「いったいどういうことでしょう?」
「その伊勢崎から電話があったとき、こちらの声は彼に届かなかった。音はループ内に入ってくるが、外には出ていかない。それと同じこと。つまり、ブラックホールだ」
「ブラックホール……宇宙の?」
「そう、このループはブラックホールと同じ。入るもの拒まずだが、何ものも出ることを許さない。光さえもな。光がループの外へは出ていかないと、どうなる」
目は光を捉えることで初めて対象を視認することができる。その光がループから出ていかないなら、外にいる人の目には光は届かない。ということは──
「伊勢崎さんには私たちが見えなかった」
「そう。より正確に言うのなら、伊勢崎には“何も”見えなかった。摩季たちの姿も、階段も、二階の壁や天井も。おそらく彼は、この世で最も黒い空間を見たのだ」
それは確かにブラックホールと同じだ。
「せっかくの助けがぁ……先生、予想していたなら何で教えてくれなかったんですか。事前にわかってたら、伊勢崎さんに何とかこっちに来てもらえたかもしれないのに」
「無理だな。誰が好きでブラックホールになど入ってくる? しかも、一度入れば二度と出られないのだ。こちらの都合で伊勢崎の命を奪うことにもなりかねな──」
そこで先生は、ふと言葉を止めた。
「先生?」
顎に手を当てて何かを考えている。切れ長の目が左右に動いている。いや、倉庫内を見回しているのか。しばらくそうしてから先生は、指をパチンと鳴らした。
「摩季、超常現象を利用したとしても、不可能を可能にすることはできない。大事なのは何が不可能かを見極めることだ。そうすればシンプルな仕掛けが見えてくる」
「仕掛け、って?」
「ループの途切れを確定で起こす仕掛け。それを凶器にする方法がわかった。犯人はこの倉庫にある物を使い、殺人を自動で遂行する恐ろしい装置を作り出した」
ループの途切れを確定で起こす? 殺人を自動で遂行?
不穏な言葉に心臓が高鳴っている。
「ちょっとわかりませんけど、じゃあ犯人は誰なんですか」
「それはわからないな。わかったのは、ループを使って人を殺す方法だけだ」
私は先生のマネをして指を弾く。あまり良い音は鳴らなかったけれど。
「あと一押しなら私が皆に聞き込みして、情報を集めてきますよ! オーナー夫婦以外にも、田久保さんと関係している人がいるかもしれませんしね!」
「やめておけ。聞いても誰もまともには答えない」
「そう、ですかね」
「動機の調査などは警察の調査力と情報量があって初めて成立するもの。後ろ盾もない一介のОLが聞き込みをしたところで、嘘をつかれて終いだ」
「だったら、今ある情報だけで何とかしなきゃいけないってことですか」
先生は不敵な笑みを浮かべて、そうだ、と言った。
「が、作ってみれば、見えてくるものもある」
「え? 作るって何を、ですか」
「ギロチンだ」
先生が考えをまとめている間、オーナー夫妻が田久保さんの上半身と下半身を、毛布ですっぽりとくるんだ。声をかけ合い、田久保さんが昨日泊まった客室へと運んだ。
ベッドに毛布のまま横たえた遺体を見ながらオーナーはつぶやく。
「田久保君は、スキーと夜遊びに明け暮れて会社をクビになっても、人生は楽しんだ者勝ち、と笑うような子でした。ああ……親御さんや彼女に何て言えばいいのか」
この状況を何て説明すればいいのか、なんて私にもわからない。ただ何とかわかってもらうためにも、今はこの二階から抜け出さないといけない。
昇った太陽が吹雪で覆われる、午前十一時過ぎ。
オーナーに皆を談話スペースに集めてもらった。やってきた彼らの目は輝いている。おそらくループから脱出する方法がわかった、と勘違いしているのだろう。
先生が前に出ると、私は聞き役に回る。
それで、とオーナー。
「調査によってわかったこととは何ですか……?」
「ループ現象を、犯罪に利用する方法だ」
「犯罪に利用? そんな方法を思いついて、どうするんですか」
皆が訝しげな目を向けるけれど、先生はまるで気にしていない様子だった。
「思いついたのではない。わかったのだ」
「はあ、申し訳ありません」
先生の言葉は確信に満ちていて私は好きだけれど、皆の前で話すときくらいもう少し穏やかな話し方をして欲しい。私の普段の言葉遣いを参考にするとか。
「あなた、そんな話し方でしたっけ」
という片瀬さんの訝りも気にせずに先生は、まず、と始める。
「田久保の死は、事故ではない。殺人事件だ」
え、と声をあげて立ち上がったのはコウジさん。
「殺人? 誰かに、こ、殺されたってこと? けど、昨日のと同じだろ」
「分断されたクリスマスツリーとはまったく違う。今回は間違いなく事件だ」
「マジかよ」
先生の言い様に、私は少し不安になってくる。皆の前で事件と言い切ってしまって大丈夫なのだろうか。先生自身、犯人が誰かはわかっていないと言っていたのに。
眉を寄せた片瀬さんが口を開いた。
「でも、ループの“途切れ”は断続的、ランダムのタイミングで起こるんですよね。ランダムなら、殺人なんてことには利用できないんじゃないですか」
「だからそのランダムを100%に上げる装置を犯人は使ったのだ」
「100%? 80とか90%じゃなくて?」
「80や90%というのは逆に不可能だな。そんな調整はできない」
「え?」
「ループを利用した装置で可能なのは100%の死だけだ」
私にとっても意外な言葉だった。100%の死、なんて可能なのだろうか。
「簡単な装置だ。今から作る。この二階にある物でな」
先生を先頭に皆で倉庫に赴く。今朝の倉庫は暖かかったけれど、今は寒い。
私はただ黙し、先生の言葉を拝聴する。
「昨夜の解散後、皆が寝静まった深夜に、人知れず自分の部屋を出た犯人はこの倉庫に来て、ここに置かれたある物に目をつけた。これだ」
ワードローブだ。
オーナーがその観音開きの開き戸を一度開閉してから、説明する。
「これは元々は客室で使っていた物です。つい先日、中のハンガー掛けが壊れてしまったから倉庫に移したんです。いずれ修理に出そうと……」
確かに、私の客室にもある木目調のワードローブと同じ物だ。中の横幅は一メートル、奥行きは六十センチくらいだろうか。収納できるスペースも変わらない。
私はふと気づいた。ワードローブの中に、小さく黒い粒が点々と落ちている。何かと思ったけれど、ただの黒い毛玉だった。かけていた衣服から落ちた物か。
それで、とオーナー。
「このワードローブがいったい何なんですか」
「戸を開き、壁に向かい合わせた状態で設置する」
「そ、そこの壁は……」
「ああ、非常口とループでつながっている壁だ。ワードローブは木造りだから、両腕で抱えて引きずれば一人でも動かせる。ではオーナー、セットしてくれ」
えぇ、と呻きとも取れる声で応じたオーナーが、ワードローブを引きずる。先生は一切手伝わないし、他の人も巻き込まれるのを恐れてか物言わぬ見物客になっている。
「これで、いいですか」
「ありがとう。次はワードローブが動かないよう、つっかえを作る。つっかえさせる物は何でもいい。そうだな、使えそうなのは昨日ループによって分断された非常口のドアとスペアのテーブル辺りか。これらを並べてつっかえを作ってくれ、オーナー」
「ぼ、僕一人で、ですか?」
「そうだ。犯人も一人でやったのだ」
という理不尽な説明に対して、オーナーは肩を落としてぼそりと言う。
「人使い荒いなぁ……」
確かに、無口で不愛想な先生の性格は誰にも知られていない。
それでもオーナーはもくもくと、横倒しにした非常口のドアとテーブルを並べてつっかえを作る。先生は一切手伝わず、腕時計を見ながらその作業時間を計っている様子。
「はあ、はあ、こ、これでいい、ですか」
「ああ。ワードローブは固定された」
先生がワードローブを両手で揺すってみるも、ぴくりとも動かない。一つうなずいた先生は、プラスチック製のスコップをステッキのように床につきながら倉庫を出た。
「次、非常口」
ドアがなくなっている非常口から外を見ると、今や廊下と一続きになっている外通路と柵は大量の雪に覆われている。荒れ狂う吹雪は今も廊下に入ってきていて、寒さに皆が顔をしかめている。いや、ここにあった田久保さんの下半身を思い出しているのか。
「ループの境には触れるな」
と忠告した先生は廊下に溜まる雪をスコップですくい上げた。
非常口から吹き込み、床に山のように積もっている雪を、先生はスコップですくいあげてループの方に放り出す。空中を飛んだ雪はループの境目で消える。
「こうしてループに雪を投げ入れていく」
これにユミさんが応じる。
「雪はループを抜けて、倉庫にセットしたワードローブに入るわね」
「そうだ。そしてこれで下準備は完了。ここまでおよそ二十分というところか。その下準備の後、犯人はターゲットである田久保を呼びにその客室に行った」
「でも、何て声をかけるのよ?」
「呼び出しに使う嘘の口実などいくらでも考えられるが、大方、非常口のループが消えているかもしれないから一緒に確認してくれないか、などというところだろう」
「バイトなら一応、見に行くか」
「犯人は田久保を連れ出し、二人でこの非常口にやって来た。ループの境目を覗き込んだ田久保を、犯人は突き飛ばしてループに放り込んだ。するとどうなる?」
「倉庫のワードローブに、突っ込む」
先生はうなずいて、上半身だけな、と言う。