何ともいえない気持ちで午後の仕事をこなした。安堵と腹立たしさを足して二で割ったような、呆れも加えて按分したいような。
遼子の仕事は顧客から電話注文を受けてデータ入力するまでだが、今日は入電がさほど多くなかったのとブラックリストのお客にあたらなかったのは幸いだった。
十七時を待ってタイムカードを押し、荷物を取ってエレベーターを待つ。その間にも携帯をチェックしたが、新たな着信はなかった。遼子が昼間に返したメッセージ、「ひょっとしてもう家にいるとか。正解?」も見ていないようで未読の状態だ。追加で、さらにメッセージを送っておく。
――夕飯のリクエスト承ります。早く帰っておいでよ。
気になるのは母親からの大量の着信だった。電話とメールが山のように来ていて、要約すると用件は「太一の不在について説明せよ」。留守電に残された声とメッセージの行間から苛立ちが見て取れた。電話を入れたほうがよいかとも思ったが、エレベーターを降りてぱっと顔を上げた瞬間、正面玄関ごしに見えた表の様子にその気が萎えた。
土砂降りだった。風も相当な強さのようで、雨と風が斜めに吹きつけて地面が白く煙っている。レインコートを着た人が風に背中を押されて猛スピードで右から左へ過ぎていった。ここから最寄り駅まではどんなに急いでも五分以上かかる。しかも駅方向は逆風だ。電話はやめてメールでごく簡潔に状況を説明し、後で詳しく話すと返した。
果たして駅に着くころにはずぶ濡れだった。二駅先で下車をして、途中のスーパーに立ち寄り、買い物カゴを手に売り場を歩く。濡れた衣類で体がどんどん冷えるので、急ぎ足で見て回った。最後に素麺を手に取り、カゴの中身を確かめながらレジへ向かおうとしたら、前方でぽとりとハンカチが落ちた。床から視線を上げると、明るい茶髪の女性がカートに片手を置き後ろ足に重心をのせて、携帯で話をしていた。
「だからどれよ。二八? 十割?」
落としたことに気づいていないようなので、遼子は近づいてハンカチに手を伸ばそうとした。が、思いとどまった。素手で触られるのが嫌な人かもしれない。かといって電話の最中に声をかけられるのも迷惑だろう。
遼子はハンカチが踏まれたり蹴とばされたりしないよう見守りつつ、通話が終わるのを待っていた。すると脇を通り過ぎようとした別の女性が「落ちてますよ」と声をかけた。
「えっ」電話中の女性が足元を見る。「やだほんと」急いで拾いあげている。
「拾ってあげたくても今のご時世なかなかねえ、お節介も焼きづらくて。電話の邪魔しちゃったわね」
いえいえどうもとにこやかにお辞儀をしあっている。なるほど、ああいうふうに言えばいいのかと遼子はひっそりその場を去った。
会計を終え、右手に傘、肩にバッグ、左手に指がうっ血しそうな重さのエコバッグを提げて十分強の道のりを歩いた。池のように雨水が溜まっている場所があった。
緩やかな坂を上り切ると、ようやく右手に我が家が見える。茶色い屋根にクリーム色の壁の一軒家が二つ、くっついた状態で並んでいる。門は一つ、玄関が二つ。右が我が家で、左が遼子の両親が住む家、つまり二世帯住宅だ。太一が帰っていればカーポートに白のインサイトが駐まっているはずだが、見当たらない。
我が家のリビングから明かりが漏れている。レースのミラーカーテンが引かれているので中の様子は見えないが、おそらくは両親――正と徳子が待ち構えているのだろう。
郵便ポストを覗きたかったが、傘を持った手では門扉を開けるのが精いっぱいだった。玄関先のポーチで傘を畳み、足りない手でなんとか鍵を出して ドアを開けると、テレビの大音量がわっと流れてきた。三和土にはやはり太一のスニーカーはなかった。康介の黒のローファーもまだだ。
水を含んでぶよぶよになった靴を脱ぎ、荷物を提げたままつま先立ちで廊下を進んで右手のリビングに入った。
徳子がダイニングテーブルでクロスステッチを刺していた。真剣な顔で集中していて、遼子の帰宅に気づかない。ただいまと声をかけるとようやく、はっとしたように顔を上げた。
「遼子……おかえり!」
かみしめるように言って立ち上がる。垂れ目が老眼鏡で強調されていて、親子だなとこんな時に変に感じ入った。
徳子は眼鏡をはずして近づいてきて、少し見あげる角度で遼子に言った。
「待ちくたびれたわよ、私もお父さんも」
「お父さんは?」リビングに姿がない。
「ライターを取りに帰ってる。すぐ戻るでしょう」
ねえそれより、と徳子は語気を強めた。
「どういうことなの太一くん」
「お母さんごめん、ちょっとだけ待って。着替えたい」
「ああ」と徳子は後ずさり、足元から遼子の全身を見あげた。「ずぶ濡れじゃないの。風邪ひいちゃう。早く着替えといで」そう言って遼子の手からエコバッグを受け取った。「中のものは私が冷蔵庫に入れといてあげるから」
ありがとうと応えて廊下に出ると、ちょうど正が戻ってきたところだった。生成りの肌着にスラックス、首に手ぬぐいをかけた姿で、正は呆れ声を出した。
「なんだやっと帰ったか。まったくお前たちはどうなってるんだ」
憤然としてリビングへ入っていく。
遼子は脱衣所で靴下を脱いだ。くるぶしのあたりに濡れた葉や砂がこびり付いていた。本当ならシャワーを浴びたいところだが、タオルで拭いて我慢する。腕や脚もざっと拭き、ずっしりと重いボーダー柄のTシャツだけ脱いで洗濯機に入れた。他も全部脱いでしまいたいが、着替えは二階にある。以前、風呂上がりにバスタオルを巻いた姿で正と鉢合わせしたことがあって、それから気を付けるようにしている。
タンクトップの上半身にバスタオルを羽織って、急ぎ足で階段を上がる。上がった廊下の突き当たりが康介の部屋で、その手前が太一の書斎、そのまた手前が夫婦の寝室だ。
遼子は飛び込むように寝室に入り、ドアを閉めて息をついた。
疲れた。昨日よく眠れなかったのもあって体も頭も重い。少し横になりたかったが、二人を待たせておいてそうもいかず、クローゼットから紺色上下の部屋着を出して手早く着替えた。顔を洗うようにこすって目頭を強く押さえる。そうしてまた階下へ戻った。
一階では徳子がほうじ茶を淹れてくれていた。テーブルに着いて熱いお茶を一口飲むと気持ちが少し落ち着いた。自分でお茶を飲むときはいつもティーバッグで、こうして急須と茶葉を使うことはほとんどない。
徳子は向かいでお茶をすすって言った。
「浴室の洗濯物、畳んどいたから」
目で指した先――正が腰かけているソファの隅にきれいに積まれている。
「それと、ポストの中のものはあそこ」カウンターの上に郵便物の束があった。「昼前に取りこんどいたけどちょっと濡れちゃってたわ」
「ありがとう」太一と康介だとこうはいかない。正に至っては言わずもがなだ。「助かる」しみじみした声になった。
正はビールを飲みながら情報番組を見ている。つまんでいる枝豆は多めに茹でて冷凍しておいたもので、ビールは今日買ってきた黒ラベルだ。荷物が多かったので迷ったが、二本買って帰って正解だった。
「お父さん」と徳子が呼びかけた。「こっちに来て一緒に話しましょう」
正はテレビに目を向けたまま、しっしと手で払うような仕草をした。
「さっきまで息巻いてたのに」徳子は遼子のほうに顔を近づけて最大限に声をひそめた。「お父さんはいっつもそう。あんたに言いたいことがあっても直接は絶対に言わないの。必ず私に言ってくるのよ」
まあまあとなだめると、徳子はふんと息をついてから切り出した。
「それで? 太一くんはまだ帰ってこないの」
「ねえ。困っちゃう」
「連絡は?」
「昼間に来たこれが直近」
LINEのあの一文を見せた。携帯の画面をのぞき込んだ徳子は、みるみる顔を曇らせた。
「なんかおちゃらけてるわねえ。人にさんざん心配かけといて」
「いやもう本当にそう」昨日からの疲労が両肩にずっしり載っている。遼子は天井を仰いで首を左右交互に動かした。「でもさすがに、こんな天気だし今日は帰ってくると思うんだ」
「当たり前じゃない。家庭を持つ身で二泊も三泊も。だいたい、本当にあんな理由で出ていったの?」
虫の居所が悪かったみたいで、と徳子にはメールで説明してあった。康介との喧嘩のことは伝えていない。伝えれば徳子はきっと康介を責める。それだけは避けたかった。
「会社も休んだっていうじゃない」
「うん、まあ、でもちゃんと休暇取ったみたいだし」有給申請した、としか知らされていないので詳細は分からない。
すると徳子はみるみる怪訝な顔になり、指先でテーブルをトンと叩いた。
「何がちゃんと、なの。職場の人たちに迷惑かけて」
言いながら徳子は正のほうをちらりと見た。正は新卒で入った大手建設会社で定年まで勤めあげており、その点をもっとも問題視しているだろうことは想像がつく。
徳子は憤懣やるかたないといった顔で続けた。
「最近の人たちのそういうところ、常識的にいってお母さんちょっと考えられないわ」
遼子は押し黙った。
徳子は高校を卒業後、建設会社に縁故入社し、三年間働いたのち正と職場結婚して家庭に入った。以降はずっと専業主婦だ。別にその是非を問うなんてつもりはない。徳子の世代では一般的なことだったのだろうし、育ててくれたことに感謝もしているし、何より人それぞれの道だ。しかし今のような場面でその手の持論をぶたれると、なんともいえない苦さが込み上げる。同時に、これは吐き出すべき苦味ではないという理性も働いて、遼子はいつも黙って呑み込んでしまう。
いけない、思考が本題から逸れていく。遼子は脳内でひっそり軌道修正して尋ねた。
「お母さんたちは今回のことをどうやって知ったの?」
今朝は伝える暇もなく出勤したし、そもそもできれば太一が帰るまで伏せておきたいと考えていた。
徳子は「そうそう、それを説明しないと」と 広げた両手をぱちんと合わせて話しはじめた。
「今日は朝から病院だったのよ。お父さんの定期検査」
正は一年前のちょうど今頃、六月の終わりに心筋梗塞で倒れて労災病院に入院した。十日ほどで退院し、幸い後遺症もなく日常生活を送れているが、経過観察のため定期的に通院している。
「あの病院はいつも混んでるでしょう。今日も会計が終わったら一時近くてね。いつもなら病院前の停留所からバスに乗ってすぐ帰ってくるんだけど、疲れたしお腹もすいたし、何か食べて帰るかってことになって、近くの店でおそばを食べて帰ってきたの。何て店だったかしら、ねえお父さん」
「松廣庵」前を向いたまま正が答える。
「そうそう松廣庵。お父さんがざるそばで、お母さんは山菜そばで、天ぷらも二人で一つ頼んでね。初めて入ったんだけどおいしかったわ。衣が薄くてカラッと揚がってて。遼子も今度行ってみるといいわよ」
徳子の話は長い。さえぎると不機嫌になるので、うんうんとひと通り聞く。
「そのあと停留所まで戻ってバスに乗って、オーケーで買い物して。お味噌が切れちゃってたからね、あと朝食用の食パンと牛乳。そこから歩いて、帰ったのがたしか三時くらいだったかしら。帰って、手洗いうがいして、やれやれって腰を下ろした瞬間よ。突然チャイムが鳴って。須美江さんが来たの」
やはりそうだったか。
外村須美江は向かいに住んでいる女性だ。七十六歳の徳子より二つ三つ年下で、さらに二つ三つ年下のご主人と二人暮らしをしている。木造平屋のあの家は生家だそうで、つまり七十年以上この町に住んでいることになる。
「須美江さん、私の顔を見るなり言ったの。〝太一くん昨日帰ってこなかったの?〟って」
須美江は特徴的な甲高い声をしている。ひと筆描きのような細い眉毛が吊り上がる様といい、玄関先での光景が目に浮かぶようだった。
「ショックだったわ、急にそんなことを言われて。さっぱり意味が分からなくて」
「うん……」
「太一くん、昨夜遅くに出ていったっていうじゃない」
「九時過ぎくらい、だったかな」
「そんな時間に出ていってどこに泊まったの」
「環状線沿いのネットカフェ」
昨日の夜中にお店のURLがぽんと送られてきたのだ。
ふと思った。まさか連泊するつもりではあるまいな。一応後で確認しておいたほうがいいかもしれない。
徳子は詰問調になった。
「どうしてすぐに知らせてこなかったの」
「だってすぐに戻ると思って」普通、そう思うだろう。まさかこんなことになるなんて。「寝てるところを起こすのも悪いし」
「起こされたほうがよっぽどマシです。こんなことをよそ様から指摘されて初めて知るなんて」
みっともない、と吐き捨てるように言った。
太一の不在より、そのことの比重の方が高そうだ。
須美江は地獄耳、もとい情報通で、地域に関するあれこれは真偽不明のものも含めて逐一徳子にもたらされる。逆もしかりで、我が家に関する事柄は微に入り細を穿ってどこかの誰かに伝えられていることだろう。
二世帯同居しているのに婿の不在を知りもしなかった。知らされてもいなかった――そんなことを誰かれかまわず吹聴されては確かに立つ瀬がないのかもしれない。家とスーパーと病院と、時々須美江の家。この町のその輪の中で、終生を送ることが決まっているのであれば。
「ごめんなさい」遼子は素直に謝った。
徳子はゆっくりうなずいた。
「もちろん私たちだって、太一くんの車がないことは、朝起きて雨戸をあけたときに気が付いてはいたのよ。休みでも取って出かけたのかなと思ったけど、昨日あんたたちと話したときには何も言ってなかったから、じゃあ車で仕事に行ったのかしら珍しいねってお父さんとも話して」
徳子はそこまでひと息に言い、まあここでこうしてあんたと話しても埒が明かないわねと息をついた。
「とにもかくにも本人が帰るのを待ちましょう」
そう言って徳子はにっこりと微笑んだ。お茶を一口飲んでまた微笑んで、テーブルの端に寄せていたクロスステッチの道具を引き寄せて針を刺しだした。
「えっと」言葉を選んで聞いた。「ここで待つ?」
「そりゃそうよ。私たちがいたほうが、あんたも康介も心強いでしょ」
「でも、太一がいつ帰ってくるかわからないし。康介の食事の準備とかもあるし」
「任せて。私がみんなの分を作ったげる。献立は買い物の中身を見て大体わかったから、その間あんたはテレビでも見てればいいわ」
「いいよ。悪いし」
「遠慮しないの。あんたはいつもそうやって遠慮する。太一くんにも遠慮して聞きたいことも聞けないんじゃないの」
「そんなことないって」
「あるの。お母さんには分かる。しっかりしなさい。太一くんも太一くんよ。妻がいて子供がいて、その子供は受験生で、大黒柱の立場でこんな無責任なこと。ねえお父さん」
返事はない。正はさっきからずっと煙草をふかしながらテレビを見ている。テレビ画面には「季節外れの台風が関東を直撃!」とテロップが出ていて、 幼児を抱えた父親がインタビューに答えていた。
――せっかく来たのに残念ですね。全部止まっちゃってるってことなんで、どうしようかなって。
遊園地のアトラクションが休止しているという。
「世も末だな」独り言のように正が言う。「自分で台風に突っ込んでいってバカなことをぬかして。危機感のない平和ボケだらけだこの国は」
いつもブツブツ言いながらテレビを見るのだ。不機嫌になるために見ているようにも思える。
正は携帯灰皿に煙草を押しつけると、おもむろに立ちあがって抑えた声で言った。
「彼が帰ったらこう伝えなさい。自分勝手な行動でどれだけの人が心配をし、迷惑を被っているか。何をするにもきちんと計画性をもって周囲の人たちの協力を得た上でにしなさいと。身近な人間を大切にできない人間は下の下だぞ」
言い終わると大儀そうに腰を折り、テーブルの上の煙草とライターと灰皿を掴んで、ゆっくりとまた上体を起こした。
「帰るぞ」
「待たなくていいの」と徳子。
「帰る。俺は疲れた」
「お父さんたら」
廊下に出る前に正が立ち止まった。
「彼が帰ってきても今日は報告には来んでいい。いちいち起こされたらかなわん。朝になってから二人そろって報告に来なさい」
徳子は遼子の耳元に口を寄せて「私にはすぐ知らせて。携帯を枕元に置いて寝るから」とささやいた。こくりとうなずいて遼子は言った。
「気を揉ませてごめん。二人ともありがとうね」
正がベルトを引っ張り上げながらリビングを出る。しぶしぶというふうに徳子も続く。
廊下へ出るとすぐ目の前に、両家をつなぐドアがある。
そのドアに、正が手を伸ばしてノブを回した。開いたドアの隙間から正と徳子の住まい――実家のにおいが漏れてくる。
二人がドアを抜けて帰っていく。徳子の背中に「おやすみなさい」と声をかけてドアを閉めた。
深い溜め息がつい漏れた。
このドアには両面シリンダー錠がついていて、去年まではどちら側にも鍵がかかっていた。ゆえにお互い玄関から出入りしていたが、正が倒れたあとは、何かあったときのためにと施錠をしなくなったのだった。
リビングに戻って、掃き出し窓とダイニングの飾り窓を開けた。雨が吹き込んでくるので仕方なく五センチ程度に留める。換気扇も「強」にして、手でも扇いで煙草の臭いをかき消した。太一も康介もこの臭いをすごく嫌がるのだ。
両親との対話は穏やかといえば穏やかに終わったが、課題が残されたような――それも一つ二つではないような気がして心が重たくなった。
とにかく、お願いだから早く帰ってきてほしいと思う。
夕飯のハンバーグをこねていたら、玄関の鍵ががちゃがちゃと回る音がした。太一か、康介か。ヌルヌルの手のまま小走りで玄関に向かうと、雨風と一緒に入ってきたのは康介だった。無愛想だが負の感情を帯びない康介の顔を見たら、なんだかすごくホッとした。
「お帰り。早かったね」
「つうか」早く帰れって朝言ったのそっちじゃん、を一語で表す十代である。
「ちょっと待ってて」
遼子はヌルヌルの手を大急ぎで洗い、タオルを取ってきて康介に渡した。ズボンの太腿あたりから下は濡れて色が変わっていた。ローファーには水が溜まっているようだ。
「上り坂の手前のところ、池みたいになってたでしょ」
ああ、とも、うん、ともつかない声で答えて億劫そうに靴下を脱ぐ。片足立ちでバランスを取り、左足、右足と順番にタオルで拭いながらリビングのほうをさりげなく見やった。
「――まだ?」
「うん。まだ」
康介は無言で遼子の脇をすり抜けて二階へ向かった。階段を駆け上がっていく後ろ姿、脹ら脛のあたりに向かって遼子は言った。
「もうすぐ帰ってくるよ。その前にお風呂入っちゃいなさい」
呑気に構えていた。じきに車のエンジン音が近づいてくるだろうと。