猫が座ると死んじゃうのよ。
ぼくが寺田さんの言葉を聞いた年は、たぶん、孤独な年だった。その先の人生を含めた総体で考えればきっと相対的にはそうでもないのだろうけど、とにもかくにもぼくが、人生で初めて経験した、純粋な孤独だった。ようやく大学に入れたものの、友達のひとりもできなかった。スクーリングはちゃんと出ていたし、隣の席に座った学生と世間話もしたし、サークル活動も見学した。だけど、ぼくはそのどれともなじめなかった。大学に入る前までは友人もいて、地元を出てからもやりとりを続けるぐらいだったが、こちらに来てからは、そうやって自然にできていたことが、なんにもうまくいかなくなった。一年、二年と日付が過ぎていき、細々としたメンテのバイトと、もぐりこめた給付型インターンの毎日を過ごすぼくは、客観的に見れば孤独であった。どうやら孤独では人は死なないということはわかってきたけれど、孤独には真に慣れることはできない、ということがだんだんと理解できてきたころだ。おまけにその年の冬はいつも以上に寒く、寺田さんと会った日は、冗談ではなく、雪でも降りそうだった。
猫が座ると/死んじゃうの/よ。
その区切りのひとつひとつのつながりに意味はない。コーヒーカップの底のうずまきになにかの予兆を見出すように、それはちょっとばかり大胆で、牽強付会で、ギリシア時代に考えられたこいぬ座のようなかおつきをしている。
自治会の掲示板の電子化を頼まれたのは一年前で、ぼくは近隣の大学に通うため、この町に越してきた学生だった。アパートの大家さんが寺田さんの旦那さんだったのだけれど、だからといって、特別交流があるわけでもなかった。
「サトウくんならできるかなと思って」
と、その寺田さんの旦那さんが、掲示板のことを頼んできたのは、たぶんぼくが、彼らのもつラジオの修理をしたからだろう。別にわざわざぼくにラジオを持ち込んできたわけではなく、ぼくから声をかけた。親切心からではなく、見かねたからだ。寺田さんの旦那さんは、よく自室でラジオを聞いていた。牧歌的、というわけではなく、隣のアパートに住んでいた僕からすれば、窓が開け放たれた部屋で年中音を出すそれは騒音だった。だから、ラジオが壊れ、ぱったりと聞こえなくなったときはほっとしたものだ。
でも、寺田さんの旦那さんの静かな部屋は、なんだか静かすぎるような気がして、町中で見かける彼の姿も、どことなく翳があり、だんだんと、ぼくはその静寂の方が気になるようになってしまった。だから、なんてことないドアの建付けの修理の名目で相談しに行ったとき、ラジオはどうですか、と訊いてみた。ら、君は直せるんですか、と、彼は言ってきた。聞いてしまった以上、断る訳にもいかず、ぼくはその小さな古ぼけた機械を預かった。電波を拾って音声に変換するだけのその単純な仕組みの機械は、ラジオ局自体がかなり減った今でも聞かれているし、装置の仕組みはそうそうに変わらないから、ぼくはいくつかの配線をはんだごてでつけるだけで手早く済ませ、寺田さんの旦那さんに持っていくと、思ったよりも彼はうれしそうな顔で「ありがとうなあ」と言った。ぼくも機嫌をよくして、「ちょっと音量下げてくださいね」と言ってみたが、それからも結局はラジオはおんなじくらいのボリュームで聞こえる羽目になり、だけど、かける時間帯は少しばかり気をつけてくれるようになった。夜のそんなに遅くない時間、落ち着いたアナウンサーの声と、クラシックが流れるのは、悪くはなかった。
その一件から、そういうのに強い人、と見なされたらしい。機械関係に疎かった寺田さんの旦那さんは、いろいろな困りごとをぼくに持ち込んだ。ノズルの詰まった自動水やり装置とか、なにに使うかわからないリモコンの適合機種探しとか。難しかったのは、音声認識装置つきの写真立てで、「花の写真を表示して」などというと、メモリにあるデータを表示するという代物だったが、正規品ではなかったために、プログラムまで書き換える羽目になった。そして、その果てが、掲示板だった。
最近では、町中に立っている掲示板のいくつかが、紙を貼るタイプではなく、電子ペーパーを使って表示されるようになってきた、と聞いたことがある。たしかに、電子ペーパーはだいぶ割安になってきたし、バッテリーのもちもいいから、先進的な自治会は取り入れるのかもしれない。とはいえ、ぼくとしては、たかだか自治会のお祭りとか、訃報とかを知らせるだけのものに、わざわざデジタルの技術を使うのは無駄なのではないかという感想をもっていた。から、できるかできないか、の話よりも先に、必要ですかね、という返答をした。すると、寺田さんの旦那さんは、ちょっとしかめた顔になって、「想像力をもつべきだ若者よ」と、仰々しく言った。
「たとえば、この町にもまだ日本語に慣れない人がいる。そういうときに多言語に対応できるデジタルデバイスは必要だろう。災害時の迅速な情報提供としての役割もある。要するに、私は、明らかに乗り遅れたようなお知らせが貼られる言い訳的な従来の掲示板運用でなく、攻性の主体としての掲示板にしたいのだ」
ぼくは、寺田さんの旦那さんみたいなとしよりの考えは、保守的であまり見るものもないと思っていたクチだから、べらべらっとしゃべる彼の言葉に驚いた。若者らしくちょっとむっとしたこともあるけれど、家賃やらなんやらよくしてくれていることもあるので、結局は引き受けることにした。寺田さんの旦那さんは、町内に呼びかけて、使わなくなった電子ペーパーを画面とした端末を集め始めた。一家にひとつかふたつは転がっているのだろうか、その呼びかけにそこそこの数の端末が集まった。ぼくはそれを休みの日にこつこつ分解をして、いろいろとつなぎあわせて、こうして自治会の掲示板ができた、というわけだ。
掲示板は、みどり町第二児童公園の前に立っている。柵の向こうにま白いペンキで柱が塗られ、ぼくがつなぎあわせた電子ペーパーの画面がやや不格好に貼られている。自治会員は、お知らせしたい内容を自治会長や広報担当に送り、承認されれば、それが自動で電子ペーパーの画面に表示されるという仕組みだ。今までの紙の張り紙が、そのまま電子画面に置き換わったところを想像してもらえればいいだろう。ひとつの画面はリアルタイムの情報用にし、天気とか簡単なニュースとかのフィードを表示できるようにした。町の人にはそこそこ好評で、寺田さんの旦那さんいわく、立ち止まって眺める人が増えたという。電子ペーパー端末についていた音声認識装置をそのまま流用して、「今日あるイベントは」なんて質問で、夏祭りの日時が出たりするようにもした。
「だから私も気になってねえ」
と、寺田さんは、猫の話をしたときに言った。寺田さんの旦那さんは半年ほど前に亡くなっていたし、自治会長は全く別の人が選任されていたから、寺田さんが掲示板のことを気にする必要はないのだけれど、彼女はなにくれと掲示板のことをぼくに訊きに来た。ちょっと画面の切り替わりにタイムラグがあるとか、ソーラーパネルの調子が悪いとか。たしかにぼくだって、専属の修理屋ではないけれど、乗りかかった船ということもあって、それなりに対応をして、大方、もしかすると彼女の思っていたような結果ではなかったかもしれないが、解決をしてきた。でも、今回の件は、今までのものとは毛色が違った。
「猫が座ると死んじゃうのよ」
その剣呑な言葉にぼくが怪訝な顔をしてみせると、あらごめんなさい、と寺田さんは上品に微笑んだ。「夫にもよく、お前の言葉遣いはユニークだな、って呆れられていたの」
切り出されたのは玄関先だったが、実際見た方が早いでしょうということだったので、ぼくは寝間着にコートを羽織って一緒に外に出た。雪なんて降らなくなって久しいが、そういう予兆でももっていそうな灰色の空で、おとなになったぼくでも、ひとひらでも降らないかとちょっとわくわくする。ひと昔前は、自治会の加入率は低下の一途をたどっていたようだけど、いまはコミュニティ・ハブとして欠かせない存在だ。道路にゴミが落ちていないのも、植え込みが伸び放題になっていないのも、ぼくたちが適切に自治会の会費を払ってアウトソーシングをしたからである。みどり町には、データ保管業務を行う企業が参画していて、他の町と比べても、そのあたりは恵まれているかもしれない。本来なら、ぼくがいまやっていることも、そうやって適切に専門の業者に頼むべきなのだろう。でも、義理と人情というものも、世の中には大切だ、とぼくなんかは考える。孤独なるぼく自身は、その範囲から外れているのかもしれないけれど。
ぼくと寺田さんはみどり町第二児童公園まで来た。すべり台と砂場とブランコのみの、シンプルな公園だ。ジャングルジムはその昔にあったそうだが、事故かなんかがあって撤去してしまったらしい。早朝、子どもの姿はない。
「今日はいないみたい」
寺田さんはきょろきょろと辺りを見回していた。「猫が来るの」
「猫ですか」ぼくは聞き返した。「誰かが散歩させてるんですか」
「ううん、放し飼い、というか、野良」
え、とぼくは思う。「それって危なくないですか」と言うと、寺田さんは「まさか」と笑った。「かわいいのよ、人慣れもしていて」
ぼくはいくつか言いたいことがあったけど、そこは黙った。いまだに、この世代と猫について話すと感覚がずれていて変な気分になる。野良猫や放し飼いの猫がわんさかいたころは、感染症の拡大や生態系への影響などが問題になっていたという。当時の環境省のリーフレットでも室内飼いが推奨されていた資料を見ると、嘘みたいな話だ。でも、寺田さんぐらいの年代の人にとって、猫は外を自由に歩くイメージで、その「自由」が猫の象徴として大事らしい。かわいそうじゃない、などと、たとえばぼくの親なんかも言う。でも、事故にあったりあわせたり、いろいろ壊してしまう可能性があるならば、そちらのほうが「かわいそう」ではないだろうか。そんなことを考えていると、寺田さんは、「あなたも夫と同じことを言うのね」と言った。「あの人も、あんまり猫が好きじゃなかったみたいで、私が猫を写真にとっても、ひとつも見ようとしなかった」
それから寺田さんは、ちょっと遠い目をして、でも、すぐに表情をやわらかくした。
「で、そのイワシがね、そこに座るの」
寺田さんは、掲示板横のサクラの切り株を指差し、ぼくは「イワシ」という名前に首をひねる。たぶん、猫の名前なんだろうけど、変な名前だ。
「そうすると、この掲示板が、真っ暗になっちゃうの。つまり、死んじゃうってこと」
ぼくは切り株と掲示板を交互に見やり、いくつかの可能性をすでに頭の中で検討し始めていた。すべての現象の結果には原因が伴う。結果が不可解であったところで、大本はシングルイシューであり、そこに付随するなにかが目に見えにくい形で絡まっているにすぎない。猫が座ると死んじゃうのよ、は、言い換えると、猫が掲示板横の切り株に座ると電子ペーパーの画面がブラックアウトするのよ、ということだろう。そしておそらく、「猫が掲示板横の切り株に座る」も、視覚上の現象としては正しくとも、もっと分解できそうな予感があった。
その日は猫は訪れず、次に寺田さんがぼくを呼びに来たのは一週間ほど経ってからだった。たしかにぼくはその日も家にいたが、来週から始まる試験の勉強をしていたところだったので、今度は少しつっけんどんな対応をした。寺田さんは気を悪くする風でもなく、猫、猫がいるのよ、と、いつものおっとりよりはやや口早にぼくを呼んだ。断ることもできたけれど、興味をひかれたことは否めないので、やっぱりこの前と同じように寝間着にコートを羽織るという格好で、ぼくは寺田さんのあとについて公園に向かった。
果たして猫はいた。ただ、切り株にはのっておらず、近くのマテバシイの木の幹にしきりに体を擦りつけている。キジ柄の、てっぷりとした体躯の持ち主である。
「ね」と言う寺田さんの前の掲示板は画面が生きていて、これからまた寒くなるという予報や、もちつき大会のお知らせが表示されている。
「まあ、見ててごらんなさい」
と、寺田さんは、「イワシちゃん」と猫を呼んだ。思ったよりも太い、にゃああん、という声と、思ったより俊敏な動きで「イワシちゃん」はてとてとやって来ると、ちょこんと切り株の上に座った。犬のおすわりの芸に近いような座り方である。
「こういうの、エジプト座りって言うんだって」と寺田さんは言った。「なんか、エジプトの猫の神様の座り方と似てるからって」
そんな話をしているうちに、掲示板が真っ暗になった。ぼくは物珍しく猫を見ていたものだから、最初は気づかず、いつのまにかすべての電子ペーパーの画面が真っ暗になっている。
「ね」
得意げに寺田さんは掲示板を指差す。「ほんとだったでしょ」
ブラックアウトした画面は、電源自体が落ちている。念のためにと持ってきていたドライバーで背面の蓋を開け、とりあえずコード類を抜き差しして再起動を試みると、しばらくして画面はまた明るくなり、電波を拾ってそれぞれの情報を映し始めた。「エジプト座り」をしている猫は、目を閉じて仏像のようにしゃんとしたままだが、掲示板はそのままである。ぼくは情報を更新する。猫が座ると死んじゃうのよ→猫が掲示板横の切り株に座ると電子ペーパーの画面がブラックアウトするのよ→猫が掲示板横の切り株に座った初回にのみ電子ペーパーの画面がブラックアウトするのよ。
寺田さんは猫の顎を撫で、ねえイワシ、と呟き、「なんでかしらねぇ」と言う。イワシはごろごろと喉を鳴らしている。寺田さんはぼくを見て、どう? と誘うような目つきになったが、ぼくはあいまいに微笑んだ。野良の猫なんて、どんな病原菌をもっているかわかったもんじゃない。
イワシが、つと、切り株から降りて、茂みの奥に姿を消す。寺田さんはその行方を名残惜しそうに見送り、
「急ぐ話でもないから、お勉強の合間に見てくれるとありがたいです」
と、丁寧に頭を下げた。
そんな風にお願いされると、ぼくとしても断りづらく、大学からの行き帰りの道を、わざわざ少し遠回りをして、みどり町第二児童公園に寄るようにしてみた。休日も、論文に煮詰まると、公園の方まで行ってベンチに座る。グラス越しに、遊ぶ子どもたちのノードを定常分布でモデル化する作業をしながら、イワシが来るのを待つ、なんてこともするようになった。認めよう。ぼくとしても、この「猫が座ると死んじゃうの」問題が、心の複雑な形をした図形の穴ぼこにすっぽりはまってしまったのだ。それはぼくが孤独だったからだろうか? それはわからない。でも、ちょっとだけ切実で、甘いにおいがするような感覚だった。
ぼくはバイトで、補助型デバイスのメンテをしている。学部は数学関係だったけど、プログラミングベースの技術は持っていたし、なにより、人としゃべる機会が提供されていないというところがよかった。工場に行く。AIがログを解析して寄越した予防保全データをもとに、新品の部品と交換をする。データ系のトラブルであればクラッシュの分析を行って、いくつかのコード変更の提案を行う。このシークエンスに、人との会話は入り込む余地はない。AIと世間話をすることを、もしかしたら人間と同等のものと認識する人たちはいるかも知れないけど、頭打ちになってきた彼らにはまだ、ぼくはそんなに心を開いていない。
作業で多いのは、福祉系のデバイスだった。直接、高齢者なんかのサポートをするロボットタイプはぼくのような学生には回されてこないが、リハビリの補助デバイスや配膳・掃除などを担当するロボットの依頼はよくあった。
寺田さんにその話をしたとき、「あら、夫もお世話になってるのよ」と言っていたことがある。「いま施設は入れないから、役所の方で貸してくれて。脳卒中で頭やっちゃったときは、腕が動かなくなっちゃったから、装着型のデバイスを使って。リハビリって、おんなじ動きを何回も繰り返さなきゃならないから、こういうのがあって助かるのよぉ」
その話を聞いてから、ぼくは福祉系のデバイスのログを読むとき、そこにそれを装着していた人の人生を考えるようになった。何月何日何時何分から何回起動して屈伸の運動をどの程度行って、前回とどのような違いがあったか、なんてことが記録されているそれは、今までのぼくならただの数字だったが、その裏で懸命にリハビリや生活をこなす人間がいることを考えると、ただのデータとして見るのは難しい。彼らの無表情な努力を、あきらめを、成功を、ぼくは、なんとなくであるが、そこから感じとれるようになってきた。ぼくとしては、おしゃべり好きの奥さんに比べれば無口な方の寺田さんの旦那さんに、はからずも親近感を抱いていた。
「余計なお世話だ若者」
だから、寺田さんの旦那さんにそう言われたときは、勝手なことを承知の上で、裏切られた気持ちになったものだ。
それは、寺田さんの旦那さんが亡くなる年の冬で、彼は家の前で倒れていた。慌てて駆け寄ると、「ほっとけ」と、起き上がろうとする。寺田さんの旦那さんは、そのときは、脚にリハビリ用の装置をつけていた。ぼくはバイトのメンテで見たことがあるから、それが、伸膝運動の補助をして、歩行強化につなげる動きを促すことを知っていた。もしかすると、彼の脳卒中の後遺症はもう少しレベルが深刻なのかもしれない、とぼくは考えた。手伝います、とぼくが肩を貸そうとすると、思ったよりも大きな声で、寺田さんは、「余計なお世話だ若者」と返したのだ。ありがとう、と礼をされることすら期待していたぼくとしては心外で、どれくらい心外だったかというと、部屋の窓から、道路に倒れたままの寺田さんの旦那さんを眺めようと思うぐらいには意地悪な気持ちになっていた。もともと人通りの少ない場所だから、助ける人もなく、彼はしばらくそこで倒れていたけれど、息を整え、体勢を四つん這いに変えると、補助デバイスが緑に光り、ゆんやりと立ち上がることができた。ふう、と大きく息をつき、近くの電柱に手を置く彼の表情は、晴れやかではなかったが、しかし、あまり迷いのない目をしていた。そうか、寺田さんの旦那さんも、もしかしたら孤独なのかもしれない、とぼくはそのとき思った。でも、彼は孤独を飼いならした人だ。
寺田さんは社交的で、よく近所の人と出かけるのを見たけど、旦那さんの方はそんな調子だったから、たいていはひとりだった。ぼくが部屋でひとりでぼんやりしていると、うるさいラジオの声が風に乗って流れてきて、あ、寺田さんの旦那さん、とぼくは思い、しばらく耳を澄ませる。孤独は慣れないけど、孤独自体は共有できるのかもしれない。
寺田さんの頼みを断れなかったのは、そういう経緯もあったかもしれない、とぼくは考え、いやちがうだろう、というささやきも、ぼくの心の中にはある。