とりあえず、休みの日に、ぼくはみどり町まで行くことにした。乗り換えは必要だが、そんなに遠くもない。

 巡回バスは既に廃線となっていた。無論、ぼくはそれを知っている。何年か前の話で、「みどり町新聞」のアーカイブズに、「さよなら町のダンゴムシ」という見出しで掲載されていたのを読んだ。「ダンゴムシ」というのは、もっと前に、バスの車体を新しくするときに公募で決まったもので、数ある中から選ばれた六歳の男の子が記念品をもらう写真も見た。そのネーミングは個人的にはイマイチだと思うし、町もバスの車体を灰色にするわけにもいかないと思ったのか、想像上のダンゴムシとして、キャラクター自体は緑色の、親しみやすい妖精風ダンゴムシへと変更されていた。記事には、「毎日利用していただけに寂しいです」という老人の言葉が載り、「今後は市営バスをご利用ください」という交通課の職員の談話が最後を締めていた。

 そういうわけで、ぼくはその駅前から出ている市営バスに乗った。「ダンゴムシ」と同じルートは通らないが、その系統は、「山里団地前」のバス停を通ることを知っていた。大きなチェーン店のスーパーを抜け、図書館を通り、川を渡り、花がずいぶんと咲き誇る家を過ぎる。乗客はぼく以外にも入れ替わり立ち替わり乗ってきて、名前の聞いたことのないバス停で降りる。そして、「山里団地前」のバス停があった場所を通る。もうそこには、バス停であったことを証明するものはなにも残っていない。停留所の標識も、アライのベンチも、そして、あのいすも。

 そこから三百メートルぐらい離れた「希望の丘前」でぼくは降りた。希望の丘、というありふれた名称は、その坂の上にできた建売住宅の群れを指してのことだろう。来た道を引き返す。日差しは高く、汗が出る。安楽椅子探偵よろしくレポートを書こうと思っていたのに、とぼくは苦笑する。

 バス停が立っていた場所へとたどり着くが、「おそらく」という留保がつくような、ただの隙間だった。アーカイブズに残っていた写真を手がかりに、正確な位置を推定する。一九九六年十一月ごろの「七五三へ行くところ」というキャプションがついた写真には、赤い着物姿の女の子が、バス停を背に写っている。道路向こうにある銀杏の木は現在も残っていて、何十年か経って成長はしているだろうが、そこからだいたいの場所は見当がつく。今はツツジの植え込みに替わっているが、その場所だろう、と僕は立つ。念のため、二〇〇〇年に撮影された女子高生二人組の自撮り写真も確認し、後ろにある大きな家の白い壁が、現在も壁としてだけ残っていることを見て、ここに間違いない、と断定する。祖父は小さいころ、ここからいつもバスに乗り、駅に向かったり、公園に遊びに行ったりしていたのだ、と思うと感慨深い気持ちになる。しかし、それだけだ。いすのことは、なにもわからない。

 仕方がないのでぼくは駅へと戻り始める。距離は少しあるが、歩けなくもない。周りの風景を見ながらぶらぶら進むと、ぼんやり祖父との記憶が蘇ってきた。祖父の家は外れにあったが、買い物をするには駅へ行く必要があり、そういえばときどき、お菓子なんかを買ってもらいに二人で出かけたことがあった。祖父は歩くのが早いから、ついていくのが大変だったっけ、なんてことも思い出す。

 やがて、駅前の商店街に入る。「みどり商店街」というレトロな意匠のアーチ型看板をくぐり、これは昔と変わらない、と考える。商店街ができたのは戦後すぐで、この看板は何度か建て直されていることを、アーカイブズで確認していた。もはや天然記念物に近い、昭和型の商店街の中では健闘している方だと思うが、それでも更地が目立つ。変わらないのはタイル張りのこの道で、幾何学的な模様は赤や青で色づき、それを踏まないようにぴょんぴょん跳びながら歩いていた。

 青と白のストライプの、なんという名前なのだろう、ビニール製の庇がついた店の前で、ぼくは立ち止まった。「ハマダ玩具店」。白抜きで、店名がそうかかれている。ざわりと、二の腕が粟立つのを感じた。まだあるとは、思わなかった。もう、一〇年も、前になるのに、そこだけ時間が止まったみたいに、ドアの手すりの金属はぴかぴかとしていて、ガラスは澄んでいて、みっちりと詰まったプラモデルの箱がそびえているのが見えて、ぼくは、あのときかいだ、少し黴臭いにおいまで思い出した。ここは、ぼくがシールを買った、店だ。正確には、祖父が、ぼくに、買ってくれた。

 

 そのペンギンはマンガのキャラクターで、マンガ自体は昭和からあるが、今の時代になってアニメとしてリメイクされ、人気が再燃した。そのとき、当時はそこまで知名度のなかった端役の人語を解するペンギンの出番が増えた。レトロなシールつきのお菓子が販売され、子どもの間でちょっとしたブームになった。

 でも、ぼくの両親は厳格なタイプで、そういうお菓子を蛇蝎のごとく憎んでいた。射幸心を煽るようなものを販売するなど何事だ、というわけだ。ほかの友達がこんなレアシールが出た、みたいな話をするのを、うらやましく思っていたものだ。

 だから、その日、祖父が「散歩に行くか」と言ってくれて、歩き出したとき、期待はあった。だいたい祖父は町をぐるりと回るような散歩にぼくを連れ、その終わりになにかを買ってくれるのが常だった。ぼくは小賢しい子どもだったから、祖父をこの商店街に誘導するように、巧みに話しかけながら歩いた。ほら、あっちにきれいな花が咲いていたよ、そういえば畳屋のおじさん元気かなあ、といった感じで、徐々に徐々に商店街へと足を向けさせた。

「どれ、なんか買ってやるか」

 と、祖父が立ち止まったのは、青と白のストライプの「ハマダ玩具店」で、企みが成功したぼくとしては気持ちよく店内へ入った。「ハマダ玩具店」は、プラモデルの箱がずらりと並ぶ、ちょっとぼくのような年齢の人間には高めのハードルの店だったけれど、お菓子もレジ前で扱っていることを知っていた。特に目的ももたない風を装ってレジまで進むと、案の定、そのマンガのお菓子は販売されていた。無造作にかごに入れられて、子どもでも買えそうな値段で。

 でも、そこまできて、ぼくは怖気づいてしまった。おそらく祖父はすぐに買ってくれる。でも、買って帰ったことがわかれば、両親は激怒するかもしれない。祖父の前では怒らないかもしれないが、帰ったあとに、なにか文句を延々と言われるかもしれない。それはぼくに対する説教かもしれないし、老人にありがちな子どもへの甘やかしへの愚痴かもしれない。いずれにせよ、僕としてはそれは嫌な感じがした。さりとて、祖父に買ったことを言わないよう口止めするのは困難に思われた。僕ひとりであれば、その小さなお菓子を隠し切ることは容易だった。だが、祖父はたぶん、両親に問われれば、今日買ったものをしゃべってしまうだろう。僕は祖父を説得するための言葉を幼い頭なりにふりしぼって考えてみたが、思いつかなかった。祖父を説得するためには、なぜ両親がこういったお菓子を毛嫌いするのか、そしてそれに反して自分がなぜ買いたいか、そしてそれを隠さなければ起こる不愉快な未来を、具体的に説明しなければ、祖父が得心しないことは容易に想像できた。そういう意味で、祖父は正しさに対して敏感だった。職業柄、というところもあっただろうけれど、それは生来の性格によるものなのだろう。

 ぼくがじいっと、そのお菓子の前で立ち止まっている意味を祖父は理解し、ひょいっと、パッケージのひとつをとり、「これ」と店員に差し出した。店員は値段を口にし、祖父は財布からお金を渡し、そして店を出た。それは何分間かあったはずだが、ぼくには一瞬に思えた。気がつくとぼくたちは店の外にいて、祖父は「ほれ」とぼくにそのお菓子を渡した。ぼくはパッケージをまじまじと眺めた。きらきらした包装紙に、マンガのタイトルと、主人公の少年のデフォルメされたイラストが印刷されている。それを見たら、とたんにぼくは感情の波がぶわっと押し寄せてきて、どうしようもなくて、泣き出した。祖父は少し驚いた顔を見せ、「どうした」と訊ねた。ぼくは「いらない」と、祖父にこのお菓子を突っ返した。「なぜ」と当然祖父は訊き返し、ぼくはそれに上手に答えられず、「もういらない」と繰り返した。それを我儘と受けとったのだろう、祖父は表情を険しくして、さっさと歩き出した。ぼくは「いらない」と泣きながら、それでも彼のあとを追いかけ歩いた。そういえば、今日のように暑い日だった。陽炎が立っていて、けれど蝉は鳴いておらず、静かな青空の下、ぼくは泣きながら歩いた。

 祖父の家に戻ると、泣き腫らした顔のぼくを見て、母親は驚いたようだったが、祖父の「知らん」という言葉と、ぼくが手にもつお菓子を認識して察したらしかった。祖父の前だったからなのか、泣きじゃくるぼくを見て不憫に思ったのかはわからないが、そのお菓子についてなにも言うことはなかった。

 だから、ぼくが祖父の部屋のいすに、そのシールを貼ったのは意趣返しに近かったのだろう。彼が買い与えたもので、ぼくはなにか傷をつけたかったのだ。もしくは、猫が電信柱に体をこすりつけてマーキングをするように、自分の気持ちを祖父に見せつけたかったのかもしれない。包装紙を破り、人気のあったペンギンのキャラクターのシールが出たときには、少しためらいも出たが、それでも、祖父の部屋のいすの脚に、べったりとそれを貼った。予想していたよりも気持ちが晴れ、残りのお菓子も二口で食べた。

 そのことについて、祖父になにかを言われた記憶はない。小言も、質問も、なにも。だから、その出来事は忘れていた。でも、忘れていたことと、存在していないことは、違う。

 

 ドアをくぐると、「いらっしゃい」の声が奥からした。姿は見えない。うずたかくプラモデルの箱は積まれ、あのころと同じように店内は迷路のごとく薄暗い。ぼくは、目的をもたないお客を装い、商品の外箱の文字をつらつら追いかけながら、ゆっくりと店の奥深くに入った。

 特別に目を引くものはなかった。ぼくは昔からプラモデルとか、そういった類のおもちゃにはあまり興味を示さなかったから、とりたてておもしろく見ることもない。品ぞろえが変わっているのかどうかも、ぼくにはよくわからなかった。前とまったく同じだと言われればそのような気もしたし、それを訊ねることは間違い探しを強いているようだ。ゆっくりと、観光地の有名な彫刻でも見るように、ぼくは歩く。

 レジには、新聞を読んでいるおじさんがいて、ちらっと顔を上げたが、その後は面白くなさそうに視線を紙面に戻した。当たり前だが、レジ前にあのお菓子はなかった。というより、菓子のコーナー自体がなくなっており、安っぽいソフトビニールの人形がかごに無造作にいれられていた。

「なにか?」

 ぼくがじいっと見ていたからだろう、気怠そうに店主が訊ねた。ぼくは少し迷ったが、「学校の勉強で、調べ物をしているんです」と言った。ふうん、と店主は、やはり関心がなさそうに返事をした。ぼくは続けて、「山里団地の歴史を調べていて」と言うと、「山里団地?」と店主は訊き返した。

「ご存知ですか?」

「いや」店主は首を振った。「聞いたことないね」

 ぼくは少々がっかりした。見たとこ、ぼくの父親よりは上だろうこの店主は、町の歴史とかそういうものに興味がないのだろう。

「ここの店、子どものころにも来たことあるんです」

 妙な空白をつくりたくなくて、ぼくは言いたくもないことを言った。店主はうすく笑い、「まだ今も子どもだろうよ」とぼくを見た。

「でも、あんまり変わんないですね」

「そりゃそうだ」と店主は新聞を畳む。「去年開いたばっかだから」

「去年?」

 ぼくは訊き返した。

「元気のない商店街を盛り上げるっていうんで、安く貸してくれたんだよ。この商店街の店は、そういうのばっかさ」

 店主が担いでいるのだろうと、ぼくは笑う準備をして唇を開けたが、いたって彼は真面目な顔のままで、「で、なに買うの?」と訊いた。ぼくは顔が強張ったまま、とりあえずソフトビニールの人形をつかむと、これ、と差し出した。はいよ、と彼は小さな紙袋に入れ、ぼくからお金を受けとると、「まいど」と言って、また新聞を読み始めた。

 ぼくは外に出た。振り返る。「ハマダ玩具店」。青と白のストライプ。ぼくは頭を振る。

 

 曾祖父は戦争での苦労を口にしていたが、実際にはまだ少年だったために戦地にも行かず、動員もかからず、案外と育ちのいい家であまり不自由なく暮らしたらしい。

「身を崩したのは自分のせいさ」

 と、祖父は笑って話した。お酒の入っているときだ。「賭け事に手を出して、悪いヤツらとつるむようになって、あとはお定まり。そのころには母のお腹の中には私がいて、だいぶ苦労させられたそうだ」

 曾祖父は定職につかず、祖父の母親は女手一つで二人の子どもを育てなければならなかった。そのときに、役所に勤める知人のツテで山里団地に入ることができた、と言っていた。

「大きな野山を崩したものだから、けっこう反対活動が盛んだったようだが、私たちにとってはありがたい話だったよ。決して格安という家賃ではなかったから、母は苦労しただろうが、子どもたちに長屋暮らしはさせたくなかったんだろうな」

 当時の一九六〇年前後の新聞記事には、山里団地に関する話題はよく出てくる。多摩ニュータウンや高島平ほど有名ではないが、団地ブームの先駆けのひとつとして、研究史にも登場する。丘陵地にあった山里団地の工事中の豪雨で大規模な土砂崩れがあったことにより、近隣住民を中心とした反対運動が起こったのだ。植林をすればよい、という考えが支配的だった当時において珍しい事例だった。その後、ぱったり団地の記事はなくなるので、さほど盛り上がりを見せることはなかったのだろう。史実的な記載が後年あるだけで、団地は完成し、新しい生活を夢見る家族たちでそこは溢れた、と思われた。

「だから、団地を去るときは寂しかったよ」と、祖父は言った。「タケルくんと過ごした大事な場所だ。大切な思い出を置き去りにしていくようでね」

「秘密基地もあったしね」

「そうだ」そのとき、祖父はぼくの言葉に深くうなずいた。「多くの冒険が、あの場所に残され、消えていくことになる」

 そして、老朽化した山里団地は、建設後数十年してから、取り壊され、まっさらとなる。まっさら。それは物理的な話であり、歴史の話ではない。時計の針を戻しても、時間そのものが戻らないように。

 

「あー、君」

 アーケードの終わりに、呼び止められた。振り向くと、警察官が立っている。

「なにしてるの?」

 警察官の表情はにこやかだが、視線は鋭い。無線がガガガッとなにごとかを発し、でも彼の視線は揺るがない。

「学校の授業の一環で」と、ぼくは答えた。「探究学習で、地域史を勉強しているんです。山里団地の歴史から、祖父と自分のルーツを探そうと」

「山里団地?」

 警察官は、あの店主と同じような声を上げた。「なにそれ」

「なにって」

 ぼくは口ごもった。「ほら、この近くに。昔、大規模な団地があって」

「団地」

 うーん、と警察官は首をひねった。

「聞いたことないけどね」

「そんなはずは」

 ぼくは端末を出して、〈市民のアーカイブズ〉に接続をした。ログインののち、保存していた写真を表示する。女子高生が自撮りをしているバス停。「ほら、この『山里団地前』っていうバス停。あるじゃないですか」

「ほんとだ」

 貸してもらっていい? と警察官は端末の画面をじいっと見る。「この白い壁の家、知ってるな。ずっと前に、横領で捕まった政治家が住んでた」

「でしょう?」

 ぼくはほっとして、端末を返してもらった。

「でも、こんなとこにバス停なんてあったっけ?」

「今はもうないんです。何年か前まであった巡回バスが廃線になって」

「巡回バス?」今度は警察官は薄く笑った。「君の口からは聞いたことのない単語がたくさん出てくるね」

 からかわれている気分になったが、警察官の表情は変化がなく、「ダンゴムシっていう名前の」と口にすると、「ひどい名前だな」と彼は制帽をかぶり直した。

「勤勉な学生であることはわかった」最後に警察官は言った。「ま、ここらへんも最近は物騒だから、あんまりウロウロしないように」

 警察官の去って行く背中をぼくはしばらく見る。気温に関係なく、空気がひんやりと縮こまる気配があった。それを振り払って、ぼくは歩き出す。

 

 そしてまた、ぼくは「山里団地前」のバス停跡に来た。なにもない。アーカイブズの写真をいくつか見繕う。ベンチに座ってピースサインをつくる女の子、顔を少し上げてバスを待つ老婆、成人式だろうか、袴を着る男性。それぞれの思い出が画像データとして蓄積され、そのどれもが「山里団地前」というバス停表示の近くで行われ、そしてあのいすが、写っていた。背もたれが見切れていたり、真正面だったり、様々であったが、そのどれもに、いすは存在していた。でも、今、目の前には、ただの空白がある。

 

(つづく)