宅配ボックスが欲しい、と可絵はつくづく思う。コインロッカーのような形状の集合住宅用の設備だ。そうすれば留守時にも気がねなく荷物を届けてもらえる。
しかし中央線沿線にある管理費込み家賃六万八千円で可絵がひとり暮らしをしているこのマンションには、そんな便利な設備はない。
最近は非接触の観点から、「置き配」という対面で受け渡しをせずに部屋の前やエントランスに置いてくれるサービスもあるが、それも少し不安だ。もちろんマンションの住人を信じていないわけではないけれど、知らないうちに部屋の前に段ボールが置かれるのは、誰かに見張られているようで、そこはかとなく怖くも感じる。
「少し重いですよ」
部屋の前で受け取りのサインをすると、お互いの体が近づきすぎないよう、マスク姿の顔をよけながら小包が手渡された。縦三十センチくらいで厚さも手のひらを横にしたくらいの小さめの段ボールだったのに、受け取ると、なるほど、ずしりときた。
「ありがとうございましたー」
くるりと振り返って、てきぱきと階段を降りていく縦縞のうしろ姿に、
「ご苦労さまです」
と声をかけた。
部屋に戻るとマスクを外すのもそこそこに、ガムテープの端に手をやる。ビーッという小気味のよい音が可絵の心の高ぶりを刺激した。
通販でモノを買うことが増えた。これまではデパートや専門店に足しげく通っては、あれやこれやと商品を見て悩みつつ選んでいたが、いまではネット上に「足しげく通って」は、あれやこれやと選んでいる。
もちろん便利にはなったけれど、現物を見るのは届いてからだ。特に洋服なんかだとインターネット上の画像で見たよりもペラペラの生地だった、とか、印象よりも沈んだ色でがっかりすることが多い。雑貨類でも思いのほか作りが粗かったり、寸法を確認していたとしても、手に取ってみたら使い勝手がいまいちだったりして、結局使わずじまいのものもある。
そうやって失敗を重ねて学んでいくのだろうが、可絵はこのバーチャル空間での買い物にいまだにうまく順応していない気がする。
でも、そんな可絵をサポートしてくれる強い味方がいる。
宅配便を待つ間、仕事もせずに眺めていたスマホがテーブルに置きっぱなしになっていた。それを取り上げ、SNSのアプリを開いた。
可絵はアカウントを取得してはいるけれど、自分で投稿することはない。もっぱら見る専門だ。アプリには気に入ったページをフォローすると、更新のたびに通知が届く機能があるが、それも使っていない。気になるページを順に眺めていくほうが、性に合っている。
まっさきに、いくつかのお気に入りの中でも、欠かさずチェックしているsayoさんのページを開いた。艶のある板張りの部屋に、古い足踏み式のミシンが置かれた写真をタップした。
フォロワーが何千人もいるような超人気のアカウントではないけれど、たまたま「おすすめ」に表示されていたのがきっかけで、よく訪れるようになった。
訪れる、といってもページを見に行くだけのことだが、あまりに頻繁に見ているせいか、実際に足を運んでいる気分になるくらいに彼女の暮らしぶりを熟知してしまっている。
中古マンションをDIYで改装したという部屋はどこもすっきりと整えられ、無駄なものが見当たらない。にもかかわらず殺風景には感じられないのは、持ち物を極限まで減らす、いわゆる「ミニマリスト」とは一線を画しているからだ。
どっしりとした革張りのソファーは座り心地がよさそうで、星型のペンダントライトの光が部屋全体をやわらかく包んでいる。壁沿いに置かれた昔の小学校にありそうな木のスツールには、草花が細長い瓶にさりげなく生けられたりもしている。
窓には薄い生地のカーテンが無造作に吊るされているが、これも真似しようとしたら、単にだらしなくなるだけだ。おそらく計算し尽くされたバランスとセンスのなせるワザなのだろう。
最新の投稿に写っているミシンは、祖父母の家の倉庫に眠っていたものを譲り受けた、とコメントが添えられていた。
投稿を見る限り、sayoさんは可絵よりは少し年上の女性のようだ。家族や仕事への言及はないけれど、食器の数やキッチンの造りから、たぶんひとり暮らしだ。自撮りの写真もなくルックスもわからないが、きっとナチュラルな健康美を持つ人だろう、と想像する。心身ともに穏やかに暮らす。可絵もそんな生活に憧れ、勝手に人生の先達として崇めている。
ミシンの写真をいったん閉じ、ずらりと並んだ過去の投稿から、一枚の画像を選んでタップする。一ヶ月ほど前にアップされていた、小さな鉄製のフライパンの上で美しい焼き目を見せている餃子の写真だ。
〈南部鉄器のスキレットで餃子を焼く。ジューシーでカリッとした食感は鉄鍋ならでは〉
写真に添えられたそんなキャプションの下に、ハッシュタグと呼ばれる#のマークを頭に付けたキーワードが並ぶ。このハッシュタグを使うと、アプリ内を横断して投稿を同じジャンルに分類することができるのだ。南部鉄、鉄のフライパン、餃子、それからこのスキレットと呼ばれるキッチングッズのメーカー名や商品名なども#のマークとともに記されていた。
こうしたライフスタイルを中心に発信するSNSでは、キャプション内に商品名が直接書かれていたり、販売店のリンクが貼られていることが多い。
すぐにその商品が欲しい人にとっては便利な機能ではあるけれど、可絵はそういう投稿を目にすると、少しだけ興ざめしてしまう。素敵なモノを知っていて使っているんだということをアピールしたい、そんな主張がそこはかとなく垣間見える上に、場合によっては宣伝のようにも感じてしまうからだ。実際、人気のアカウントでは、企業からのタイアップなどで収入を得たりもするらしい。
でもsayoさんは違う。こうして控えめに、でもちゃんと知りたいことは教えてくれる上品さがある。そんなところも可絵は気に入っている。
それだけにsayoさんがおすすめしていたり愛用していたりする商品には信頼がおける気がして、自分でも使ってみたくなる。これまでも竹のせいろやほうきといった日本の手仕事を中心に、いくつかのおすすめ商品を買ってみた。
sayoさんの投稿のキーワードはいつもこんな言葉で締められている。
〈#ていねいな暮らし〉
濃いブルーで表記されたその文字列をクリックすると、画面内にぎっしりと正方形に切り取られた写真が並んだ。
同じハッシュタグを付けられた投稿は、このアプリ内だけで何万にも及ぶようだ。家具やインテリア、料理、雑貨、花。中には文字だけのものや部屋全体を写した画像や、料理の工程を追った動画もある。投稿する人によって写真の雰囲気や表現方法はさまざまだが、どれもひと手間かけることの大切さ、それによって得られた豊かさや素晴らしさが画面越しに伝わってくる。