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 白塗りの女郎が道端にしゃがみ、尻を出して威勢よく小便をはじいている。
 近づいた長元坊にぎくっとしつつも、立ちあがって下からにらみつけてきた。
「あんた、覗き代をいただくよ」
 小便で濡れた手を差しだすので、長元坊は溜息をく。
ねえさん、山吹を知らねえか」
「ふん、知るかってんだ」
 よくみれば、とうが立った女郎だ。暗がりに控えた又兵衛をみつけ、算盤そろばんを弾くまねをする。
「二朱でどうだい。ふたりでもかまわないよ」
 長元坊は渋い顔をつくった。
「べらぼうだぜ。かさのある女郎を抱くなら、鼻を失う覚悟がいる。鼻代をさっ引けば、一銭も残らねえってはなしさ」
「遊ぶ気はあんのかい」
「ねえよ。山吹のことを教えてくれたら、こいつをやってもいいぜ」
 長元坊は口を開け、長い舌をぺろっと出した。
 途端に、女郎は眸子を輝かせる。
 舌のうえには、いちきんが載っていた。
「ねえ、海坊主の旦那、あさのことが知りたいのかい」
「海坊主とは恐れいったな。おれさまはな、長元坊というんだぜ」
「長元坊、ふん、おかしな名だね」
「まあいい。あさってのは、山吹のことだな」
「そうさ。素直で健気けなげな、いい娘だったよ」
 隠売所へ流れてきたのは、八年ほどまえだったという。それより二年前に品川宿の岡場所へ売られてきたが、やまいがちのせいで金離れのよい常連がつかなかったらしい。
「こんな吹きだまりに落ちて、よくぞ八年も耐えたものさ。とどのつまりは、こっぴどく折檻され、足抜けしちまったけどね」
「どうして折檻されたんだ」
「それこそ、瘡にかかって鼻を無くしちまったのさ。秘め事の最中に糝粉しんこ細工ざいくの付け鼻が取れて、びっくりした客が玉代ぎよくだいも払わずに逃げたんだよ」
「たったそれだけで、焼き鏝を押しつけられたのか」
 女郎は目をらし、独り言のようにつぶやいた。
「何もなくたって、焼き鏝は押しつけられる。ほかの悪党に取られないためさ」
「何だと」
「家畜と同じなんだよ。焼き鏝には『車』って字が彫ってある。ここの女郎だっていうあかしなのさ」
「抱え主は、剃刀の左銀次か」
「そうだよ」
「何処にいる」
「あそこさ」
 女郎があごをしゃくったさきは、細かく区割りのされた長屋の角部屋だ。
「ふうん、あそこか」
 長元坊は眸子を細めた。
 女郎が慌てて、袖をつかもうとする。
「あんた、悪いことは言わない、やめときな」
「そいつは、おれが決めることだ」
 長元坊は一分金を指で弾き、大股で歩きだす。
 この際、正面からぶつかってみてもよかろう。
 又兵衛は胸の裡でつぶやき、いわのような長元坊の背中にしたがった。
 区割りされた女郎の部屋は間口半げんに奥行二じようと狭く、のみの住む蒲団ふとんと小さな行燈しかない。抱え主の部屋はそれよりも広いが、三和土たたきも入れて四帖半の板の間にすぎず、南京なんきんむしの好みそうなえたにおいを漂わせていた。
「ちょいと邪魔するぜ」
 長元坊は気軽な調子で戸を開け、三和土に一歩踏みこむ。
 部屋にはふたりおり、ひとりは月代の伸びた悪相の浪人だった。用心棒に雇われた野良犬であろう。火鉢ひばちを挟んで酒を呑む猪首いくびの四十男が、剃刀の異名を持つ左銀次にちがいない。
 なるほど、さん白眼ぱくがんめつける目つきが尋常ではなかった。
「誰でえ、おめえは」
「ご挨拶だな。客ならどうする」
「買った女郎に何かあったのか」
「秘め事の最中に糝粉細工の鼻が取れちまったと言ったら、玉代に迷惑料をつけて払ってくれんのか」
「払わねえよ」
 左銀次が目配せすると、用心棒がすっと立ちあがった。
「おっと、そうくるか」
 長元坊は身構え、だっと三和土を蹴りつける。
「うおっ」
 ふいをかれた用心棒は刀を抜くこともできず、巨漢の突進をまともに受けた。
 ──どすん。
 部屋が大揺れに揺れ、白壁に背中を叩きつけられた用心棒は白目をいた。
 振りかえった長元坊は手を伸ばし、った左銀次の喉首のどくび鷲掴わしづかみにする。
「ぬぐっ……ぐ、苦しい」
「苦しいだろうさ。でもな、山吹の苦しみにくらべたら、みてえなもんだ」
 手を放してやると、左銀次はげほげほきこんだ。
 そこへ、又兵衛がぬっと顔を出す。
「げっ、もうひとりいやがった……て、てめえら、何者だ」
「何者でもいい。問いにだけこたえろ」
 又兵衛は雪駄のまま板の間にあがり、火鉢の脇にかがんで声を落とす。
 落ち着き払って静かなだけに、かえって凄味すごみがあった。
「あさに山吹という源氏名を付けたのは、おぬしか」
「いいや、おれじゃねえ。品川の岡場所にいたころからの源氏名だ。名付け親は、太刀魚の元締めさ」
「茂平か」
「ああ、そうだよ。茂平の元締めが言ってた。十年前、あさが十五で連れてこられたとき、商家の娘が着るような山吹模様の振袖ふりそでを着ていたってな」
 何故なぜか、又兵衛は黙りこむ。
 ごくっと、長元坊はつばを呑みこんだ。
 左銀次はえりを直し、ひらきなおってみせる。
「あさがどうしたってんだ。あいつは駆込みをやって、死んじまったんだぜ」
「ほう、よく知ってんな」
 長元坊が睨むと、左銀次は首を引っこめた。
じやの道はへびってことさ。あんたら、死んだ女郎のことなぞ調べて、どうする気だ」
「どうもせぬさ」
 又兵衛は声を一段と落とす。
「もうひとつだけ聞いておこう。十年前、茂平のもとへあさを連れてきたのは誰だ」
女衒ぜげん親爺おやじさ。もう、死んじまったがな。でも、親爺は言ってたぜ。あさはとんでもねえ悪党どもにかどわかされた娘だってな」
「とんでもねえ悪党とは」
いな伝五郎でんごろうさ」
 押しこみに殺しに拐かし、一時はかん八州はつしゆうに名をとどろかせた悪党一味の頭目とうもくだが、近頃はとんと名を聞かなくなった。
「知ってのとおり、鯔は出世しゆつせうおだ。ひょっとしたら、ぼらかとどにでもなっちまったかもな。へへ、太刀魚の元締めなら、何か知っていなさるかもしれねえ。何しろ、悪党のことで知らねえことはねえからな」
 もはや、この男に聞くことはない。
 又兵衛はすっと立ちあがり、代わって長元坊が身を寄せる。
「おもしれえもんをみつけたぜ」
 握っているのは、先端に鏝のついた細長い鉄の棒だ。
 長元坊は鏝を火鉢に突っこみ、にやりと笑ってみせる。
「げっ、何しやがる」
 狼狽うろたえた左銀次の裾を踏み、長元坊はどんと腹に蹴りを入れた。
 小悪党がうずくまるあいだも鏝を焼きつづけ、頃合いをみはからって火鉢から取りだす。
 鏝は真っ赤になり、じじと音をてた。
「……た、たのむ、勘弁してくれ」
「いいや、勘弁ならねえ」
 言ったそばから、長元坊は焼き鏝を持ちあげる。
 左銀次を仰向あおむけにさせ、額にぐいっと押し当てた。
「ぎゃああ」
 断末魔だんまつまのごとき悲鳴が露地裏じゅうに響きわたる。
 気を失った小悪党の額はただれ、左右の目玉が半分出かかっていた。