双子っていいなあ、と、子どものころは無邪気に言われ、チカコさんも、だから、双子っていいもんなんだなあと、ぼんやり思っていた。もちろん、口では、いやいやたいへんなのよ、服もおんなじもの買わされるし、好みも似てておやつは取り合いになるし、それに、毎朝起きて、自分にそっくりの顔が部屋にいるっていうのはなにかとユウウツよぉ、とか、そんなことを言っていた。

 トオコさんはチカコさんとヒサコさんのケンカを遠巻きにしながら、いつでもお紅茶をすすっていたから、あんまり気にしていないものだとチカコさんは思っていたのだけれど、どうやらそうでもないらしい、ということがわかったのは、修学旅行だった。小学六年生のとき、チカコさんとヒサコさんは日光に行った。ハイキングをして、東照宮を見た。ただしく言うと、その修学旅行のことを思い出話しているときだった。

「ぱっさぱさの、ケセランパセラン」

 と、ヒサコさんがチカコさんに言ったとき、トオコさんは目を上げて、二人の様子を見たのだ。それは、両親がもう事故で亡くなっていて、トオコさんはすぐさま大学を辞めて、ツテを使って今も在籍する障害者支援の社会福祉法人に勤め始めていたときで、保険金とその稼ぎで、三姉妹はなんとか暮らしていけていたけど、ご飯をつくるのは働いていないヒサコさんとチカコさんの役目で、その日の夕食は、ヒサコさんがつくった。煮込みハンバーグときのこのスープに、パサパサになったバゲット。ヒサコさんは料理をコンパクトにつくるのが得意だった。時間も見た目も。ケバケバしていないそれがチカコさんには物足りなかったのだけど、そういうときにトオコさんはヒサコさんの肩をもつから、チカコさんは気に入らない。バゲットはさ、買ったまま放置するんじゃなくって、お店でくれるかたいビニールの袋にいれなくっちゃぱっさぱさになっちゃうのよ、と、ヒサコさんに文句を言うと、ヒサコさんは、ほんなら食べなくってヨロシイ、と、チカコさんからバゲットをとり上げるから、ケンカが始まる。トオコさんは視線を落として静かに煮込みハンバーグの煮込み部分をスプーンですすっているだけだったが、言い合いになったときに、ぱっさぱさ、が、ぱさらん、になり、それに、ヒサコさんが、けせらん、とつけて、そのままヒサコさんとチカコさんはひと息に、ケセランパセラン、と同時に言って、それから笑った。ぱっさぱさの、ケセランパセラン、と続ける二人の顔を、スプーンの手をとめ、不思議そうにトオコさんは見た。

「日光に行ったときに、見たんよ、ケセランパセラン」と、ヒサコさんは言い、「ただの綿毛」とチカコさんは返した。いやいや、あの動きは生き物じゃった、とヒサコさんは拘泥するように答えた。

「修学旅行」

 と、トオコさんは、またケンカが始まりそうな二人の様子を見ながら呟いた、ヒサコさんとチカコさんは、トオコさんの顔を見た。口元に、煮込みハンバーグのソースがつきっぱなしだ。「私も行った」

「知ってる」と、ヒサコさんは言い、チカコさんも頷いた。「トオコも日光だったよね」とヒサコさんは言った。トオコさんは首を振った。でも私は、と言った。「でも私は、ケセランパセランを見てない」

 だからあれは綿毛かなんかだって、とチカコさんは笑おうとしたが、どうにもうまく言葉にできず、ヒサコさんも黙った。どろどろとした煮込みハンバーグの煮込み部分が重たく、胃の中にのしかかってきた、とチカコさんは思った。

「あのとき、家を出ようと思ったんよ」

 と、もう何年か過ぎたあとで、ヒサコさんはチカコさんに言った。場所はどこだったか、チカコさんはまあまあぼんやりだから、よく覚えていないけど、でもどこだっていい、マンガだったら、背景は空白で、いすとテーブルがあるだけの、どうせそういう場面だから、と思いながら、ときどき、ヒサコさんの言葉を思い出す。「ああもう、この人、お父さんとお母さんの代わりになっちゃった。ならせちゃった。人生とりもどしてあげなきゃってさ」

 高校卒業してすぐ、ヒサコさんは家を出て行き、働きながらモデル業をこなした。SNSはそこそこバズっていて、そういう収入もあったのだろう、それなりに暮らしていけるようだった。「あたしがいなくなって正解だったでしょ?」そう言いながら、ヒサコさんは、トオコさんと同じ町で暮らしていた。小さな町で、特色もなにもない町だけど、その理由をヒサコさんはトオコさんには語らなかったし、トオコさんはヒサコさんに訊かなかった。ときどき、ヒサコさんは洒落たクッキーかなにかをトオコさんのマンションのポストにつっこむだけで、会いに行こうとはしなかった。海、海が呼んでるのよぉ、と、暇さえあれば、ヒサコさんはダイビングやサーフィンを楽しんでいるようだった。

 チカコさんは海に縁のない子どもだった。生まれた場所も関東平野の内側だったし、修学旅行は京都か山で、そもそも共働きで忙しかった両親と旅行した思い出がほとんどない。これは同じきょうだいのトオコさんとヒサコさんも同じはずなのに、どうしてかヒサコさんは海へと惹かれていった。あ。東京タワーには行ったことがある、とチカコさんは思い返し、トオ姉はどの思い出があるのかな、と思っていると、伊豆、と彼女はハンドルを握りながら言った。霊柩車じみた車は、すっかり日の落ちた国道を走っている。伊豆に行く。

「あんたは来なくてよかったのに」

 と、トオコさんは前を向いたまま言った。チカコさんは、「ドライブ、楽しそうじゃん」とそれに答えた。トオコさんが選んだことはドライブだった。車のバッテリーにつなげば、ヒサコさんの納まる冬眠装置はじゅうぶん稼働できる、ということだった。揺れ自体は大した問題ではない、と装置の会社の人は言ったそうだ。きっと、その会社の人は、車のバッテリーにつないで、駐車場に停車する様を想像したのだろうけど、トオ姉は、たぶんそういうタイプじゃあないよな、とチカコさんは思った。から、ついてきた、というところもある。

「三人で旅行なんて、久しぶりよね」

 と、おっとりとトオコさんは口にする。たしかに、とチカコさんも答える。何年前だっけ、と考えようとするが、どっちでもいいか、と考えるのをやめる。これは日本史の問題じゃないから、別に正確な日付が答えられなくたっていい。たしか、春先で、空はぼんやり曇っていた。そういうのを花曇りというのだと、ヒサコさんが言っていたことを、チカコさんは思い出す寸前まで思い出し、でも確かな言葉にはならない。

 途中、サービスエリアにとまる。さきにチカコさんが出て、缶コーヒーを数本と菓子パンをいくつか買った。五平餅を食べたいな、とチカコさんは帰りがけに思い、きょろきょろ見渡したが、それらしき屋台はない。一度食べたけれど、五平餅、というものはとてもおいしかった記憶がある。なんのときだろう、ほとんど旅行など行かなかった家族だけれど、一度か二度ぐらいは車で遠出したことはあるだろうから、そのときに食べたのだろう。少なくとも、近所のスーパーには売っていないそれを、チカコさんはずうっと覚えていて、少し大きくなったときに、自分でもち米を買ってきて作ったことがあるが、いまいち再現することができなかった。甘じょっぱい醤油ダレも、もちもちとした団子風の串刺しもできたのに、それは少しだけずれていた。点線でお切りください、のパッケージが、うまく破れなかったみたいな感じで、しっくりこなかった。

 車に戻り、缶コーヒーをトオコさんに渡すと、ん、と彼女は答え、それからヒサコさんの方を振り返り、また、ん、と言って、車から出た。なにか話したんだろうな、と、なんとなくチカコさんは思った。トオコさんはそういう人だ、というのを知っていたこともあるけれど、車内の空気がやんわりと変化している感じがした。誰かが短く言葉をつむぎ、それに誰かが答えたかのような、そういう風のゆらぎがあった。でも、ヒサコさんは黙っているのだから、もしかすると、トオ姉はずうっと独り言を言っていたのかもしれない、とチカコさんは思い、缶コーヒーをぷしゅっと開ける。その苦い香りは、また車内の空気を変えてしまう。

「ほら」と、戻ってきたトオコさんが持っていたのは五平餅だった。わ、とチカコさんは声を上げ、受けとってから、どこで? と訊ねた。土産物屋の奥の食堂、とトオコさんは答え、シートベルトを締める。よくわかったね、という言葉をチカコさんは口にしない。トオ姉はいつもそうだ、と思うだけだ。いつも、わたしの欲しいものをわかっている。それがやさしくて、うっとおしい。

「おいしい?」

 エンジンをかけながら訊くトオコさんに、チカコさんは頷くけど、でもやっぱりそれは、記憶の中の味とは違う。違う、ということはしかし、変わった、ということでもない。

 

(つづく)