300年近くにわたり日本人に愛されている「忠臣蔵」。この仇討ち物語に新たな一作が誕生した。主人公は「赤穂一の粗忽者」。おっちょこちょいで優しい男が仇討ちに傾倒していく理由とは? 家族への思い、主君への忠義、その狭間で懊悩する浪士たちを描いた傑作時代小説。

「小説推理」2024年4月号に掲載された書評家・細谷正充さんのレビューで『雪血風花』の読みどころをご紹介します。

 

 

 

■『雪血風花』滝沢志郎  /細谷正充 [評]

 

赤穂浪士の武林唯七は、吉良上野介を討ち取った男である。その彼が何を考え、仇討ちの道を選んだのか。俊英・滝沢志郎が、「忠臣蔵」に新風を吹き込んだ。

 

 海外の掲示板で、赤穂四十七士の中に外国人がいると、話題になったことがある。武林唯七のことだ。ただし正確にいえば、外国人だったのは杭州武林の士太夫だった、彼の祖父である。唯七自身は中小姓役として、11歳のときから赤穂藩主の浅野長矩に仕えていた。俊英・滝沢志郎の新刊は、その武林唯七を主人公にした、新たな「忠臣蔵」の物語である。

 浅野本家の江戸屋敷に行くつもりが、なぜか米沢上杉家の江戸屋敷を訪れてしまう。本書の唯七は、「赤穂一の粗忽者」だ。もっとも彼の粗忽は、どうにも憎めないものばかり。藩では“愛されキャラ”になっている。

 そんなある日、勅使饗応役になっていた長矩が江戸城内で、高家の吉良上野介に斬りつけるという刃傷事件が発生。長矩は即日切腹し、藩は取り潰された。特に考えることなく周囲に流される唯七は、生き残った上野介に対する仇討ちに賛同。リーダーの大石内蔵助に人柄を見込まれ、堀部安兵衛など江戸の同志が暴発をしないよう見張ることを命じられる。とはいえ唯七自身も迷いは深い。だが、ショッキングな出来事を経て、進むべき道が決まるのであった。

 武林唯七は、吉良上野介を討ち取ったことで、名前を知られている。ただしそれは単なる結果だ。作者が書きたかったのは、そこに至る道程から浮かび上がる、一個の人間の肖像である。

 秀逸なのは仇討ちに迷う心を表現するのに、儒教の孝と武士の忠のせめぎ合いを使っていることだろう。祖父の血筋から、儒教に親しんでいるという設定が、せめぎ合いを引き立てる。デビュー作『明治乙女物語』から、日本と海外の関係に注目し続けてきた、作者らしい工夫だ。

 さらに、なかなか仇討ちを実行しない内蔵助の真意など、随所に新機軸を打ち出している。元赤穂藩士でありながら義挙に加わった不破数右衛門、脱盟した高田郡兵衛や毛利小平太など、脇役の描き方もよかった。唯七と家族や、おなつという幼女との触れ合いも気持ちいい。「忠臣蔵」を題材にした作品は無数にあるが、そこに新風を吹き込む一冊となっているのだ。

 それにしても唯七は、魅力的な人間である。ストーリーはシリアスだが、彼の粗忽のおかげで、何度も笑うことができた。最後の粗忽には、救われた気持ちになった。主人公に感情移入して、その言動に一喜一憂する。これぞ読書の楽しみである。