訪れる様々なお客さんの悩みやモヤモヤを、店主の優しいメニューが癒す「喫茶ドードー」シリーズ。待望の第3弾『いつだって喫茶ドードーでひとやすみ。』が刊行された。それぞれに葛藤を抱える四人の女性や、店主「そろり」の心情が描かれる本作。執筆の背景や物語に込めた思いを著者の標野凪さんにうかがった。

取材・文=立花もも 撮影=川口宗道

 

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どんなに相手が「よかれと思って」言った言葉でも、傷ついたのならその気持ちを認めていい。

 

──本シリーズは、1巻目からコロナ禍を描いています。自粛とか、不要不急とか、自分で決めなくてはならないことが増えて、「正しさ」に縛られてしまう人が増えたような気がします。

 

標野凪(以下=標野):私自身が飲食の仕事をしていることもあって、1巻を書き始めたときは、迷いのさなかにいたんです。当たり前だけど、お店で感染者を絶対に出してはいけないと思うと、ピリピリして、ちょっとでもお客さん同士が会話していれば止めて、アクリル板を置いて。お客さんが抱く不安の芽を一つでも摘みたいという一心でしたが、それが正しかったかどうかは、今でもわかりません。お客さん一人ひとり「こうするべきだ」の基準も違いますからね。お店のことはおいても、新しい生活様式とか、ワーケーションとか、なんとなく聞こえのいい言葉とともに選択肢が増えて、どうすればいいのかわからなくなっている人も多いような気がしました。そんな「今」の変化を、3巻を通して描けたのはよかったなと思っています。

 

──とくに渦中にある1巻で、主人公のひとりが、コロナ禍に対する姿勢の相違で、SNSでフォローしていた人にネガティブな感情を抱く場面がありました。その相手を主人公にした短編も収録することで「それぞれの立場で事情と想いがある」ということを描いていたのが、とてもよかったです。

 

標野:どちらが正しい、というつもりもなく、ただ、一方から見て善悪を決めるということが私自身、とても苦手なんです。「もしかしたらこういう事情があるかもしれないよ」と言いたくなってしまう。どんなに素敵な人も、ネガティブな感情を抱くことが当然のようにあるのと同じで、人は一面だけで決められるものではない。「なんかいやだな」と思った相手にも何かしらの事情はあるだろうし、逆に、自分にはいいところなんて何もないと思っていても、そんな自分の仕事……たとえば1巻なら、翻訳した本が誰かに届いて救いとなっているかもしれない。だからできるだけ、物語のなかでは両面を描きたいと思っているんです。

 

──3巻でも、そろりがパン切りとフルーツナイフの両刃をもった包丁を披露するのを見て、美玲が「物事には両面がある」のだと気づく場面がありました。

 

標野:もちろん、だからといって嫌いな相手を好きになる必要はないし、2巻でも書いたように、どんなに相手が「よかれと思って」口にした言葉でも、傷ついたのならその気持ちを認めていい。相手をいつだって慮る必要もありません。ただ、私が物語を書くうえでは、常に意識しておきたいところではあります。

 

──標野さんの物語は、相手の事情だけでなく、その人の傷つきも決してないがしろにしないから、言葉が響くのだと思います。3巻で、女性の生きづらさを描きながらも、男女平等が推進された北欧では男性のつらさが増えている、というお話があったのも、よかったです。

 

標野:それもまた、両面あるということですよね。もともとこの小説は、担当編集者さんのように、毎日を頑張っている女性たちを束の間癒せるものにしたい、と思ったところから始まっているので、主人公はみんな女性。私自身も女性なので、やはりどうしても社会における不平等や、女性ならではの苦しさを意識的に描いてしまいますけれど、そこが解決されればそれでいいのか、という視点も忘れずにいたいなと思っています。

 

──そもそも、店主のそろりも男性で、何かに傷ついて喫茶ドードーをオープンさせた人ですしね。実は主人公たちと同じくらい、彼も迷いのさなかにいるのだということが、3巻では描かれていました。

 

標野:飲食を営む者として、お客さんがたくさん来てくれるのはうれしいけれど、大事にしたいお客様……そろりにとっては、ドードーの絵を描いてくれた睦子のような存在を、招き入れることができないときもある、というジレンマが生まれるのも事実で。もともとそろりは、喫茶業に骨をうずめるつもりもなく、人生の夏休みとして始めただけ。アフターコロナとなった3巻で人気店となり、ひそやかにひっそり一定数のお客様のためだけに、というスタンスを貫けなくなったそろりの心情は、実をいうと、いちばん私に近いものがありました。

 

──どうしても接客業はお客様ファーストであることを求められがちですが、誰だって仕事のために生きているわけではなく、自分らしく生きるための軸の一つとして仕事があるのだ、ということも、そろりを通して描かれていたのがよかったです。

 

標野:のろまという意味をもつドードーのように、みんな自分のペースで、足踏みしながら少しずつ前に進めばいいんじゃないかなと思います。ずっと同じ場所で頑張り続けられるのなら、それはそれで素敵なことだけど、そもそも私が喫茶ドードーを書いたのは、頑張りすぎている人たちの逃げ場になったらいいなと思ったから。逃げ場には、永遠に身を置いていられないものですし、考え方も変われば、居場所も変わっていくかもしれない。それでいいんだと、読んだ人が少しでも前を向ける小説になってくれていたらうれしいですね。どんなに努力しても、誰も傷つけないように真摯に向き合っていても、現実を生きていれば必ず、打ちのめされる瞬間がくる。でもそのショックを越えて、立ち上がる強さを、きっと誰しももっているはずだから。その強さをとりもどす休息の時間を、喫茶ドードーで得ていただけたらいいなと思います。

 

【あらすじ】
どんなにがんばっていても、やりきれない気持ちになるときもある。他人と自分を比べて嫉妬してしまうアパレル会社勤務の女性、白黒つけてしまいがちな保険会社勤務の女性……おひとりさま専用カフェ「喫茶ドードー」には、さまざまなお客さんが訪れる。彼女たちは、店主の作る「あなたの悩みに効くメニュー」と言葉にそっと背中を押され、自分の力で悩みに答えを見つけていく——。喫茶ドードーが今日もがんばっている人の居場所になりますように。心がほぐれる連作短編集、シリーズ第三弾!