家に戻ると、祖父がいた。

「顔が真っ青だ」

 祖父は心配そうに言った。「なにかあったのか」

 僕はじろりと彼を見た。正確には、画面越し・・・・の。

「おじいちゃんは、山里団地で生まれたんだよね」

「そうだ」

 祖父は頷く。確信を持って。

「これはおじいちゃん」

 ぼくは、一九七九年五月五日の記事の写真を見せ、ワイシャツを着た子どもを指さす。

「そうだ」祖父は再び頷く。「これは私だ」

「本当に?」

「本当に」

「ねえおじいちゃん」

 ぼくは呼びかけた。「おもちゃ屋で、シールのお菓子、買ってくれたの、覚えてる?」

「覚えてるとも」

 祖父ははきはきと、その状況を語り始めた。いつもの散歩、泣き出したぼく、ペンギンのシール。今日のお昼のご飯でも話題にしたみたいに、いとも容易く、彼は語り続けた。

「じゃあ、このいすはなに?」

 ぼくは、一九八一年三月七日の写真を見せる。ひしゃげたガードレール。バスの事故。祖父は曖昧な表情を浮かべる。「ここにおじいちゃんに買ってもらったシールが貼ってある。どうしてそのいすが、買ってもらった日よりも前の写真に写ってるの?」

 祖父は答えない。黙っている。

「自分の記憶に自信がある?」

「自信ならある」と、祖父。「足腰が弱っても、頭だけはしゃっきりしてるって、よく言われたもんさ」

「だけど」

 ぼくは口を開いた。弱々しく、でもそれは自信がないからじゃなくて、認めたくないからだった。「おじいちゃんはもう死んでる」

 画面の向こうの祖父は、曖昧な表情になった。理解できない質問、不適当な問いに対しては、このアバターはそういう表情を浮かべるのが仕様だった。それはぼくがそう設定したからなのだけれど、ぼくの気持ちを不愉快に、さざなみ立たせるにはじゅうぶんだった。

 

 祖父が死んだのは、三年前だ。

 年に数回しか会わない人だったし、やさしさよりも、その厳しさのほうが先に立つ人だったから、ぼくとしては、お葬式に出ても、どこかぼんやりで、そして退屈だった。祖母はそれよりも先に亡くなっていたから、一番近しいのは母親で、でも彼女もサバサバとしていたために、あまり湿っぽくはない式だった。

 これどうしようかね、と母に、祖父の残した日記やら手紙やらを渡されたとき、なにか明確な目的をぼくはもっていたわけではない。母は単純に、ぼくがそういった類を電子化することに長けていることを知っていたから託したのだろう。ぼくとしては、LLMを使って祖父の発言や思考パターンを再現できたらまあ面白そうだ、程度のことを想像したぐらいだ。そっちの方面への将来を考えていたから、いい訓練になると思ったのだ。祖父は筆まめな方で、アナログだけでなく、メールやらSNSやらも積極的に行っていたから、テキスト面は問題なさそうだし、どこかに発表するわけでもないから、アバターは写真や動画を組み合わせて3Dモデルを簡易的に作成した。思ったよりも出来栄えがよく、ぼくはあれこれ細部をいじり、より本物の「おじいちゃん」に近づけるようにした。母から思い出話を聞いたり、祖父の家を漁って、もっと彼の記憶に近づけるものはないかって。〈市民のアーカイブズ〉を利用したのも、データ補完のためだ。個人利用であればオープンソースのそれは、当時そこで暮らしていたという祖父のデータを形成するにはうってつけのはずだった。それだけのはずだった。

 

 ぼくがみどり町から帰ってきてしばらくして、役所から連絡があった。そちらから、〈市民のアーカイブズ〉に向けて多量のデータの送信が確認されたため、一時的に接続を遮断しました。申し立てがある場合は――と続く文言を読み、トラフィックの履歴を確認すると、想像の一桁違うデータが送信されていた。ずっと、ずっと前から。ぼくはもう祖父には話しかけなかったし、話しかけなければ、向こうも自分からしゃべることはないから、どんな状況なのか、よくわからなかった。その意味で、その存在はひどく受動的だ。こちらから観測しなければ、存在ができない。

 ほどなくして、〈市民のアーカイブズ〉は「技術的なトラブル」により、「問題が解決されるまで」閉鎖されることとなった。そのころから、テック系やオカルト系の掲示板に、「山里団地」のスレッドが立つようになった。「地図にない町、山里団地」とか、「山里団地出身者だけど質問ある?」などといった形で、真偽を問わずいっとき賑わった。その存在を疑う者たちは、数々の証拠を出した。大手新聞の地方版に載った団地計画中止の記事、一九八一年の事故のあと廃止された巡回バスのこと。そのどれもに説得力があり、蓋然性があった。でも、「山里団地」は存在し続けた。それは、存在しないことの証明の不可能さへの挑戦のようにも見え、その不確からしさは、いつまでも一定の支持を持ち続けた。証拠をあげればあげるほど、支持者たちの結束はかたくなった。

 それから歳月が経ち、ぼくの母も亡くなり、正式にぼくが祖父の家を相続することになった。利便性の悪い場所にあり、朽ちかけた家をタダでも買いとる人もなく、債務の精算という形でぼくはそれを処理した。とはいえ、なるべく費用は抑えたいこともあり、中の整理はぼく自身で行うことにした。

 家の中はあばら家と呼ぶには整っていたが、埃が高く積もり、ジメジメとしていた。どこから手を付けようかと、階段をのぼり、祖父の部屋に入った。

 いす

 があることを、ぼくは予期していたように思う。ずっとこのいすは、ここでぼくのことを待っていたのだ。ぼくは、その右前脚に貼られたペンギンのシールをそっと撫ぜる。それは経年の劣化で、もう印刷も薄くなっているが、確かにぼくが貼ったものだ、と思う。

 ぼくは、端末にダウンロードしていた「おじいちゃん」を立ち上げた。用意してきていたのは、ちょっとしたノスタルジーに過ぎない。祖父の暮らした家なのだ。最後にその様子を見せたところで、それをおかしいと指摘する人間もいないだろう。実体をもっているかいないかは、そういった行為にさほどの違いはない。

「こんにちは」

 まるで別れたのが昨日であるかのように、祖父は定型の、いつも通りのあいさつをした。オフライン上で動作ができるように、ダウンロードしていた端末のカメラ部をぐるりと回し、部屋の様子を見せる。そして、あのいすを見せた。祖父はしばらく沈黙した。

「おじいちゃん?」

 ぼくが呼びかけると、ああ、と嘆息のような声を漏らした。それが、ぼくがつくった合成音に聞こえず、思わず「おじいちゃん?」と再び訊ねた。

「その椅子の座面をはがしてみるといい」

 おじいちゃんは言った。「中にノートが入っている。読んでもよいし、そのまま捨ててもよい。読むことによって、お前の人生になにかの変化が生じるかもしれない。だから、その判断はお前に任せる」

 それきり、また黙った。ぼくは言われた通りに座面のクッションをびりりと引き裂いた。言葉通り、ノートが出てきた。外気に触れていなかったせいか、古さを感じさせるものの、傷みは目立たなかった。ためらったのち、でも、ぼくには開く以外の選択肢がないので、開く。

 ノートの中身は日記だった。祖父の子ども時代のことが延々と綴られていた。筆跡は子どもによるもので、その当時に書いたものだろう。祖父はこのころから筆まめだったのだ。学校や遊びの様々の出来事が書かれ、秘密基地のこともある。「たんけん」をしたこと、おにぎりを食べたこと、荒唐無稽な冒険譚。でも、奇妙だった。そこで一緒に遊んでいる子どもはいない。ずっと祖父は一人で遊んでいる。ヤマトタケルの名コンビはいない。そして、「山里団地」も、この日記の中からは、読みとれない。

 おじいちゃん、とぼくは呼びかける。

「このおじいちゃんの記憶は、誰の記憶なの?」

 ぼくが構築した「おじいちゃん」のデータには、タケルとの交流や、山里団地での出来事が含まれていた。ご丁寧に、写真や手紙も用意して。だから、「おじいちゃん」はずっと、山里団地での暮らしを語り、タケルという親友との交流を幸せな時間として伝え続けたのだ。そしてそれが、〈市民のアーカイブズ〉とつながり、いつのまにかデータが送信され続け、「山里団地」をつくり続けた。この現実の世界にも。そう、山里団地は、祖父にとって、幸せの象徴なのだ。現実の彼の生き方とは、まったく違った。

「ねえ、おじいちゃん」

 おじいちゃんは答えない。なぜなら、彼はもうすでに、はるか昔に答えているからだ。「本当かどうかは重要じゃない」と。「それが自分にとって大切かどうか、そう思えるかどうかだ」。たぶん、とぼくは思う。このいすは、分水嶺なのだ。祖父にとって、現実と夢を分ける。だから、バス停の写真にいつも写っている。自分が行うフィクションを、発信し続けている。

 

 

 ぼくはそのいすを運ぶことにする。捨てるには惜しい。車のトランクに載せ、ぼくはぼくの家へと帰る。途中、あの、「山里団地前」があった場所を通りかかる。思いつき。ほんの思いつきで、トランクからいすを降ろし、その空白に置く。ぼくは座る。そこにあまり、現実感はない。

「そのとおりだ」

 突然、端末から祖父がしゃべり始める。「お前は、あのバスの事故のことを考えないようにしているからだ」

 ぼくは端末の電源を切る。一九八一年三月七日。みどり町巡回バスの事故。〈市民アーカイブズ〉に残っていたみどり町新聞では死傷者がいないことになっていたが、他の大手の記事には、死亡した乗客がいることが告げられていた。まだ子どもで、男の子。名前は載っていないが、年齢は載っていて、それは、当時の祖父と同じだ。もしくは、「タケル」くんと。

 だけど、ぼくはそれを考えないようにする。もし。もし、その事故で、亡くなっていたのが、「ヤマト」くんだったとしたら? そうしたら、今、ここで、薄暗い夕闇のなか、じいっといすに座っているぼくは、本当に、存在しているのだろうか? だから、ぼくは考えないようにする。誰かが来るのを待つように、じいっと、座っている。

 

(「街角のフラグメント どうぞのいす」・了)