ヒサコさんは、会計事務所の事務として働いていたが、副業でモデルをしていた。ときどき、女性誌の冬服コーディネート特集に載ったり、ウェブ記事のサムネイル画像に使われたりしていた。モデルと言っても、背は高くなく、小柄な方だ。等身のバランスはとれていて、おんなじ双子なのに、と、チカコさんは彼女との容姿の違いを常々思っていた。ヒサコさんはモデル業もそうだけれど、SNSでの発信の方が多かった。低コストのメイク術や、廉価品を使った着回しコーデなどをほぼ毎日発信し、多くの読者を獲得していた。

 だから、維持装置が思ったよりも小さかったのは、きっとヒサコさんが小柄だからだろう、と、チカコさんは考えた。他の維持装置を見たことがないから、それが他製品と比べて有意に小さいのかはわからないけれど、彼女にはちんまりとして見えた。どう見ても、棺、にしか見えない直方体のそれは、棺、には見られないように、鮮やかなモスグリーンで光沢なくシックに染められ、角の部分には、八重の名前の知らない花が彫られていた。

 結局、土日月を、チカコさんが預かり、火水木金を、トオコさんが預かることになった。チカコさんは月曜日がアルバイトの休みで、トオコさんはちょうど火曜日が、いま勤めている社会福祉法人の休業日と重なっていたからだ。病院から引き取る日は土曜日だったので、最初はチカコさんがヒサコさんを預かった。どうやって契約してきたのか、霊柩車を改造したような、トランク部分が大きく出っ張った青い車をトオコさんは用意してきて、彼女が運転をした。トオコさんのマンションと、チカコさんの借家は駅でいうと二つぐらいしか離れていないから、車であればそんなにかからない。トオコさんは運転中は無駄口を叩かないので、主としてチカコさんがしゃべる係になった。駅前の商店街のつぶれたおもちゃ屋とか、バス通りの便もめっきり減ったこととか、そういえばあのお花がいっぱいあったお宅は最近どうなっただろうとか、そういう他愛もないことを話し続け、トオコさんは相槌を打ち続けた。

 実際に試していたからわかっていたけれど、ヒサコさんの納まる維持装置は軽かった。ヒサコさん自身も軽かったし、装置自体も軽量化が図られていたのだろう。トオコさんがトランクの観音開きの扉を開け、チカコさんがまずは装置の端をつかみ、キャスターを転がして滑らせる。その後ろを、ヒサコさんの頭にあたる部分をトオコさんが持ち上げ、二人はチカコさんの借家の玄関をくぐった。この借家はチカコさんのアルバイト先の店長が見つけてくれたもので、築年数はだいぶ経っていたけれど、柿の木のある庭付きで、ひとりで住むには広すぎるほどだった。縁側からヒサコさんの納まる装置を入れ、畳敷きの部屋に置く。電源コードをコンセントに差して、ぶおん、と、バッテリー駆動から変わったことを示すランプがグリーンに点灯する。遮光タイプの蓋は、今は光を通さないので、木目のようなデザインがしっかりとヒサコさんの姿を塞いでいる。ふう、と息をついて、トオコさんはそれを見下ろしている。チカコさんは台所に行き、冷蔵庫から麦茶を出して、コップにとくとくとく、と注ぐ。ん、とトオコさんにそれを差し出すと、トオコさんは、ん、と受けとって、ひと息に飲み干した。

「やっぱり、火曜日もわたしが預かろうか」

 なんの気はなしに、チカコさんはトオコさんに訊く。トオコさんは、ん、と言ったきり、続きはなく、コップのガラスをもてあそぶように触っている。まあいい、とチカコさんはトオコさんの手からコップを奪い、流しに持っていく。トオ姉が決めたことは、トオ姉が決めたことで、本人がそれと言い出さない限り、変わることはない。今までなんでもそうだった。勉強も、夜寝る時間も、受験も、夕飯の献立も、なんもかんも。

 トオコさんが帰ったあと、チカコさんは蓋の透過率を変える。数値を100にすれば、ヒサコさんの全身が見える。ワンピースのような患者用の衣服は、においがつきにくいタイプだそうだけど、ひと月かふた月の間には、医療機関で交換しなければならない。床ずれ対策用の体位変換のマットレスや、ナノマシンの皮下の巡回修復機能がどの程度効果があるのかも、よくわからなかった。だから、チカコさんができることは、各種モニタの数値の異常がないかを定期的に見ることぐらいで、そういう意味では、物理的に占有している面積が増えるだけのことだといえば、そうだった。それでもチカコさんは、その土曜日は、夜ごはんに野菜たっぷりのラーメンをつくり、わざわざ畳の部屋に折りたたみのまるいつくえをひとつ出して、ヒサコさんを見ながら食べた。なにか話しかけたほうがよいのだろうかと思ったけれど、特段洒落た言葉も思いつかなかったから、彼女がその部屋で発したのは、「いただきます」と「ごちそうさま」と、コショウがのどに入ったときの、「んん」という唸りにも似た音だけだった。

 日曜日も、あまり変化はなかった。牛乳が切れたので買い物に行こうかと思ったけれど、ヒサコさんを置いていくのはためらわれた。牛乳ぐらい、と思い、自分の部屋でぼんやりツルゲーネフを読んでいると、がららら、と玄関の引き戸が開く音がして、トオコさんがやって来た。ん、と彼女が差し出したスーパーの袋には、牛乳が二本と、シュークリームが入っている。冷蔵庫に監視カメラついてんの、こわ、とチカコさんが笑いながらそれを受けとると、「あんたは牛乳ばっか飲んでたからね」と、なんでもないようにトオコさんは言った。部屋にあがるかと思ったら、玄関で立ち話をしただけで、「様子見に来ただけだから」とトオコさんは帰っていった。ちらりとも、奥を覗こうとしなかった。チカコさんは、まるいつくえを畳に出して、シュークリームを三口で黙って食べた。

 月曜日の夜、トオコさんは、またあの霊柩車じみた車でやって来た。明日の朝でいいのに、とチカコさんは言ったけど、「社会人」とトオコさんは短く言って、さっさとトランクを開けた。家まで行くよ、というチカコさんの言葉に、トオコさんは顔をしかめ、首を振った。

「だって、運ぶの大変じゃん」

 旦那もいるから、というトオコさんの言葉を無視して、チカコさんはさっさと助手席に座った。トオコさんは、ばたむ、とドアを勢いよく閉めて感情を表現したけれど、それがあんまり怒りではない、ということをチカコさんは知っているから、のんびりシートベルトを締めて、ちょっとシャツがよれたところを直したりしている。

 トオコさんのマンションは八階建てで、トオコさん一家はその二階に暮らしている。二階ではあるが、その下は駐車場なので、居住としては一階と変わらない。ゲスト用の駐車場に停め、トランクを開けてヒサコさんの納まった装置を出す。エントランスはゆうゆうと抜けられたけど、エレベーターには載せられない。幅はいいが、奥行きがダメだった。トオコさんはケイタイで旦那さんを呼び出し、現れた旦那さんは「おうおうたいそうなことで」と芝居っけたっぷりに言い、それからチカコさんに気づいて、「やあチーちゃん、こんばんは」と言った。トオコさんとトオコさんの旦那さんは幼馴染で、チカコさんも子どものころからよく知ってるから、そういう呼び方をする。旦那さんは、透過率0パーセントの装置の蓋に向かって、「ヒーちゃんも久しぶり」と声をかけた。そういうひとだ。

 旦那さんの協力もあって、ヒサコさんの納まった装置は、二階の廊下まで運ぶことができた。トオコさんの住むマンションの廊下はやたらと広くて、ソファまで置いてある。三人で運べばそんなに重くはないけれど、ひとが入っていると考えると、チカコさんたちの動きは慎重になる。旦那さんはソファに座り、トオコさんは手首を押さえながらその前に立っている。チカコさんはまだ装置に手をかけている。

 問題が起きたのはここから先で、玄関のドアはゆうゆうとくぐりぬけた。「当たり前だけど」と、トオコさんは言った。「装置と間取りの採寸はしたの」でも、そこから先が進めなかった。トオコさんの部屋は、玄関の先の廊下がまっすぐ伸びていて、でも、そこに不自然にぽこりと出っ張りがあった。テトリスの不思議な形みたいなもの。水道管だかガス管が通っているのだろうか、ちょうどそこにつかえて、ヒサコさんの納まる装置は通り抜けることができなかった。

「でも、ちゃんと測ったのよ、私」

 相変わらず調子は鷹揚としていたが、チカコさんは、姉の声に苛立ちが混じっているのを聞き逃さなかった。旦那さんは手慣れていて、「どれどれ」と、メジャーを持ってきて、装置と、それから、テトリスの出っ張りと廊下の幅を測った。「三センチオーバーだね」と、旦那さんは告げた。そんなことない、と、チカコさんはヒサコさんを置き去りにして、てとてとと部屋の奥に行き、それからモレスキンの手帳を持ってきた。ほら、ここ、と彼女の指差したところには数字があり、確かに、彼女の書いた装置の幅は実寸よりも四センチとちょっと少なかった。でしょ、と、少しだけ得意げにトオコさんはチカコさんたちを見回し、それから、ヒサコさんの納まる冬眠装置を目にして、眉を下げた。縦にしても、横にしても、装置は入りそうになかったし、廊下に突き出てもいたので、ドアを閉めることもできなさそうだった。

 それから、旦那さんが装置の会社に電話をしてくれた。夜間ではあったが、丁寧に担当者に取り次いでくれて、旦那さんも、それからあとで代わったトオコさんも、始終敬語を使って話していた。チカコさんは帰るわけにもいかず、しかたなくスツールを借りて、ヒサコさんの顔を見てた。透過率50パーセントぐらいの彼女の顔は眠っているようで、「まあ呑気に」と、チカコさんはちょっとだけ毒づいた。

 会社曰く、気を利かせたつもりで、装置を近頃マイナーアップデートした最新のものに変更して納入したらしい。その際、やや幅の採寸が変わったことを伝えるのを失念していた、ということだった。声高に責めるには単純なミスで、そもそもトオコさんたちのような穏やかな夫婦であれば、なおさらそのことで相手の謝罪や賠償を求めそうもないことは雰囲気からわかった。

 けれど、実際問題、ヒサコさんの装置は立ち往生をしていた。会社側は、おそらく平身低頭という体で謝罪をしたが、代替品は既に倉庫が閉まっているし、どんなに早くても明日の夕方になる。しかも、医療的な処置を施す必要があるから、病院で行わなければならない、などということを伝えた。少しお待ちください、とトオコさんは通話を保留にし、旦那さんと顔を見合わせた。これはまたわたしんちだね、と、チカコさんが「じゃあ」と声をあげると、きいっと、音を立てそうな勢いでトオコさんはチカコさんを睨んできた。チカコさんは怯む。怯むと、チカコさんは服の袖をぎゅっとつかむくせがある。夏であれば、裾をつかむのだけれど、まだ肌寒い季節なので、長袖の、毛糸の部分を、人差し指と中指で、きゅううっとつかむ。

 トオコさんは旦那さんと話しこみ、旦那さんは彼女の提案にずいぶんと渋い顔をしていたけれど、最後は仕方なさそうに頷いた。トオコさんが一度決めたら梃子でも動かないことを、もちろん知っていたのだろう。それから、ひとり遊びに飽きたのだろう息子が玄関までやってきたので、その相手をしに奥に引っ込んだ。

「とりあえず、もう一回車に運ぶ」

 通話を終えると、トオコさんはそう宣言した。高らかだった。「うちに?」と、チカコさんはなおも訊いてみたが、トオコさんは、ちがう、と首を振った。ドライブする、とトオコさんは続けた。ドライブ、とチカコさんは繰り返す。ドライブ、という記憶は、あまやかで、すこしにがい感情を呼び戻す。

 

(つづく)