第一章
龍之進が連れてこられたのは大きな港町だった。
男らは追ってきた足軽たちではなかった。村々や戦場を漁る野盗なのだろう。盗んだ武具や馬具を職人に売り、港で人商人に龍之進を渡して銭を受け取ると、さっさといなくなった。
龍之進は廻船の船底へ入れられ、壁に繋がれた鉄の輪を片足首に嵌められた。他にも女と童男、童女たちが三十人くらいいた。筵や紙に包まれた木綿や古着の束、米俵の他に、昆布などの海産物の俵物も積まれているようで、その臭いと埃っぽさと饐えた臭気が混じり合い漂っていた。
俺はこの積み荷と同じなのか。これからどうなるんだろう。
多聞はどうしただろう? 無事に寺へ戻ったかな。
人商人は筆と帳面を持ち、一人一人、名前と年、読み書きはできるか、なにをしていたかなどを訊き書いていく。顔は頰骨が張って細長く、顎を突き出して猫背気味の姿勢で立ち、いい生地の着物を着ているようだが、鷹揚さは感じられなかった。大きな目をぎょろぎょろさせて船底に押し込められた人々を見た。
「ええか。侍、百姓、男、女は関係あらへん。死刑人の妻子、借金の質流れはもちろん、親が子を、子が親を売り、妻を売る。戦があれば、妻子は捕らえられ、売り飛ばされる。これが世の習いやで。飢饉で死ぬ、処刑や戦で殺されるよりましや。死ぬ命を助けるんやから、これも立派な人助けやで」
人商人がいなくなると、誰も口を開かず、泣き出す者もいる。
まもなく廻船は出港した。
しばらくすると、隣の若い女が話しかけてきた。女の家は河内の百姓で親に売られたが、醜女なので塩田にでもやられ、死ぬまで酷使されるのだろうと悲しそうに笑った。やがて廻船が次の港に着くと、女は他の何人かと下ろされたようだ。空いた場所に大量の塩俵が運び込まれた。
誰も口を利かない静かな船底に、時々鎖が床に擦れる音や船に当たる大波が轟く音がする。船底を鼠が走り回っていた。
寒さで縮こまって寝た。でも、寝付けなかった。
どこへ連れていかれるんだろう?
多聞が羨ましい。父親が死んでしまったとはいえ、多聞には家族がいる。母と兄、姉、弟がいて、帰る場所がある。でも、俺にはない。
父とのなにげない日常が幸せだった。父に褒められたくて気張ってきたのに、その父は……いない。村に戻っても、会いたくても、もう会えない。俺は独りだ、独りになってしまった。
膝を抱えて、潤む目を手の甲で拭った。
早くここから出たい。逃げ出したい。でも、それからどうする? どこへ行く? 独りぼっちなのに。行くところがないなら、抗っても無駄じゃないか。
微笑む父が脳裏に浮かんだ。
『龍之進、諦めるのか? お前はそれでいいのか?』
お父ならきっとそう言う。
いや、こんなのはいやだ。このままで終わりたくない。
ここから逃げ出してやる。お父に「俺はやった、挫けなかったよ」と誇れるように。ぜったい諦めるもんか。
数日後、寂しい小さな船着き場の沖に廻船は停まり、船底にいる全員が甲板に引き出された。龍之進たちはそれぞれ小舟に乗せられて陸に上がると、腰縄に繋がれ、手首を結ばれたまま列になって歩くよう命じられた。
ここがどこなのか、さっぱりわからない。船内にいる間、僅かな干し飯と干しキノコ、木の実が渡されたものの、腹は満たされなかった。空腹で倒れそうだったが、前に合わせてただ足を動かした。
ぼんやりと辺りを見回すと、裸同然の格好で畑を耕し、種を蒔く人たちがいる。彼らの髪はぼさぼさで全身は泥や垢で汚れ、骨と皮だけのように痩せ細っていた。そんな彼らを、刀を腰に差し、鞭を手にした男が一人監視している。
それまで緩慢な動きで鍬を振り下ろしていた男が突然倒れると、監視人の一人が男を鞭打ち、蹴飛ばした。男はなんの反応も見せない。その隙に一人の女が足首に結ばれた縄を解いてよろけながらも走り出した。監視人がすぐさま抜刀して追い、逃げた女を躊躇うことなく背後からなで斬りにした。
龍之進は息を呑み、全身から冷や汗が噴き出た。
「ええか!」人商人が声を張り上げて、畑のほうを顎でしゃくった。「逃げ出そうなんて愚かなことは考えるな。同じ目に遭うぞ」
気がつけば、体が小刻みに震えていた。俺もあんなふうに扱われるのか。痩せ細り、鞭打たれ、逃げ出せば殺されるのか。そんなの、いやだ!
葉が色づくクスノキに囲まれた小さな社の境内に連れていかれた。そこに牢のような小屋がある。龍之進たちは、錠前の付いたその小屋に押し込められた。中には既に物乞いのような男女が何人かいた。
人商人たちは、帳面を開いて小屋にいる〝売り物〟の品定めを始めた。
龍之進の番になった。「こいつはどないする?」人商人が帳面を人差し指で突く。
「小しゃかし、腕も細か。田畑にはむかん。黒船に乗しぇたっちゃ、すぐ潰るんやなかか? よか値はつかん」
「そうか? これから背は伸びるし、働くうちに肉もつく思うがなぁ。よし。こいつは読み書きができる。蛮人商人相手なら、ええ値がつくんちゃうか」
全員の値踏みをし終えると、人商人たちは去っていった。
「南蛮人に売らるるんやなぁ」
そばにいた汚い身なりの男がぼそっと言い、龍之進を見た。
「俺が? 南蛮人って?」
「きっとポルトガル人や。異国から来た、牛を喰うという蛮人や。気ぃつけれ。ポルトガル人は童子さろうては、童女ば手籠めにし、童男ばこき使う。それば苦にして死んだ子ばよう知っとう。さあて、人市で家畜のように引き回されて四十人束で田畑に売られ、牛馬のように扱わるるんと、どっちがよかか」
男はこの近くの国の生まれで、盗みをして店主に捕まり、人買いに売られたと話した。人商人の仲間といい、男は耳にしたこともない言葉遣いをする。
「あの、ここは……どこですか?」
「長崎たい」
三日後、人商人に腰縄を引かれ、龍之進は長崎の町へ入った。
長崎は賑やかで、活気のある港町だ。沖に大きな黒い船や和船が見え、立ち並ぶ店の軒先に見たこともない品が陳列されていて、通りを商人と荷馬がひっきりなしに行きかった。
龍之進は逃げ出す隙を狙いながら歩くつもりが、つい珍しい光景に目を奪われた。
奇妙な袴と短い衣に身を包んだ白い肌や黒い肌、褐色の肌の見たこともない異国の男たちが歩いている。首から足首までの黒衣の男たちは、店先で日本人商人と談笑していた。
人商人は二階建ての商家の前で立ち止まり、龍之進の腰縄を解いた。
「おのれの行き先は、ここにおるポルトガル商人や」
今だ! この瞬間を逃さず駆け出した。が、店から出てきた小太りの異国人の男にぶつかり、尻餅をついた。人商人に右腕を摑まれて捻じり上げられ、龍之進は短い悲鳴を上げた。
「小童め!」人商人は龍之進の頭をげんこつで二発殴った。
「なにごとですか!」異国人の後ろから、童女が現れた。
「逃げようとしよって!」人商人は、龍之進の腕をさらに強く捻る。「もっと痛い目に遭わんとわからんのや。逃げたらあかんと、体に覚えさせんとな」
「やめてください!」
童女は強く言ったあと、龍之進が聞いたことのない言葉で小太りの異国人に話しかけた。すると、小太りの男は家に入って大きな声を張り上げた。
初めて間近で見る異国人に圧倒され、龍之進は恐怖を感じた。
まもなく背の高い異国の男が現れ、「マヌエル・カルバジャルです。この童ですか? 手を放してください」と妙な訛りのある日本語で人商人に言った。波打つ栗色の髪、鼻が高く、端整な顔立ちで、見るからに仕立てのいい衣を着ている。
人商人が手を放すと、童女が肩を痛がる龍之進に駆け寄ってきて顔を覗き込んだ。
「大丈夫?」
「え、まあ……いてて」
頭を摩りつつ、着物姿の童女を見た。はっとしてつい見入った。日本人のようでも、異国人のようでもある。目は大きく、鼻筋が通り、いいようのない美しさがある。ふと口をぽかんと開けているのに気づいて慌てふためいた。髪はぼさぼさで汚い身なりの自分が急に恥ずかしくなった。
そばに立っていた小太りの男はそんな龍之進を顔をしかめて一瞥したあと、去っていった。
マヌエルは人商人に小袋を渡した。「約束の銀貨十二ペソが入っている」
袋を開け中身を確認すると、人商人は顔を綻ばせ、龍之進に見向きもせず雑踏に消えた。
龍之進に向き合い、マヌエルは微笑んだ。「わたしはマヌエル。この子は沙羅、年は十二歳。わたしの友の娘だ」
「松田沙羅と申します。父はポルトガル人で、母が日本人なの」沙羅は、流暢な日本語で話した。「さあ、急ぎましょう。パードレがお待ちですから」
この娘が俺と同い年? 落ち着いて見えるから年上かと思った。
家の奥へ案内された龍之進は異国人の召使いに手伝われ、湯浴みをし、新しい着物に袖を通した。その後、マヌエルと外に出た。沙羅も通辞として付き添い、「手荒なことはしません。付いてきてください」と言った。
小高い丘にトードス・オス・サントス教会堂と沙羅が説明した南蛮寺が立っていた。
教会堂に入る前にマヌエルが龍之進に、「生まれや年について訊かれるから正直に答えなさい。龍之進を引き取るにあたっての形ばかりの儀式だ。なにも心配はいらない」と言った。
中で、黒衣を纏った異国の男が待っていた。
マヌエルが黒衣の男に恭しく異国の言葉で話しかけ、男は軽く頷き、龍之進に日本語で話しかけた。
「二、三訊きたいことがある。どこの生まれか? 名は? いくつになる?」
男はマヌエルと同じくらいの年だろうか。背はマヌエルほど高くなく、麻色の短い髪で、目は海のように青い。喋り方に癖はあるが、淀みなく日本語を話すので龍之進は驚いた。
「美濃の関ヶ原。名は丹羽龍之進。十二になる」
男は微かに目を細め、じっと龍之進の顔を見つめる。目が悪いのか、睨む癖があるのか、なんだか冷たく怖い。
「関ヶ原? いつこの長崎に来た? 大きな戦があったのは知っているか?」
「知ってます。その戦で父は死にました。俺は戦場のそばで攫われた」
「なに、その戦でか? 父上は侍か? 内府様(徳川)方か? 治部様(石田)方か?」
「徳川方でした」
「銭を支払い、引き取る者はいないのか?」
「いません。三年前におっ母も病でみまかりました。それに銭がない」
「パードレ・バレンテ、龍之進は戦の捕われ者です」マヌエルが言った。「身寄りがないゆえ、わたしが引き取りたいと存じます」
バレンテは首にかけた革紐の先にある小さな円形のものを右目にあて、持っていた紙の内容を黙読した。
「知ってのとおり、司教様は、出自のわからぬ子や正当な理由なしの日本人の売買を禁じている。年季奉公人と認められるのは、戦の虜囚、親や子に売られた者、自らを売った者に限る。この者は、戦の虜囚だな……ならば、よしとしよう」
バレンテは、紙を丸めてマヌエルに差し出した。「年季奉公の証明書だ。大神学校院長様の署名もある」
巻き物を受け取り、マヌエルは礼を述べた。
俺は戦の虜囚ではないし、銭目当ての人取りに遭ったのに。そうか、これも形ばかりの聞き取りなんだ。マヌエルという人が恭しく接しているところを見ると、バレンテっていう黒服の人のほうが身分は高そうだ。
次に、龍之進はバレンテの言われるままに跪いたり、頭から両手いっぱいの水をかけられたり、よく意味のわからない動きをさせられた。それがキリスト教徒の洗礼という儀式で、パードレは日本でキリシタンと呼ばれるキリスト教徒にとって僧侶のような存在だと沙羅に教えられた。そして、洗礼に立ち会ったマヌエルが龍之進の代父ということも。代父とは今後親代わりとなって信仰生活を導く男のキリシタンのことらしい。
「よいか。お前の名は、タデウス・カルバジャルだ。覚えておきなさい」
一連の儀式のあとバレンテから告げられた。タデウスが名、カルバジャルが姓で、異国の年季奉公人には慣例でポルトガル人の代父の姓が授けられると説明を受けた。
とはいえ、我が身になにが起こっているのか、どんな意味があるのか、龍之進にはさっぱりわからなかった。
マヌエル一家は、一年前、明国のマカオという南の地から長崎に来て、町年寄の親族が所有する嶋原町の借家に住んでいた。嶋原町は長崎でも日本人やポルトガル人の裕福な商人が暮らす町で、その家の家主はキリシタンだった。借家の周りには同じくキリシタンの町年寄の家も三軒あるため、一家は町年寄と親しく付き合っていた。
ポルトガル人にこき使われて自ら命を絶った子もいるという話を聞いていたので、龍之進はマヌエルに警戒心を持っていた。なにかあれば、すぐ逃げ出すつもりで。
しかし、マヌエルの周囲からの評判はよかった。日本人の遊女を侍らせたり、妾を囲うこともなく、家人と慎ましく暮らしている。病人や寡婦、孤児、貧しい人々の世話をする慈善院に多額の資金を寄付したり、茶の湯を嗜み、畳に布団を敷いて寝るなど、日本と日本人へ敬意を払い、理解しようと努めているので、日本人から好感を持たれているようだった。
召使いからも慕われ、年季が明けたにもかかわらず、望んでマヌエルの下で働き続ける者もいる。ポルトガル人は、たいてい一人から六人の奴隷を抱えるらしい。マヌエルはカンボジア人一人、マレー人二人の年季奉公人を雇っていた。彼らは、マヌエルの従者、子らの世話係、調理人で、虐待もなく、契約を勝手に破ったりするような不正もないとマヌエルを褒めた。
家ではポルトガル語で会話がなされ、沙羅が付きっきりで龍之進に内容を伝え、ポルトガルの言葉や作法を教えてくれた。これまで女子がずっとそばにいることがなかったので、龍之進は慣れるまでちょっと大変だった。沙羅は立ち振る舞いが大人びていて、召使いたちにも決して偉ぶらない。そんな彼女をマヌエルは温かく見守り、実の娘のように育てている。
マヌエルの妻はずっと前に病で亡くなったそうだ。ペドロという名の八歳の息子がいるが、龍之進と同じくらいの背丈ながら、手足が長くひょろっとしている。初めて対面した時、龍之進を遠慮がちに観察し、小さな声で挨拶した。人見知りする子のようで、弟と思って遊び相手になってほしいとマヌエルから頼まれた。
龍之進を引き取ったのは、貧しさゆえに親に捨てられた子や売られた子を迎えようと考えていたところ龍之進の話を持ちかけられたので、その子の養父になろうと決めたとマヌエルは話してくれた。
「龍之進の父は侍と聞いた。戦う侍はわたしの国では騎士にあたる」
マヌエルからすると、戦う人である侍は騎士であり、貴族に相当するので、〝侍〟の父を持ち、読み書きと算術のできる龍之進は教養のある〝貴族〟の子になるらしい。その敬意からか、「お前は働く必要はない。奉公人ではないのだから。カルバジャル家の子として暮らすんだ。いいね」と言った。
もう逃げなくていいのか。そう思うと、龍之進はほっとした。
これでやっと落ち着ける。今日明日どうなるかわからない、強烈な不安から解放される。獣か道具のように粗末に扱われ、生き死にが主人や監視人に左右されることはもうないんだ。
なんの心配もなく、温かい床で眠れる、なんて幸せなんだろう。
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