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 二日酔いというのは何度体験しても嫌なものだ。布団の中から手を伸ばしてペットボトルをつかみ取り、わずかに残っていた水を飲み干した。頭痛をこらえて仰向けになると、翔太はじっと天井を見つめた。
 城有は詐欺をやっている。海斗もそれを理解している。そして自分も。
 どこが悪い――
 悪党は常に周囲にいた。いや、自分の周囲には悪党しかいなかったとさえ言える。ただ捕まる奴と捕まらない奴がいるだけだった。捕まった奴だけが犯罪者と呼ばれる。捕まらなければ犯罪者ではない。
 自分だけは捕まらないよう、城有は巧妙に立ち回っている。ならば城有の側に付いている限り、自分達も捕まらず、従って犯罪者にもならない。だから自分達のやっていることは犯罪ではない。
 そうだ、何も間違ってはいない――
 回らぬ頭でそこまで考えたとき、ドアのチャイムが鳴った。スマホはさっき確認したばかりだ。今日は夜まで誰とも会う予定はないし、LINEにも特に来訪を告げるメッセージはなかった。
 チャイムは一向に鳴り止まない。痛む頭に激しく響いた。落としにかかっている女の誰かだろうか。
「ドアは開いてるから入ってくれ」
 女であった場合を想定して極力優しい声で言った。
「なんだ、寝てたんすか」
 ドアの隙間から突き出されたのは、つつみ大地だいちのニキビ面だった。優しく言ったことを後悔する。
 大地は施設の後輩で、確か一月ほど前に工業高校を退学になったと聞いた。典型的、あるいは凡庸とも言えるほどありふれた不良である。このマンションの住所を教えたことはないが、不良仲間から聞き出して以前にも二、三度来たことがある。いずれにせよ、歓迎したい気分でも相手でもなかった。
「聞きましたよ、カタラのトップテンになったんですって? スゲーなあ」
 中に入り、勝手にソファに座り込んだ大地は、持参のコンビニ袋から菓子パンを取り出して頬張り始めた。
「相変わらずぱっとしない部屋っすねえ。ここで夜通しヤルわけでしょう、引っ掛けた女と。ラブホの方がマシなんじゃないすか。女はムードに弱いからさ。こんなとこでヤルとなると、せっかく引っ掛けた女がドン引きしちゃったりしませんか。オレだってやだなあ。どうせヤルんなら、もっときれいなとこの方が思いっきりヤリまくれるな。トップテンになったんだから金はあるっしょ。早いとこもっとマシなマンションに引っ越したらどうっすか」
 むかつくようなことを際限なく吐き散らかす。環境に恵まれなかった不良であることを割り引いても無神経な男だ。
「それとも、トップテンになるほどのイケメンなら、女はどんな場所でもオーケーなのかな。あ、翔太さんのテクがそれだけスゴいってこともあるかも。最後には離れられなくなるほどイカせればいいわけだし。そうだよな、そうなるとやっぱ場所なんてどうでもよくなるのかも。そうやって女をつなぎとめるの、カタラじゃ〈恋愛〉って言うんでしょ。いいなあ、恋愛。オレ、そういうの得意なんすよね」
「用はなんだ」
 横になったまま言うと、大地は芝居じみた口調で、
「オレがせっかくお祝いに来たってのに、そんな言い方しなくったっていいでしょう」
「用はなんだ」
「だからトップテンになったお祝いを――」
「それはもう聞いた。なら用は済んだな。とっとと帰れ」
「ひどいなあ、もっと優しくしてくれたっていいじゃないすか」
「帰れ」
 一秒も聞いていたくない声だった。横になったまま背中を向けると、大地は枕元まで来てしゃがみ込んだ。
「実は、翔太さんにお願いがあってきたんです」
 無視することにしたが、大地は一人で喋り始めた。
「オレもカタラグループに入りたいんすよ。カタラに入って、オレも翔太さんみたいなトップテンになりたいっす。なんで翔太さんに紹介してもらおうと思って」
「紹介しろだと」
 あまりの図々しさに思わず訊き返してしまった。
「はい。カタラって、誰かの紹介がないと入れないって言うじゃないすか。そこへ行くと翔太さんの紹介なら入った後もデカい顔ができるなって」
「おまえ、そもそも誰にトップテンやグループのシステムについて聞いたんだ」
「誰って、知ってる人は知ってますよ。だって、カタラのメンバーならたとえトップテンじゃなくったって、どこへ行っても一目置かれるじゃないすか。もうサイコーっす。オレらの憧れっすよ。オレも翔太さんみたいになりてえなって……あ、もちろん翔太さんに取って代わろうなんて大それたことは考えてませんよ。だから、ねえ、この通り、お願いしますよ」
 お願いしますよと言いながら、別に頭を下げるわけでもない。そのニキビ面にあるのは、虫のいいエゴだけだ。
「おまえには無理だ」
「無理って?」
 大地は心底からの疑問を浮かべている。本物の馬鹿だ。
「おまえにはカタラは務まらねえってことさ。それに、滅多な奴を紹介したりするとこっちの評価まで下がっちまう」
「そんなことないすよ。オレ、こう見えても結構うまいんすよ、ナンパ。会ったその日にハメる主義だし。オレ、カタラに向いてると思うんすよ、ゼッタイ」
 向いている要素が一つもない。ある意味、マニュアルの精神から最も離れた男だ。こういう奴を加入させることはグループにとって有害であるとしか思えない。
「ねえ、頼んますよ。翔太さん、トップテンなんでしょう。だったらそれくらいしてくれたっていいじゃないすか」
 甘えたように言いながら、その目にはあからさまな傲慢が覗いている。
「うるせえ。とっとと帰れ。でないとぶっ殺すぞ」
「ああ、そうですか。分かりました、帰りますよ。トップテンのくせに、翔太さんて案外ケツの穴が小さいんすね」
「なんだと」
 怒りが殺気に変わるのを自覚する。
「冗談ですよ、冗談。じゃあオレ、帰りますんで」
 大地は慌てて飛び出していった。
 遣り場のない不愉快さを抱え、翔太は起き上がってドアに向かう。鍵を閉めるためだ。
 ソファの周囲には菓子パンの食べかすが散乱し、ゴミの詰まったレジ袋が残されていた。
 十日後。店にメンバーを集めた道後は、皆に新人を紹介した。
 全部で三人。中の一人を見て、翔太は怒りが表に出るのを隠せなかった。
 あいつ――
「新しく入ったれん朝陽あさひ、それに大地だ。みんな、遠慮せず厳しく指導してやってくれ」
「よろしくお願いしまーすっ」
 三人の新人が一斉に頭を下げる。大地が上目遣いにこちらを見た。明らかに嗤っている。ざまあみろと言わんばかりの顔だった。
「どうした、翔太」
 隣に立つ海斗が不審そうに訊いてきた。
「知ってる奴か」
「まあな」
 曖昧に答える。大地についてなど説明したくもなかった。
 ミーティングが解散となってから、翔太は道後を追いかけた。
「道後さん、なんであんな奴を入れたんですか」
「誰のことだ」
「大地ですよ」
「ああ、おまえの後輩なんだってな。先輩なら面倒みてやらなくちゃなあ」
「誰の紹介なんすか」
「誰って、あおいだよ」
 翔太と海斗に対する反感を隠そうともしない年上のメンバーだった。
「心配すんなって。俺もちゃんと面接した。大地はさあ、顔はそこそこレベルだけど、なんか憎めないとこがあっから、まあいいかなと思って。おまえらクラスからするとだいぶ頼りないかもしれないけど、俺もハッパかけといてやっから」
「あの、道後さん、聞いて下さい」
「それともおまえ、葵の推薦に文句をつけようってのか」
「そんなつもりじゃないんすけど、大地って奴は――」
「おい翔太、おまえ、近頃なんか勘違いしてんじゃねえの」
「えっ」
 道後が冷ややかな態度で向き直る。
「トップテンになった途端、店の方針に口出しかよ」
「いえ、俺はただグループのためを思って……」
「誰をグループに入れるか、おまえが決めることじゃねえ。第一、おまえがトップテンになれたのも海斗と組んだおかげじゃねえか。いい気になってんじゃねえよ」
 初めて悟った。道後もまた、自分達を妬み悪意を募らせている一人だったのだ。
「すんません。心を入れ替えてやり直します」
 一切の弁解をせず謝罪する。カタラではそれ以外に選択肢はなかった。
 何も言わずに道後は去った。背後で大地の嘲笑が聞こえたような気がした。

 その日、翔太は海斗と一緒にいつものように繁華街でのコールに立っていた。表参道でちょうど二人組の女の子をキャッチしたとき、二人のスマホにLINEの着信があった。城有からのメッセージだ。
[すぐに大久保の春天に来い。コールは中断。最優先な]
 城有の命令には逆らえない。海斗が女の子達に向かっていかにもすまなそうに詫びる。
「ごめんね。僕達、急用が入っちゃった。大事な仕事で、社会人として外せない用事なんだ。この埋め合わせをしたいから、よかったら今度また会おうよ、ね」
 それぞれコール専用に作成した名刺を渡す。女の子は二人とも「あ、そう」という顔と様子で受け取った。初対面でこれではおそらくもう望みはないだろう。
 その場で車を拾い、大久保に向かう。『春天』は個室だけの中華料理店で、料理はそれなりだが密談には最適の店だった。
「城有さんからこんな急な呼び出しなんて、珍しいな。一体なんの用だろう」
 車内で海斗が不安そうに言う。
「さあな。ともかく、せっかく引っ掛けた二人を逃したのは痛いな」
「うん、釣り落とした魚は大きいってやつかな、二人ともかわいかったのに」
「でも城有さんからの呼び出しならしょうがないさ」
 どうでもいい話をしながら時間を潰す。
 やがて大久保に着いた。適当なところで車を降り、路地に入って突き当たりの階段を上がる。雑居ビルの二階に春天はあった。
 店員の案内で奥まった一室に入る。
「失礼します。遅くなりまして申しわけありません」
 二人同時に大声で挨拶する。中で城有ともう一人の男が待っていた。
「おお、こっち座れ」
 下座にいた城有が手を挙げ、自分の隣を示す。
「失礼します」
 指示された席に並んで座る。上座にいるスーツの男は初めて見る顔だった。
 三十代半ばといったところだろうか。まだ若いが尋常でない目付きをしている。
 ヤクザだ。末端でもチンピラでもない。幹部クラスだ。
「紹介するよ。陣能さんだ」
 この人が陣能さんか――
「陣能さん、こいつらが前に話した翔太と海斗です」
「はじめまして、辻井海斗です」
「山科翔太っす。よろしくお願いします」
 立ち上がって挨拶した自分達に対し、陣能は鷹揚おうように頷いただけだった。頬のこけたその顔は、喜怒哀楽のうち、喜と楽とを表示できないようデフォルトで設定されているかに見えた。
「海斗はG大の学生で、学校に行ってもいないのに要領よく単位を集めてます。優ばっかだそうですよ。人を利用するってことを知ってて、なかなか抜け目のない奴です。翔太の方は学歴こそアレですけど、肚が据わってるっていうか、度胸は人並み以上にある男です。こいつは使えますよ」
「使えるって、何に」
 陣能が無造作に発した。
「俺らが探してるのは鉄砲玉じゃねえんだぜ。アタマがよくねえとこの先邪魔になるばっかりだ」
「心配要りませんよ」
 にやにやと笑いながら城有が答える。
「翔太はね、その辺のヘタな大学生よりよっぽど頭がいい。いくら学歴があったって、土壇場でものを言うのは本来のキレですよ。その点こいつなら文句なしっすね」
 陣能は何も言わずじっとこちらを凝視している。値踏みしているというより、レントゲンで撮影しているような視線だった。
「ふうん。ま、いいんじゃないの」
 さして関心なさそうに言い、陣能は杯を取り上げ口に運んだ。
「オレはこの陣能さんとビジネスやってんだ。前に話したよね、スマトラの開発。アレさ、いよいよ本格的に始めようかってことになって。それでさ、キミ達にもこれからいろいろ手伝ってもらおうと思って呼んだんだ」
「おい城有」
 陣能が大儀そうに、そして用心深そうに制止する。
「分かってますって」
 城有はいつもの調子で薄く笑い、
「今日は単なる顔つなぎなんで。肝心なことはまだなんにも話してません。こいつらだってそれくらい分かってますよ。じゃなきゃ、いきなり陣能さんに引き合わせたりしませんて……なあ、そうだろ」
 同意を求められ、翔太も海斗も反射的に肯定する。
「はい、大丈夫っす」
「僕達、何も聞いてませんし、よけいなことを言うつもりもありません」
「ほら、ね」
 自信ありげに言い、城有は陣能に向き直る。
「こいつらを呼んだのは、陣能さんに確認しといてもらおうって意味もあるんですよ。陣能さんから見て、こいつらがイマイチ信用できないってんなら別のを用意します。ビジネスがスタートしてからじゃ替えも利かないでしょ? 今ならまだ余裕ありますから」
「つまりお試し期間てわけかい」
「そ。さすが陣能さん」
「城有、おまえさあ、自分のことサイコーにアタマいいと思ってんだろ」
「そりゃ思ってますよ、実際そうですから。オレが月々入れてる金額、思い出してみて下さいよ」
「その金額が下がったときにどうなるか、そっち心配した方がいいんじゃね?」
「コワいこと言わないで下さいよ」
 言葉とは裏腹に、城有は快活な態度を崩さない。
「何があったって、陣能さんには最優先で回しますよ。オレ、デキる人は何よりも大事にする主義なんで」
「ふうん」
 陣能の表情からは、城有の言葉に納得しているのかどうかさえ分からなかった。
「じゃあ、こいつらのことは様子見て決めるってことで、ひとまず帰らせろ。今日はカネの話をしに来たんだ。こいつらにはまだ聞かせるわけにはいかねえからな」
「翔太、海斗」
「はいっ」
 二人同時に立ち上がり、陣能と城有に向かって一礼する。
「失礼します」
 迅速に退室する。ドアを閉める際にちらりと室内を見ると、城有が満足そうに頷くのが目に入った。

 

(つづく)