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『怪談青柳屋敷』でも体験談を紹介したS社の編集者、岡村さん(五十代・男性)から聞いた話。
 岡村さんは文芸の部署に配属される前、長らく週刊誌で刑事事件の記事を担当していた。
 一九九〇年代の日本の刑事事件の大きなテーマのひとつに、「少年犯罪」がある。
 いじめによって同級生を自殺に追い込んだり、徒党を組んで善良な市民を傷つけたりという事件が後を絶たない一方で、加害者が未成年の場合は名前も住所も公開されず、被害者は泣き寝入りを強いられる。週刊誌の取材もいつも「少年法」の名のもとに阻まれ、岡村さんの所属する部署には悶々とした雰囲気が流れていた。
 そんなときに起きたのが「サカキバラ事件」だった。あまりに猟奇的な犯行手口だったにもかかわらず、犯人が十四歳だったというだけでその素性も何も明かされない。「未成年の殺人者についても、顔写真入りの実名報道を!」という声が世間から盛りあがりはじめた。
 この流れに乗れとばかりに、岡村さんの部署はとある事件を再取材することにした。
 それは、一年前に起こっていたいじめ殺人だった。関東地方のある河原で、中学三年生のAくんが複数の少年に暴行を受けた上に命を奪われたのである。警察は当然のごとく、加害者少年たちの名前も住所も教えてはくれていなかったが、やはり加害者の親をつきとめて説明責任を果たさせなければならないと、岡村さんたちはチームを組んで現地へ赴いた。
 岡村さんの担当は、被害者Aくんのお母さんに話を聞くことだった。
 事件直後にも取材に訪れた住まいは、小さなアパートのワンルームの部屋だった。母子家庭であり、Aくん亡き後は、お母さんが一人で暮らしている。
 ほつれた布団のコタツに差し向かいに座り、取材を始める。お母さんは憔悴したような顔で、それでも岡村さんの質問に的確に答えてくれた。以前来たときに比べ、部屋の中は片付いている。
「生活のリズムは大丈夫ですか?」
 ひととおり取材を終えたところで、岡村さんは訊ねた。
「ええ、事件後は本当に、何も手につかなくなっていたんですけど、ちょっときっかけがあって、それからは少しずつ身の回りを片付けるようにしているんです……」
「きっかけですか」
「はい。信じてもらえるかどうかわからないですけど……」
 とお母さんは遠い目をして、話しはじめた。

 事件後、お母さんは息子の死を受け入れられず、何も手につかないまま日々をすごした。そのうち、外に出て、息子がいつも歩いていた道や、駅前に足を運ぶようになった。目に入ってくる風景の中、どこかにまだ息子がいるような気がして、きょろきょろと人波を眺めるのだった。
 息子が亡くなってから初めてのクリスマスの日、お母さんはいつものように街角に立った。クリスマスケーキの箱を持って楽しそうに話しながら歩く親子連れ、友達同士で楽しそうに話している若者たち……そういう人ごみに息子の影を探すけれど、見つからない。
 ぼんやりとした気持ちで自宅に戻り、いつしかお母さんは眠ってしまった。
 ふと、水音で目が覚めた。ワンルームなのですぐそこにバスルームがあるが、すりガラスの向こうでシャワーが出ているようだった。
(誰かシャワーを使っているのかしら)
 寝ぼけたようにそんなことを思うと、今度はバスルームと逆のほうの部屋の隅に気配を感じた。
「母さん、もう、いいよ……」
 息子の声だった。
(ああ、私が心配しているから、出てきて、「もう、いいよ」って声をかけてくれたのね)
 そう思いながらまた少し眠り、少し経ってからハッと目を覚ました。
 部屋の隅には誰もいない。バスルームの向こうで水音もしていない。

「あの子、きっと私のことを心配して来てくれたんです。それ以来、ちゃんとしなきゃと思って、少しずつ元の生活に戻しているんです」
「悲しい話だと思うでしょう?」
 岡村さんは僕に言った。
「はい。なんか、やりきれないというか……」
「でもね、私は怖かったですよ」
「怖かったんですか?」
「だって、お母さん、私のすぐそばの空間を指さして『そこに立ってたんです』って言うんですよ。実際に幽霊の立った場所のすぐそばに自分が座っているんだと思ったら、悲しさより怖さのほうが勝ちますよ」
 実際に取材の現場に行った人の話は、リアルである。

 

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