翻訳の仕事は、日本語に訳せる語学力があればいいというだけではない。原語を読み込み、資料を紐解き、表現を吟味ぎんみする。言葉の美しさやニュアンスを習得するために、詩集や時には難しい評論などにも目を通す。ひとつの仕事を誠実にこなすと、次の仕事が貰える。可絵はそうやって地道な繰り返しを続けてきた。
 じっくりと取り組めるほどの時間が貰えるわけでもない。本づくりは常に時間との闘いでもある。忙しいのを言い訳に、家事は後回しになっていたし、正直、暮らしのことにはさほど興味もなかった。食事なんてコンビニで十分だと思っていた。
 でもステイホームが求められ、一日のほとんどを家で過ごすようになった。もともと定期的に出社をする仕事ではなかったとはいえ、カフェや図書館で作業をすることすらなくなった。
 世間でも、きらびやかさよりも、家で穏やかに過ごす、いわゆる「おうち時間」を充実させることがもてはやされるようになった。
 可絵ももうすぐアラフォーと呼ばれる年齢を迎える。世の中が新しい生活スタイルへとシフトしているいまこそ、食べものや暮らし方にも気を配る生活に変えていくチャンスなのではと思い、ライフスタイル系の通販サイトやSNSをチェックするようになった。
 sayoさんの投稿に出会ったのはそんな頃だ。
「ていねいな暮らし」
 可絵はつぶやいてみる。すると自分がその住人の一員になれたような気がして、くすぐったくなった。誰も見ていないのに照れくさくなって、肩をすぼめた。

 鉄のフライパンは手入れが大変だ。
〈鉄のフライパン 使い方〉と検索アプリの画面に打ち込むと、たくさんのサイトにヒットするが、書かれていることはだいたい同じだ。
 使い始めはたっぷりの油を注ぎ弱火で加熱する「油ならし」という工程が必要で、使い終えたらすぐに洗って火にかけて水分を飛ばし、熱いうちに油を薄く塗る。そうしないとび付いてしまうらしい。
 もちろん「ていねいな暮らし」の上級者には、こうした昔ながらの道具を手間ひまかけて使いこなしている強者も多い。
 でもsayoさんの投稿によれば、彼女が紹介しているこのスキレットは、伝統の製法ながらも現代風に使いやすくなっていて、面倒な前処理なく気楽に使えるそうだ。手入れや管理も乾燥だけを心がければいいという。そのあたりのほどよいゆるさもsayoさんのモノ選びの魅力の一つだ。
 浮き立つ気持ちのまま可絵が段ボールを開けると、もうひとまわり小さな箱が半透明の緩衝材に包まれて入っていた。その上に小さな平たい紙袋がチェック柄のマスキングテープでちょこんと留められている。中には領収書と通販ショップのカード。カードには手書きのメッセージが添えられていた。
〈このたびは当店の商品をお迎えいただき、とても嬉しいです。小橋さまの豊かな暮らしのお手伝いができますように〉
 几帳面な文字が並ぶ。購入者ひとりひとりに書いているのだ。こうした商品を扱うショップまでもがていねいな暮らしの世界に存在している。
 可絵はすっかり感心してしまった。
 子どもの頃ならプチプチとつぶして遊んだであろう緩衝材を外し、箱の蓋を開ける。すると、白い薄紙に包まれた商品が鎮座していた。
 過剰包装、という言葉が頭をよぎったが、その考えを払うように首を振る。ていねいさや手間とはこういうものなのだ。
 白い薄紙の中から、ようやく真っ黒い鉄器が顔を出した。
 ──素敵。
 艶消しの黒い肌は深い海のよう。無駄のないスタイリッシュなデザインなのに、ぽってりとした丸みを帯びていて愛嬌あいきようもある。両手で持ち上げ、いとおしむようにさすった。
 ちょこんと付いている持ち手は小さく、片手で持つには重い。フライパンを振って料理をする、というよりも、コンロに置いたまま調理をするのに向いているのだろう。
 可絵はスキレットをいったん箱に預け、冷蔵庫から生餃子のパックを取り出した。今日の午前中に商品が届くように時間指定をしていたから、昨夜のうちにスーパーで買っておいたのだ。
 さっと水洗いをしたおろしたてのスキレットを、コンロに置く。ひとり暮らし用のキッチンにもぴったりの小ぶりなサイズだ。火にかけると、表面の水分が泡のようになってコロコロと踊った。
 水滴がなくなったところで大さじ一杯のゴマ油を引き、餃子を中心から円を描くように並べた。行儀よく同じ方向を向いた餃子は風車の羽根のようで、いまにもぐるぐると回り出しそうだ。その羽根のまわりにカップ半分くらいの水を注ぐと、スキレットがジュッと音を出し、白い煙を立ちのぼらせた。
「中火にして、水分が飛んだところで仕上げのゴマ油をまわし入れて完成ね」
 餃子のパッケージに書かれている焼き方を読み上げながら、スキレットの中を覗く。ぶくぶくと湯がき、餃子のまわりを包んでいく。その湯がとろりと粘り気を帯びて、鍋底の漆黒の肌が見えてきたところで、ゴマ油を全体にかけて火を止めた。
「さてと」
 フライ返しを差し入れて皿に移そうとしたところで手が止まった。フライ返しが餃子の下にうまく入らない。こびりついてしまっているのだ。別の方向から入れてみてもダメだ。
 鉄は熱を伝導しやすい。火を止めても熱さが持続する。それが魅力だといわれているけれど、いまはそれどころではない。げた臭いと煙がキッチンに充満する。
「熱っ」
 焦って持ち手に触れ、慌てて体をひいた。スキレットは柄の先まで鉄製だ。火にかけたあとは、素手ではとても持てない。専用の鍋つかみがネットショップに並んでいたのはそのためだ。シンクの流水に指先を当てながら、そんなことにいまさらながら気づいた。

 起床は日の出に合わせる。朝日の光を浴びて体を目覚めさせると精神面にもいいらしい。起き抜けにコップ一杯の白湯さゆを飲む。軽くストレッチをしてから瞑想。姿勢を正して目を瞑り、呼吸に集中すると頭がすっきりする効果がある。マインドフルネス、とも呼ぶそうだ。そのあとでタンパク質に気を配った朝食をしっかりとって、身支度を終えた頃に、ようやく世の中が動き出す。
 それらは〈ていねいな暮らし〉のハッシュタグが付けられた多くのページで〈モーニングルーティン〉というキーワードで紹介されている。
 可絵も見習って取り入れてはいるが、こうした朝の習慣が快適か、と問われると返答に詰まる。むしろやるべきことに追われ慌ただしい。ひとつひとつをていねいに、とは案外労力をともなうものだと知った。

 餃子の中身が散乱したスキレットを前に、可絵は肩を落とした。皮から具がはみ出したそれは、もはや餃子ではない。じんじんとする指先を気にしながら、中身をスプーンでこそげ落として口に放り込んだ。その頃には持ち手からすっかり熱がひいていた。
 シンクに持っていき、スポンジでごしごしこすり落とすと、ようやく焦げ付いたところがはがれた。再びコンロの火にかけ、水滴が消えていくのをぼんやりと眺める。何度も暗唱した使用後の工程だ。使いこなすのをあんなに楽しみにしていたのに、もはやただ面倒なだけの作業になってしまった。
 ──疲れたな。
 スマホの画面には、色よく焼けた餃子の画像が表示されたままだった。それを閉じ、ブラウザーの検索画面に〈疲れに効く〉と入力してみる。一番上に出たページをクリックすると〈免疫力を高めましょう〉という題字の下に、おすすめの食べ物やストレッチ、ツボなどが紹介される記事が続いていた。
「免疫力か……」
 そのページにブックマークをつけてふたたびトップ画面に戻ると、メールのアイコンに受信を示す赤いマークが灯っていた。