姉の冬眠
どうして神様は七日で世界をつくったのかしら、と、チカコさんは思っている。神様はたぶんひとりぼっちだからだと、彼女はその続きを考える。もしも二人なら、二で割れる数にして、その一週間を半分こにわけたはず。もしも三人いたならば、九とか六にして、仲良く等分したはずだ。ババ抜きのカードを配るみたいに。神様はかわいそう、だけど、わたしたち三姉妹もかわいそう、それなりに、とチカコさんは思っている。
チカコさんの双子の姉が冬眠したのは半年も前だった。この呼び方はとても複雑だ。なぜならチカコさんは三姉妹だからだ。でも三つ子ではない。チカコさんには三つ離れたトオコさんという姉がいて、チカコさんと双子なのはヒサコさんの方だった。年齢順に並べると、トオコ、ヒサコ、チカコ。ヒサコさんとチカコさんは、産まれた時間は十五分ぽっちしか変わらないけれど、世に倣ってヒサコさんがお姉さん、チカコさんが妹、ということになった。おなかの中の順番で、きっとヒサ姉は、わたしを足でぐいいと圧して先に頭を出したに違いないと、幼いころにチカコさんは考えて、ぐいいいと、ランドセルを背負ったヒサコさんの背中をランドセルごと押して、ケンカになったことがある。トオコさんはそのとき五歩前を歩いていて、二人が取っ組み合いになりそうなところを、「およしなさい」と、丁寧な言葉で諫めた。トオコさんは、そんな風なしゃべり方をいつもした。
ヒサコさんが冬眠をした日は、いつまでも暑い夏の終わりの、まだ暑い日で、彼女は房総の海でダイビングをしていた。免許を持っている彼女は、ひとりで舟を借り、沖に出て、いつものポイントでもぐった。だから、その様子を誰かが見ていたわけではないけれど、きっとなにかがあって、彼女は溺れた。ヒサコさんが、人工冬眠機構を実装していたことを、トオコさんもチカコさんも知らなかった。Qニューロン、という視床下部にある遺伝子を刺激すると、代謝が急激に低下し、ヘビとかクマとか、そういうのとおんなじような冬眠状態になるのだという。
「太古の昔の人類には、そういう機能が備わっていたのです」と、説明をしてくれた、ヒサコさんの主治医は言った。高校のころの数学のセンセに似てる、とチカコさんは思っていたけれど、しゅんと背筋を伸ばして聞いているトオコさんの横顔を見ると、そんなことは言い出せなかった。
「かなり最新の技術で、実装している人はまだ少ないでしょう。ナノマシン自体もあまり広まっていないのですから仕方ないのですけれど。心肺機能の停止や異常を判断すると、Qニューロンに光刺激をして活性化させ、冬眠状態にします。これにより、大事な」と、ここで高校のころの数学のセンセに似ているヒサコさんの主治医は、自分の頭を指差した。寝癖がある。「脳の機能を守るというわけです。蘇生までの時間稼ぎ、ということでもあります」
でも、ヒサコさんは目覚めなかった。つつつ、とセンセは、自分の指した頭を、後頭部に移動する。「妹さんはここに挫傷がありました。岩かなにかにぶつけたのでしょう。おそらくはそれが原因で、冬眠の解除がうまくいかないのです」
妹さん、という言い方は、トオコさんを主に見つめて話しているのだから、当然の呼び方ではあるけれど、チカコさんとしてはフクザツな気持ちになった。わたしにとってはヒサコさんは十五分先に生まれたお姉さんなんだけどな、と、彼女は考える。
「ご両親はいらっしゃらないとお聞きしましたが」
と、主治医は続け、トオコさんは頷き、その話は三姉妹の「かわいそう」につながりそうだからか、誰も続きに触れず、それから事務的な話を二人は続けた。今度は明らかにチカコさんは蚊帳の外で、それっておかしい、と、彼女はことさらやけに、ふんふん、と頷いてみせた。確かにトオコさんはわたしより歳上で、幼馴染の旦那さんも、幼稚園に入ったばかりの息子もいて、わたしはいまだに独り身で、定職にもついていないけど、それでもまあまあ社会人やってるから、こういう話を聞く権利はある、と、チカコさんは考えている。けれど、トオコさんはいつまでもチカコさんを子ども扱いする。わたしがヒサ姉より十五分あとに生まれたときから、ううん、両親が死んでしまってからとりわけ、トオコさんはそうだった。
ヒサコさんは、維持装置に入って経過を見ることになった。特例に特例を重ねて、病院の一室で、検証も兼ねて様子を半年見た。でも、呼吸も心拍も血液検査の数値も、おおよそすべての数値に変化がなく、結局は家に戻ることになった。どの家に? それが問題だった。
トオコさんは現実家で、私たちきょうだいが預かるのは難しかろう、ということを言った。きょうだい、という言い方をトオコさんはよくする。しまい、なのにな、とチカコさんは思うが、一番上の姉が口にするひらがなの、きょうだい、は、そんなに違和感もない。トオコさんは役所を使って、ヒサコさんのような冬眠患者を長期に引き取れるような施設を探したが、あまり例がなく、どこも断られてしまった。
では、と次にトオコさんが考えたのは、自宅に引き取ることだった。トオコさんのマンションの部屋は、もう一人子どもが生まれたときのために、ひと部屋多い間取りになっていた(トオコさんはとても計画的だった)。そこにヒサコさんを置いたらよかろう、とトオコさんはチカコさんに告げた。これにチカコさんは反発した。猛々しく。クジャクのように。
「そうはいっても、双子なのはわたしだよ」と、チカコさんは言った。その言葉は論理性のかけらもなく、トオコさんもぽかんとしたあとに、失笑のような、唇のゆがめ方をした。チカコさんはその様子を見てさらに頭に血が上り、「わたしの方が、ヒサ姉のことをわかってるし、ヒサ姉は、わたしの方がいいに決まってる」と続けた。
それで結局、トオコさんが、それならば、半分半分で預かりましょう、と言ったのは、妥協した、というより、チカコさんのその子どもの駄々に似た行動が、そう長続きしないだろうということを予見したからだろう。一週間を半分に分け、それぞれが、それぞれの部屋でヒサコさんの維持装置を管理する。二人はそれで納得した。
問題だったのは、一週間が七日あり、それは奇数で素数で、割り切れないということだった。余った一日について、どちらが預かるのかということを、チカコさんは、ぼんやりと自分だろうと思っていた。こうやってわがままを言ったのはわたしの方だし、その迷惑料ってことで、一日分、多く預かるのは問題ない。三日も、四日も、あんまし変わりはしないだろう、とチカコさんは考えた。
でも、トオコさんはそう言わなかった。
「わたしが預かる」
彼女はそう言った。「最後の一日は、わたしが預かる」