「シーケンの青江さんは、あれ、いくつだと思う」
「歳ですか?」
 泰介が頷くと、部下の野井は考えるように腕を組んだ。
「三十はいってますよね。私よりは一回りは若いと思いますんで、三十二、三ってところじゃないですか?」
 泰介も大体同じような見解だった。もう少し若い可能性もあるが、いずれにしてもあまり好感の持てない人物だ。食後のコーヒーにミルクを垂らしながら、不快な思いが溶けてくれるのを待つ。
 打ち合わせ後、すぐ本社に戻ると言っていた研究開発担当を東内駅で落とし、泰介と野井の二人は近くのファミリーレストランで昼食をとることにした。時刻は十二時五十一分。空腹だったはずなのだが、いささか控えめな量のスパゲティを食べただけで満たされてしまった。先のコンテナハウスの件が食欲をいくらか減退させている。
「あれは、厳しい闘いになりそうだな」
「コンテナハウスですか?」
「言うほど安くあがらない。それに――」コーヒーをかき混ぜたスプーンをソーサーに戻す。「支社で年間二十四棟が目標だそうだ」
「に、二十四?」
「本社の肝煎りだからな」
 野井は目を閉じると、ぎゅっと顔を歪めた。大善支社の営業部門を統括しているのは部長である泰介であったが、実際的にコンテナハウスの営業を行うのは戸建て住宅部門であり、そこの長であるのが課長の野井であった。頭が痛くなるのも無理はない。
「うちの研開も研開ですけど、もうちょっと、青江さんが……ね」
 それ以上は言わずともといった雰囲気で、野井は苦笑いを浮かべる。
 苦笑いは泰介にも伝播した。「何だろうな、あれは」
「何なんでしょうね」
「世代なのかね」
 こういったことは可能ですかね、もう少し譲歩していただけませんかね、この部分をもう少し変えていただけるだけでだいぶ売りやすくなるのですが――大帝ハウス側のあらゆる要望に対して、シーケンの青江は考える素振りもなく無理ですを繰り返し続けた。
「こういうことを言うこと自体がタブーになりつつあるのが問題なんだが、どうして最近の若い子ってのは『頑張る』ってことをしないのかね」
「わかります。三十五以下くらいからですかね。いやあ、顕著ですよ」
「教育が原因なのかはわからないが、平気で無理です、駄目です、できません。ちょっと難しい注文をするとすぐに、どうやればいいんですか――効率よくスマートに生きたいって気持ちはわかるし、それがうまくいっている部分もあるのは認める。ときに、こいつらなかなかやるな、結構すごいもんだなと感心させられることもある。でもまあ、何だ。ネットで何でも検索してほいほい答えがわかる時代で育ったせいなのか、基礎的な『馬力』がないよな。やっぱり社会で生きていくにあたっては寝ないで頑張らないといけない日もあるし、お客さんのところに百ぺん通わないと見えてこないこともある。でもそういう地道な作業は全部すっ飛ばして、どこかに小器用に、賢く――」
 どん、という大きな物音に遮られ、店内が一瞬の静寂に包まれる。
 何事かと音のしたほうを見ると、やや離れた位置に座る四人組の若者の姿が確認できた。男女それぞれ二人ずつ。大学生だろうか。何やら慌てている様子で、会話を盗み聞きされないようひそひそと語り合っているのが却って目を引く。どうやらスマートフォンをテーブルの上に落としてしまったのが物音の原因だったらしく、四人のうちの一人が焦って拾い上げていた。どうという光景でもなかったのですぐに興味をなくし、さて話を再開しようかと思ったところで、違和感に袖を引かれる。
 気のせいかと思ったが、どうやらそうではない。
 彼らが見ているのは、泰介であった。
 何を自意識過剰なと自嘲しつつ、しかし四人それぞれと相次いで目が合うと、さすがに確信せざるを得なかった。間違いない。彼らが見ているのは泰介だ。ネクタイが曲がっていただろうか、あるいはジャケットに枯れ葉でもついているのか。泰介は胸元を確認してみるが、一見してわかる異常は何もない。
「どうかされました?」
「……俺、何も変なところないよな?」
「と、思いますけど、何か?」
「いや、向こうの席の連中が――」
 若者の姿を確認するため軽く体を開いたとき、またも先ほどと同様の、どん、という音が響いた。無論、スマートフォンをテーブルに落とした音であると今度はすぐにわかったが、同時に落とした理由が判明し、言葉を失う。
 泰介の顔を、撮影しようとしていたのだ。
 彼らの席からではうまく泰介の顔を画角に収められなかったのだろう。それが動画なのか静止画なのかはわからないが、どうにかして泰介の顔を撮影しようとした結果、伸ばした手からスマートフォンが滑り落ちてテーブルを叩いた。
 さすがに一部始終を目撃してしまっては、黙っているわけにはいかなかった。それが意味のない余興だったのか、彼らの間で流行しているイタズラなのかはわからなかったが、無礼な行為に対しては相応の抗議をする必要がある。立ち上がって若者たちのほうへと詰め寄ろうとした瞬間、しかし四人組は即座に立ち上がって急ぎ足でレジへと向かってしまう。おい、と声をかけても立ち止まろうとしない。泰介とは決して目を合わせようとはせず、急に退店する必要に迫られたといった様子でそそくさとその場を後にしようとする。
 会計作業に手間取っていたので追いかければ簡単に声をかけることはできたが、結局は見送ることに決めた。不快な出来事であったのは事実だが、勤務中のトラブルは極力避けたかった。逃げようというのなら追いかけるほどのことでもないかと自らをなだめ、ゆっくりとソファへ腰を戻す。
「……部長のこと見てましたね」
 野井の証言に「だよな?」と返して再び出口へと視線を走らせたときには、四人組の背中はすでに店外へと消えている。不快感を追い払うように大きく息を吐き出したが、胸に渦巻いた気味の悪さは簡単には拭えなかった。
「部長が男前だから魅入っちゃってたんですよ」
 野井の世辞に笑ってどうにか気を取り直す。
 野井が用を足している間に二人分の会計を済ませ駐車場へと向かう。運転に不安のある野井に代わってハンドルを握り、大きな国道に出たところで泰介の電話が鳴った。滅多なことでは電話をしてこない支社長の名前が画面に表示されると、運転中であることを理由に無視するわけにはいかなくなる。スマートフォンを助手席の野井に渡し、代わりに用件を聞いてもらうよう依頼する。
 野井は手際よく現在の状況を説明していたのだが、やがて黙り込む時間が増え始める。はい、という相槌から次の、はい、に至るまでのインターバルが、奇妙なほどに延びていく。支社長は何を話しているのだ。疑問に思って野井の顔を横目で確認するが、彼もまた困惑しているようで難しい表情を崩さない。
 ようやく、わかりました、失礼しますと言って電話を切った野井だったが、まだなお要領を得ないといった様子で首を傾げる。
「何だったんだ」
「……いや、軽くパニックになってらっしゃるみたいで、ちょっとわかりにくくて」
「トラブルか?」
 記憶を探るようにもう一度首を捻る。「とにかくすぐに戻ってこいっていうのと、戻るときは必ず裏口から入れっておっしゃってて」
「裏口?」
 初めて受ける指示だった。エントランスの自動ドアが故障でもしたのだろうか。意図がわからなかったので野井にもう少し丁寧に説明するように求めたのだが、どうやら本当に支社長の話をほとんど理解できなかったらしい。興奮してらっしゃって聞き取りにくかったんですけど、聞き返せる雰囲気でもなくてと言い訳が始まったので、もういいと言って話を遮り、支社長に直接会って話を聞くしかないと諦める。もともと口下手な上に頭に血が上ると理論立てて説明することができなくなるのが支社長で、過度に人の顔色を気にしすぎて、言うべきこと、尋ねるべきことを口にできずに終わってしまうのが野井だった。いずれにしても急ぐべきだと感じた泰介はわずかにアクセルを強く踏み込む。