなってしまうんだろうか』南綾子/清田隆之[評]

 

なぜ男性は“ひとりぼっち”だと人生が詰むような恐怖を抱えさせられてしまうのか

 

 SNSで初めて本作のタイトルを見かけたとき、思わず「おお!」となった。これまで独身女性の苦悩を描いてきた南さんが、男性の孤独をどのように描くのだろうと、長年の愛読者として、また男性の問題を扱う書き手として、タイトルから勝手に内容を想像し、勝手に興奮してしまったのだ。しかし、読んでみるとその印象は少し違っていた。確かに独身男性の孤独も描かれていたが、それだけではなかった。というか、もっともっと奥深くにある問題を描き出している物語だった。それはあらゆる苦悩において諸悪の根源とすら言っていいかもしれない、家族という“制度”をめぐる問題だ。

 本作は桐山春来、衛藤夏枝、藤崎秋生、垣外内真冬という4人の男女を中心に物語が進んでいく。みんな独身の中年で、よき友人としてコミュニティを築いているが、それぞれの抱える困難や問題はなかなかにハードだ。春来は家業のコンビニで働きながら、売れない小説家として細々と執筆活動を続け、人生に行き詰まりを感じている。夏枝には医師の夫がいるものの、日々モラハラや経済DVのような仕打ちを受け、精神的に追い込まれている。秋生は同性愛者で、仕事にも恋愛にも恵まれた日々を送っているが、婚姻制度の壁に阻まれ絶望感に苛まれている。真冬にはヤングケアラーだった過去があり、現在も介護に追われ、そのせいで人生の大事な時間を棒に振ってしまったような感覚が残っている。

 結婚したい、でも婚活に乗り出す元気もない。自由になりたい、でも今の生活を手放すのも怖い。悠々自適に生きたい、でも恋人に永遠の愛を誓われてもみたい。これからは自分のために生きたい、でもひとりぼっちで死ぬのは怖い──。4人をこのように苦しめているのは、この社会に強固に組み込まれている家族というシステムだ。ある者はそれに縛られ、ある者は排除され、ある者は搾取され、ある者は参入障壁の高さに絶望させられている。

 本作では藤井聡太の活躍やカルロス・ゴーンの出国、東京オリパラや岸田内閣の発足など、現実世界の出来事ともリンクしながら2016年から2026年の10年間が描かれていくわけだが、それこそ四季をめぐるように経過する時間の中で、4人は様々な変化を体験する。コロナ禍、親の死、突然の妊娠、離婚、更年期障害、失恋、転職、メンタルの不調、職場のいざこざ、癌の発見など、次から次へと事件や問題が発生する中、死なず腐らず、それぞれもがきながら人生を再起動させていく様には思わず目頭が熱くなったし、それを下支えする4人の友情やケアのあり方は、同じ中年世代のひとりとして希望を感じるものだった。

 しかし、である。ここで生じている困難の多くは、突き詰めれば、社会が容認する家族像があまりに狭いこと、社会で担うべき問題を家族に押しつけすぎていることが原因のような気がしてならない。「結婚は男女でしてね」「子どもも作ってね」「男は働いて稼いでね」「女も働き、なおかつ家族の面倒も見てね」「何か問題が起きたら社会に頼らず家族でなんとかしてね」「それが正しい家族のあり方ですよ」と、制度や規範を通じて狭く旧来的な家族観を人々に押しつけているこの社会のあり方こそ、真に問い直されるべきものではないか。

「このままここでひとりぼっちで暮らし続けていたら、きっと、いや確実に心を病んでしまう。さみしさにすべてをむしばまれて、俺はおかしくなってしまう。幸せそうな人たちを憎み、攻撃的になり、すべての人から存在を疎まれるおっさん──それが十年後、いや五年後の自分かもしれない」(「2020年 春 間違えられた男」より引用)

 なぜこんなにも生きていくことのハードルが高いのか。なぜ友情というものには社会的な後ろ盾がないのか。なぜ多様な家族のあり方が認められないのか。なぜ男性は“ひとりぼっち”だと人生が詰むような恐怖を抱えさせられてしまうのか。4人の再生は言わば自助と共助の産物であり、その格闘の痕跡には大いに胸を打たれた一方、その背後にそびえる社会構造──より具体的に言えば、自己責任を強いてくる国家権力への怒りが募るような読書体験でもあった。