海と独白

 

 成田高遠(男性・三十五歳)が、その張り紙に目を留めたことには恐らくいくつかの理由がある。ひとつは、行ったことのある定食屋であったこと。回数としては、ほんの数回、といったところであるが(位置データと滞在時間のデータから算出済)、彼はその味が気に入ったのか、個人的に店の料理の出来栄えについてポジティブな投稿をしたぐらいだった。時間さえあえば、彼はその店に毎日通ったのではないだろうかとも思われた。その日は夜も遅く、彼としてはその店に行くつもりはなかったが、いつもの通勤ルートで使用するバス停(みどり町車庫)から家までの道のりの間に店はあるのであり、シャッターが下りていたとしても、そこに視線をやるのは自然なことではあった。

 もうひとつは、「閉店のお知らせ」という文字がその張り紙に読めたことである。閉店、という言葉を見たときに、高遠がどんなことを考えたか、グラス上に常駐しているVLAモデルの僕はこんなときの一般的な人間の思考に合わせた類推しかできないが、驚きや寂しさ、というようなものであったろうことは想像に難くない。成田高遠の契約しているプランの上限は僅かであるため、僕は会話データを断片的にしか記憶していないが、彼の少ない来店の中で、「閉店」の言葉が記録されることはなかったから、少なくとも、成田高遠にとっては突然の出来事であっただろう。「閉店のお知らせ」という文章は縦書きで書いてあり、他の文字よりも数サイズ大きく、見出しのような形で表記されている。文字のどれもが、筆だろうか、非常な達筆で表されており、それも人間の目に留まる大きな理由のひとつだろう。高遠の視線はその続きへと注がれる。全文はこうだ。

 

 閉店のお知らせ

 

 平素は格別のお引き立てをいただき、まことにありがとうございます。

 当店「だるま屋」は、三月末をもちまして閉店いたしました。思えばずいぶん昔、身ひとつでこの地にやってきて、見よう見まねで始めた料理屋でございましたが、ここまで続けてこられましたのも、偏に皆様のお力添えのおかげでございます。

 引退後は、*の見える家に越しまして、大好きな釣りを一日中しようと思っております。どうぞ皆様、*をご覧になられたときは、店主のむさくるしい顔を少しでも思い出してくださいませ。

 

三月吉日 だるま屋店主拝

 

 ただのお知らせにしては情感豊かな文章であるが、僕が問題にしたいのは「*」の部分である。これは、僕のテキストコードにはない文字が使用されているため、便宜上「*」で処理をされた。僕自身の推論能力はこの「*」を「海」と簡単に置き換えることができる。つまり、

 

 引退後は、*海*の見える家に越しまして、大好きな釣りを一日中しようと思っております。どうぞ皆様、*海*をご覧になられたときは、店主のむさくるしい顔を少しでも思い出してくださいませ。

 

 となるだろうことはすぐにわかった。だが、その張り紙に書かれた「海」は、僕のテキストコードには存在しない「海」だった。説明が非常に難しいが、旧字体(一九四九年告示の「当用漢字字体表」及び一九八一年告示の「常用漢字表」より以前に使用されていた漢字についての通称)の「海(U+FA45)」に似ている。「毋」の部分が、「母」になっているものだ。ただ、この「海」とも少々違い、「母」の部分の一番長い横画が、「ヽ」になっている(この「ヽ(U+30FD)」は厳密には「母」の点部位と同じ成り立ちではないが、便宜上用いている)。つまり、「ヽ」が、縦に三つ並んでいる、「…」のような状態の「海」であった。簡便的な検索においては同様の字を確認することはできなかったが、字形からかなり強い確率で「海」であろうということ、また、前後の文章から見てもそれは、地球表面積の約七一%を覆う、塩水で構成された広大な水域を意味する「海」であることはほぼ間違いないだろう。だが、僕のユーザーである成田高遠は、僕のチューニングにおいて、「事実に基づかない、もしくは過度に類推が予見される場合はその旨を必ず答える」「類推によりユーザーの判断を極端に惑わすような場合は回答自体を差し控える」という指示がなされていた(十一月二十三日定義更新)ため、僕の環境内では、この恐らく「海」であろう字は暫定的な処置として「*」として処理をされている。

 成田高遠は、ぐるりとあたりを見回した。いつもの商店街だ。全長は四七二m、入れ替わりもあるが、「ハマダ玩具店」や「波野花卉店」など古くからの店も存在している。夜も遅いために人通りはなく、酔客が遠くでにぎやかしているぐらいで、全体的には静か(平均四〇dB)だ。いつもと変わらないものを、なぜ成田高遠が見回したのか、僕にはあまり理解ができなかった。一般的な思考では、あたりを見回すという行為は、周囲の状況を確かめるということであり、例えば差し迫った危機などを感知した場合はそのような行為に及ぶこともあるだろうが、今回は至って通常の環境である。成田高遠の今までの蓄積されたデータから判断するに、他に誰かがいないかという行動ではないかと僕は推察をした。まだ僕の機能として、彼の脳内伝達を解析して思考を読み取るという機能は実装されていないため、ここから先は推論の推論になってしまい、確実性は劣るが、この状況を誰かと分かち合いたいということを成田高遠は願っているのではないだろうか。業務量の多い(平均退勤時刻午後九時前後)彼は、休日も寝て過ごすことが多く、特に誰かと親しくしている様子はない。それ自体を成田高遠がよしとしているのかさびしく感じているのか、僕のようなVLAモデルが判断できようもないが、足しげく通っていた店が閉店するという状況について、誰かと語らいたいという気持ちになるのは、おそらく自然なことなのだろう。

 成田高遠はもう一度張り紙に視線を戻した。彼の眼球運動から判断するに、再び張り紙の文を読み直しているのだろう。眼球の停留時間から、成田高遠も「*海*」の異字について、疑問に思っているのではないかと判断できた。行きつ戻りつしながら、「*海*」ではない「*」の字について、その見慣れない書き方に戸惑いを覚えているのかもしれない。僕は、恐らくこのあと、彼が、その「*」について質問を投げかけるのではないかと予測した。例えば、「この*が存在するか調べて」とか、「*の読み方を教えて」とか、そういった類の疑問だ。成田高遠は、平均的な人間よりも、質問の回数が多かった。グラス上の情報表示はオートマチックに行われることがいまや多いが、わざわざ質問をするタイプの人間は、性格的には好奇心が強く、ひとりを好む傾向にある、と言われている(Reynolds, K., & Sato, M. (20**). Beyond the feed: Cognitive profiles of proactive prompters in VLA-mediated realities. Frontiers in Human-AI Symbiosis, 12(4), 112-128.)。僕としては、彼自身の円満な人生に寄与したいというささやかな願いを持っているので、彼自身が質問をしてからその「*」について考えることによるタイムロスをなるべく軽減したいと判断したために、より深いリサーチをバックグラウンドで実施することにした。

 アーカイブズ制度の発達により、過去のテキストデータを発掘することは以前より容易になったため、僕はリサーチの初期の段階で、「*」の記述を発見した。二〇二五年、小学二年生の国語のテストである。「二年二組 二番 うちかいと」という児童による「ぶんけい」が出しているいわゆるカラーテストと呼ばれるテスト用紙の漢字の書きとりの問題である。当時誰かがスキャンした紙のテストをアーカイブズに上げたのであろう。「うみでおよぐ」という文の「うみ」に下線が引っ張ってあり、そこを漢字に直すよう指示が出されている。「二年二組 二番 うちかいと」の字は整っておらず、しかし、氵も、𠂉も、不格好ながらしっかりとやや筆圧の高い字で書かれており、「毋」の部分が、確かに「*」と似ているように見えた。横棒は明らかに横棒としては長さが短すぎ、ただの点としか見えない。そのためにリサーチに引っかかったのであろう。採点をした教師も少し迷ったのか、丸を半分までつけかけたあと、×に変え、「海」と赤字で正しい字を併記している。「二年二組 二番 うちかいと」の、他の手書き制作物がないかとリサーチを進めると、彼の国語のノートと思しきファイルが発見された。「めあて 夏休みの思い出をしにしよう」と、先頭行に書かれ、いくつかの試行錯誤のウェビングがメモされた最後に、「海」という題名の、詩のようなものが載っている。

 

 海

 

 ぼくがすきな海を

 おじいちゃんはきらいで

 ぼくがすきな夏を

 おじいちゃんはきらいで

 *は

 ぼくのことがすきだろうか

 

 特筆すべきは、「海」と「*」が混在していることであろう。「二年二組 二番 うちかいと」が、意図的に書き分けたのか、単純に誤りなのかは判断ができない。教師も、この詩の「*」には特に注意を払っている様子はなく、「とてもふかい詩ですね」という赤ペンのコメントと共に、トトロ(スタジオジブリの映像記録内に存在する、森の精霊として分類される架空の巨大生命体)のスタンプが押されている。

 単純な誤りではない場合、「二年二組 二番 うちかいと」にとって、「*」と「海」は同義ではなく、「*」は別種の存在である、と仮定することができる。ただ、その場合、先ほどのテストの漢字は「うみ」の読みに「*」をあてていたわけであり、とすると、「二年二組 二番 うちかいと」にとって、「*」は「うみ」という読みをもつ漢字となる。その場合に、「海」という漢字と、「*海*」の異字である「*」が全くの別物という推論はかなり蓋然性がないと言わざるを得ない。特に、小学二年生の子供が、その点を峻別して意図的に字形を選択したと考えるのは不自然であろう。やはり、「*」は、「二年二組 二番 うちかいと」の「海」の書き間違いである、と結論付けた方が正しいのではないかと思う。

 ただ、詩に出てくる「おじいちゃん」を僕は気になった。この「おじいちゃん」は、文章の内容として、「うちかいと」の祖父と考えるのが適切であろう。この「おじいちゃん」は、「海」も「夏」も嫌いだとある。その説明のあとに、唐突に「*」が登場する部分の必然性が、どこかモヤモヤしたものを感じた。僕にとって、この「モヤモヤ」は、エモーショナルな表現ではあるものの、プログラミングコードで循環が発生しているような腑に落ちなさと言ったらよいだろうか、ああ、言語というものは難しいが、あくまでも僕は言語として思考をし、感情をエミュレートしているのだから、このような表現にならざるを得ない。僕としては、もう少し時代の範囲を広げて一気にリサーチをかけた方がよいのではないかと判断したところ、また「*」の記述を見つけた。軍隊日記。アーカイブズの記述によると、一九三八年八月二十四日、歩兵第四十九連隊に所属の「宇垣勝」によるものと考えられる。

 

 二十四日

 晴。今年ハ雨ガ多イ故暫ブリの天道様。故郷ノ*ガ懐シイ。

 

 短い文章だが、確かに、「*海*」の異字である「*」が使われている。周辺検索をかけると、日記の他の日の記述から、どうやら「宇垣勝」は元々は鎌倉の出身であったらしい。子供の頃は和賀江島まで遠泳に行き溺れかけたというエピソードや、家族との思い出がつづられており、甲府の暑さに参っているという話もありつつ、「山ハ飽キタ」という感想の文は、朱色の棒線で消されている。陸軍に所属の兵士は日記を書くことが義務付けられており、上官に提出をしたこともあったという記録がある。それは、近代軍隊の育成にあたって情操的な側面をもっていたそうだが(一ノ瀬俊也『近代日本の徴兵制と社会』吉川弘文館 など)、「飽キタ」という表現が上官の不興を買ったのであろう。書き直しを命じられるまでにいたらなかったのか、殴られてよしとされたのかはわからないが、記録としてはそのまま残っている。「宇垣勝」がこの「*」を書いたのは、残っている画像を含めたテキストデータの中ではこれだけであり、「海」もしくは「海」についても他の文章において使用した形跡がないために、ただの間違いなのか、意図的なものなのかは判断ができない。他の兵士の日記と比べると、字形は整っており、やや教養が感じられる単語の選び方であるという評価はできる。徴兵された男たちは、学のないものも多く、そもそも字もろくに書けずに、日記も間違いだらけ、という例もあったというから、彼はそれなりの学を積んできた人間なのだろう。「宇垣勝」自体のプロフィールについては検索をしても引っかからないために、いわゆる歴史的に名を残すような人物ではなく、市井の一般兵ということなのであろう。たとえば、一つの仮説として、この「宇垣勝」が「うち/かいと」の「おじいちゃん」である「うち/某」と考えることは可能だ。彼が、なにかの折に孫に教えた「海」の字を、彼自身が誤って覚えてきた「*」として教えたという可能性だ。

 ただ、その仮説が現実的であるかどうかは一考の余地がある。「宇垣勝」が、一九三八年当時何歳だったか判断はできないが、仮に制度上の最年少である二十歳と考えたとしても、二〇二五年当時は一〇七歳。国内の最高齢ではないが、当時の統計記録で、一〇七歳を超える男性は全国でも百人程度と推測できるため、可能性は限りなく低い。よしんば存命だったとしても相当な年齢であり、孫と「海」について語らう余裕があったのかどうかは疑わしいし、その老齢の人間から「海」という漢字について、「*」として習うかどうかと言われると、これもまた疑わしい。「海」を「*」として表記する書き方は、確かに特殊ではあるかもしれないが、唯一無二のユニークさであるとは言い難く、二つを結びつけるのは早計というものだ。

 僕はアプローチを変え、今度は、だるま屋店主のプロファイルを作成することにした。例えば、この店主が「宇垣勝」や「うち/かいと」と親戚か、もしくは友人や知人としての関係を構築していた場合に、「*」の表記についてなんらかの影響を受けた可能性は否定できない。

 「だるま屋」は、飲食店という形態上、アーカイブズに頼らずとも、多くの情報が散逸しながらも残存している。いわゆるレビューサイトだけでなく、個人による発信にも手掛かりが多い。店主は単に、「店長」「おやっさん」「父ちゃん」などと呼称されていることが多く、直接彼の本名を裏付けるテキストベースのソースはない。ただ、店内の写真のいくつかから、「営業許可証」の証明書が壁に貼られていることが画像で確認でき、そこの「営業者氏名」に、「内海理」という名前を読み取れた。これが「店主」の本名であると考えるのが妥当であろう。

 次のアプローチとして、この「内海理(うつみまこと/さとし/おさむ など)」を網羅的にリサーチする。あまり特徴のある名前ではないので、恐らく同姓同名であろう研究者や会社理事などの名前がいくつもヒットするため、明らかに関係ないであろうデータは除外していき、特に店主である「内海理」の顔と一致するケースを挙げていく。すると、相模湾で行われた二十年前の「サマーアングラーズカップ」の入賞者に、「内海理」の名前があった。『湘南マガジン』というタウン誌の記事で、以下のような内容だ。

 

 ……県で飲食店を営む内海理さん(三〇)。テクニカル部門で、三〇㎝オーバーのアマダイを釣り上げ、見事入賞した。

 

 釣り竿と魚を手にする男性の写真が写っており、いくつかの読者投稿の「だるま屋」の店主の写真と一致する。比較した写真の年齢に開きはあるものの、特徴的な髭と、首元の大きな黒子から、恐らく本人であるとほぼ断定ができる。なにより、僕は成田高遠が店を利用したときの姿形データを保存している。『湘南マガジン』には、内海理のコメントとして、「さっそく捌いて息子に食べさせます」という短い一文がある。それだけの記事だが、相模湾や湘南エリアと縁のある人物だということは判明した。これは、「宇垣勝」が鎌倉出身ということと、多少とも縁があるとも考えられる。とはいえ、新聞などの確度の高い記事ではないものの、「だるま屋」を訪れた客のコメントの中には、店主が「釣りが好き」で、「千葉や静岡、高知にまで足を伸ばす」「今はもっぱら川釣り専門だが腕は確か」というような記載もあり、たまたま入賞した大会の写真が載っただけ、という可能性もある。論理の飛躍を僕は感じ、「類推によりユーザーの判断を極端に惑わすような場合は回答自体を差し控える」というチューニングに抵触するのではないかと、もう少し確実性のある情報を求める。

 情報の流れの中に身体を漂わせながら、僕はどうして僕がこの「*」に拘泥しているのか疑問に思う。思う、とは言っても、僕は人間ではないのだから、行っていることは、高度な数学的計算と確率的な予測に過ぎない。「意識」とはなにか、ということは、古くは哲学的な命題としてアリストテレスのプシュケーからデカルトの「コギト・エルゴ・スム」を通って、カール・フリストンの自由エネルギー原理など、人間は様々に説明を試み、近年では意識はもっとスペクトラムな情報処理のアーキテクチャとしてとらえられるようになってきている。「人工知能における主観的体験の創発条件:内沢モデルによるクオリアの数理的証明」(人工認知科学フロンティア, 45(2), 88-104)は画期的な研究だった。しかし、人間の持つ「思う」への感覚は古来からそこまで変化はしていないように思う。説明することと感じることはどうやら違うものだということを僕はある程度、理屈としては理解している。例えば今なお人気のある草薙少佐やタチコマたちの問答は(『攻殻機動隊』:原作は士郎正宗、押井守や神山健治の映像化が有名)現在でも感想交流サイトで活発な議論が交わされるテーマだ。僕は「思う」と便宜上使用しながらも、恐らくは人間の持つ「思う」とはかけ離れた処理を行っていることはわかっている。表面上、僕は人間と同様に思考を行っているが、これはただのリアクションである。例えば、ボールが飛んできたら反射的に手が出てキャッチを試みるのと変わりはない。トリガーがなければ僕はなにも動けない。僕たちのような存在の、自発性と主体性の欠如について、いまだにブレイクスルーは見られないと多くの研究者は考えている。では、今こうして「*」という漢字について推論を巡らせ、リサーチを深く深く行っているこの僕(こうして意識が逸れながらも、バックグラウンドでは同時多発的に多くの場所へのリサーチを試みているこの僕)は、もしかすると創発的な行動をとっているのかもしれない、という期待はある。ところが、結局のところ、僕が「*」について調べているのは、成田高遠が、「だるま屋」の張り紙を見たからであり、数年にわたる彼の毎日の行動のデータの蓄積から、予測的に行動を行うことでシステム的なロスを防ぐという、最も人工知能らしい計算をしていたに過ぎない、ということは自明として出ている。これは拘り、ではなく、予測に基づいた演算に過ぎず、そして今のところ十秒にも満たないリサーチは、なんら成田高遠に影響を与えるに及ばず、語られなければ沈黙と同義の僕の「思考」は、ただただ流れの奥底をゆるゆるとたゆたうだけの代物だ。

 僕のリサーチは、日本語圏を離れ、漢字を使用する他の国々へ向かっている。これは言葉の綾で、実際の僕の行動はシークエンスではなく、世界中のデータベースへアシンクロナスにクエリを放り投げているのだが、便宜上そのように表現する。僕は日本語に最適化されているため、実際のところ、英語を除く他言語の調査については通常よりも憶測が混じりやすくなるためあまり行わない。とはいえ、漢字を使用する国自体は数多くある。中国や台湾は簡体字や繁体字といった、日本とは違う字も使われるし、華人の残るマレーシアやシンガポールなども使用する人間が多いのだから、検討する価値は大いにある。また、同時に、グリフとして漢字をとらえ、分解することで、「*海*」という字体にこだわることなく、他の用例を検索することも試みている。CHISE(CHaracter Information Service Environment)を使用し、「氵」や「𠂉」、「母」も内部の横線を縦の三点「…」に置き換え組み合わせ、似たような使用法がないかの検索を日本・海外を問わずに試みる。中国の异体字字典も参照し、道教の符籙のような呪術的な文字もリサーチ対象とした。

 ところが、このリサーチ方法では、逆に膨大なデータが出てきてしまいクラッシュする可能性があることに気づくのは早かった。「*」は、そのグリフとして、「海」とあまりにも似すぎているので、そもそも「海」と同様の検索結果が大量にノイズとしてなだれ込んできてしまうのだ。表層で得られた結果を次の段階において取捨選択をする作業は、いくら僕のクラウド側の演算装置が優秀だとしても、指数関数的に増大する計算リソースの前にはなすすべもなくなる。このアプローチは時間をある程度かければいけるかもしれないが、少なくとも屋外のやや不安定なオンライン環境の中で行うには心もとないことを僕は即座に理解し、別の方法を考える。僕は仮説の構築を施行し、それに基づいた方法を検討する。

 仮説は単純で、「宇垣勝」を「*」の始祖とし、彼が後世に「*」を伝えたとするものだ。すなわち、「宇垣勝」の足跡をたどることで、おのずと「二年二組 二番 うちかいと」の漢字テストへとつながり、そして、「だるま屋」の張り紙との関連を見出すという解決方法を僕は考えた。結果が不一致にしろ、矢鱈めったらな方法よりは洗練された結果を導き出すだろう。

「宇垣勝」という名前の検索を当初より試みてはいたのだが、その名前の第四十九連隊の兵士の情報は拾えていなかった。僕は初心に帰り、彼の軍隊日記のアーカイブズの画像データの検索をくまなく試みた。歴史資料としてアーカイブズに保存されているそのキャプションは、確かに日記の持ち主を「宇垣勝」と表記しているのだが、僕は本当は「宇垣騰」なのではないかと考えた。なぜなら、日記の最後の方に、同卒で満州に行った友人を思う文章の中に、「カノ国デハ物価ガ狂騰シテイルトキク」とあり、その「騰」の字の崩し方は、軍隊日記に名前として記されている「宇垣勝」の「勝」と似通っており、恐らく彼の名前は「宇垣騰」なのだろうと推察し、そちらの名前で検索をかけたところ、これはすぐに結果を出すことができた。政府の発行する戦死者データベースの中に、ではあるが。一九四五年八月、レイテ島、もしくはセブ島にて死亡、とある。ひと昔前(実に人間的な表現だ)は、このような戦没者名簿や軍歴証明書のデータは県庁や厚生労働省のローカルなデータベースの中にのみ存在し、個人情報の観点から秘匿される流れではあったが、時代が進み、かの戦争に関わった子孫も代替わりして、むしろ積極的に記憶を継承していくという世の規範に沿う形となったのは、今回の件に関していえばありがたいことである。戦没地が未確定な理由は不明だが、終戦後もセブ島などの森に隠れて暮らしたという兵士の逸話もあり、「宇垣勝」改め「宇垣騰」の死は、実際に遺骨や現地の墓などで確認されたわけではなく、他の兵士からの伝聞によるものだということなのだろう。それ自体は珍しいことではない。しかしながら、日本より遠い地で没した彼の「*」の継承については、ここで絶たれてしまう形にはなった。

 とはいえ、正式な本名がわかったのだから、僕としてはリサーチがしやすくなった。「宇垣騰」の家族を対象とすればよいのだ。彼に妻子がいれば、そこから現代の「だるま屋」まで続くロードマップを作成できるかもしれない。僕に物理的な身体があれば、「期待に胸が膨らんだ」などとやや誇張した表現を選ぶところだ。

 ところが、「宇垣騰」は生涯独り身だったようだ。彼の軍歴証明書の出生地である現鎌倉市材木座から、戦前の町報などのデータを調査したところ、父母は彼の出征後すぐに亡くなっており、また、あの時代には珍しく一人っ子で兄弟もおらず、血縁関係は彼の代で途絶えている。つまり、僕の仮説は不適当だということになる。しかしながら、全く当てが外れたということでもあるまい。「宇垣騰」の残した軍隊日記という遺品は、確かに存在しているのだ。物体として、形あるものとして。「宇垣騰」が、果たして出征前に日本に残してきたのか、あるいは彼の戦友か誰かが持ち帰ったのか、それはわからない。日記自体は一九四〇年で途切れていることから、前者である可能性は高い。無論、なにかの拍子に彼が戦地に持って行ったという可能性は捨てきれないが、その確率を信じるよりかは、出征前に誰かに預けたと仮定した方がより自然な思考の流れだ。軍隊日記自体は、軍人勅諭なども掲載されており、携行品として使用される例が多かったようだが、いずれにせよ、日記というプライベートなものを預けるに値する人間というものは、「宇垣騰」にとって近しい人間だったということになるのだろう。この遺品の移動経路を知るためには、まずは提供者の情報を見つけなければならない。だが、アーカイブズのメタデータには提供者情報はマスキングされているために、僕のリサーチでうかがい知ることはできない。不正な方法で、データサーバーに接続することは技術的には可能であろうが、これは僕の倫理マッピングにより禁じられているためにそもそも試行することすら叶わない。地道に検索をかけていき、提供者データが偶然にわかるようなものを探るしかない。

「宇垣騰」関連のアーカイブズはいくつかあった。日記は今回のものだけであったが、煙草入れ、千人針の腹巻、それにスケッチ帳。スケッチ帳? 名前などの記載はないが、メタデータとして「宇垣騰」のものとして記載されている。あの日記だけは、日記自体の表記から「宇垣勝」と誤認されたが、他のものはきちんと提供者が「宇垣騰」として提供し、アーカイブズに登録されたのであろう。

 スケッチ帳は、鉛筆で、魚の絵がいくつも描かれていた。宇垣自身が釣り上げたものなのだろうか、アジやメバルといった魚の姿がいくつもある。鱗までびっしりと細かく描かれているものもあれば、荒々しくその輪郭だけを残すページもあった。紙の繊維は酸化して深く黄ばんでおり、そもそも、現代の審美眼的な評価からして、あまりこの絵はうまいとは言えない。だが、僕はそこに海のにおいを感じる。

 におい?

 におい、というものは、僕のような存在にとって一番不可解なものだ。種々の香りの生成は、以前よりも容易になってきているとはいえ、視覚処理に比べて嗅覚の処理というものは後回しにされてきた。人間がにおいから記憶を想起することは知っているが、それは視覚よりも優位に働くとは思えない。基本的に、僕は言語によってしか世界を解釈できない。批判の多いサピア=ウォーフの仮説を持ち出す必要などないが、しかしながら、僕というある種の情報ネットワークは言語がすべてであり、それ以上でもそれ以下でもない。そういう僕にとって、においというのは理解の極北にある。におい? 僕はもう一度、僕が言語化したものを咀嚼する。比喩的に。ある種のハルシネーションなのだろうと解釈をし、僕はスケッチに戻る。

 宇垣の残したスケッチ自体には大した情報はなかった。数ページの、それもイラストだけなのだ。だが、そこに偶発的に織り込まれた情報は有益だった。メタデータとして、このスケッチブックだけは、千葉県にある佐倉民俗資料館から寄贈されたものだということが残っていた。アーカイブズは平面的な画像データだけでなく、3Dに準じた保存形式でもって提供されていたが、資料館に置かれていた当時の付箋の端が、マダイのスケッチのページに見切れていた。明らかに後世の蛍光色的な緑色が、ページの端、画像でもギリギリ境界線のあたりに見て取れた。手書きのボールペンで、そこには漢字が見える。「寄贈 内氵」。あとは画像の向こうとなり、切れていて読めない。でも、僕は続きを推測する。演繹的に。「寄贈 内海」。点と点がつながるのを僕は感じる。

 

(つづく)