第一話 自己肯定力を上げるやかんコーヒー
これはある街の奥にひっそりと佇む小さなカフェの物語です。
その店「喫茶ドードー」は、駅からまっすぐに続く坂道をのぼりきり、ひとつめの交差点を入って少しだけ歩いた先の路地。その突き当たりにあります。
路地の入り口には小さな看板が出ているのに、気づく人はあまり多くありません。界隈はごくありふれた住宅地だけれども、ここだけ鬱蒼とした木々に囲まれています。そのせいでしょう。都会の喧噪から少しだけ遮断されたように感じるのです。
訪れた人はこの店を「森のキッチン」なんて呼んだりもします。
その「森」の木々……といっても楓や楡といったごくありふれた樹木の、その葉の隙間を通して、明るい日差しが「喫茶ドードー」の庭先まで届いています。
そろり、と名乗るこの店の主は、さっき焙煎屋で仕入れたばかりのコーヒー豆を、クラフト紙の包みから緑色の缶に移し替えているところです。鼻に届いた香りを体中に巡らすように、深く息を吸い込んでいます。
「馨しい……」
あたかも何かの宣告をするかのようにつぶやいてから、自分が下した判決が寸分たりとも違わないと確信していることを示すために、力強くうなずきました。
──苦みは強め。でも酸味は少ないほうがいい。
そんなふうに注文してブレンドしてもらい、メニューに合わせて粗く挽いた豆です。豆の種類や産地はもちろんだけれど、焙煎の程度にも味は左右されるでしょうから、同じ品種だからといって、味が同じわけではありません。ましてやブレンドともなれば、お店の個性といえるでしょう。
そろりは思うのです。
すっきりとした味わいを好む人もいれば、ガツンと濃くなければ飲んだ気がしない、という人もいます。ミルクや砂糖なしでは飲めない、といったとしても呆れられることはないでしょう。美味しい、と感じれば、それがとびきりの逸品になる、と。
抽出のやりかたによっても味は変わります。電動のコーヒーメーカーやサイフォン式、フィルターを使ったドリップコーヒー……。それだって、紙のフィルターを使うかネルの布製かでも違ってくるし、淹れ立てをそのまま飲むだけでなく、深煎りした豆をエスプレッソメーカーで淹れてからお湯で薄める「アメリカーノ」っていう飲みかただってあるのです。
「アメリカーノ?」
そろりは独り言をつぶやいて首を傾げました。
エスプレッソ用の豆と道具を使う「アメリカーノ」に対して、浅く煎った豆で抽出したり、ドリップしたコーヒーにお湯を足し、薄めて飲んだりするのが「アメリカンコーヒー」です。
気になったのはそこではないようです。
「どっちも淡泊な味わいってことだよね。アメリカの人って薄めのコーヒーが好きなんだろうか」
そんなことに気を取られていたせいでしょう。
「わっ」
筒状にすぼめたクラフト製の紙袋のふちが、緑の缶の口からずれて、豆がこぼれてしまっているではないですか。キッチンのテーブルトップに、コーヒー豆のこんもりとした小山が出来上がっています。
「あー、もー」
先ほどまでの裁判官然とした態度はどこへやら、そろりは顔をしかめて、地団駄を踏みます。
ため息をつきながら、こぼれたコーヒー豆を用心深くスプーンで掬って、食器棚から出した小皿に入れました。
そんなそろりの姿が可笑しいのか、森の木々が風に揺れ、ざわざわと音を立てています。そろりが顔を上げると、それを合図にしたかのように、夕暮れ間近の光がキッチンのターコイズブルーのタイルを照らしてキラリと反射しました。途端に古材に囲まれた店内が、やわらかな空気に包まれました。
カウンターには五つの椅子。それから庭にアウトドア用のテーブルセットがひとつ。そんな小さな店です。
でも、がんばっている日常から、ちょっとばかり逃げ込みたくなる。そんなときに、ここをふらりと訪れてくれる人がいるのです。
なかなか見つけづらい場所にあるのに、ちゃんと辿り着けるのは、もしかしたら元気いっぱいなときと疲れたときとでは、見える風景が違うのかもしれませんね。この店は変わらずいつもここにあるのですが。
ところどころ白いペンキがはげた窓枠にそろりが目をやると、生い茂った木々の向こうに人影が見えました。
どうやら今日も肩に載った荷物をおろしたいお客さんが来たようです。
「さて、今宵も開店だ」
そろりはホーローのやかんに水を満たして、コンロの火にかけました。
宅配便の午前中指定というのは、おおむね八時台からをいうらしい。
八時前にはしっかりと身支度を終えてスタンバイしていたけれど、一向に荷物が届かない。もしかしてチャイムの音に気づかなかったのだろうか、と不安になりはじめたところでインターフォンが鳴った。
手元のスマートフォンで時刻を確認すると十一時五十七分だった。
「はーい」
リビングの壁に設置されているドアフォンの通話ボタンを押しながら答える。
「ミナト運輸です」
チャイムが鳴らされると自動的にカメラが作動してエントランスを映し出す画面では、縦縞のユニフォーム姿の男性が小包を片手に立っている。
小橋可絵は操作盤のボタンを押して、オートロックを解除した。
待ち時間にやろう、とテーブルに広げた原稿は、最初のページから全く進んでいない。
大学時代に出版社でアルバイトをしていた。海外の翻訳本を主に刊行している部署だったため、英文科に在籍していた可絵も応募できたのだが、主な仕事は書庫の整理や郵便物の発送といった雑用だった。でもまれに印刷前の原稿に手を入れる手伝いをさせてもらえることがあった。原文と照らし合わせたり、編集者や校正者の指摘を書き加えたりする作業だ。子どもの頃から海外の児童文学を読むのが好きだったけれど、それを仕事にできるとは考えてもみなかった。憧れが強くなったのは、実際にプロの翻訳原稿を目にするようになってからだ。
バイト時代のつてで、卒業当初から少しずつ翻訳の仕事を貰えるようになった。最初の頃は他の仕事と兼業しながらだったけれど、三十歳になるあたりから、なんとか翻訳だけで生活が成り立つようになった。
それから五年。ようやく自分なりの仕事のペースが掴めるようになってきた。