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 翌日、翔太は海斗を恵比寿えびすにあるカフェに呼び出した。その日は恵比寿でコールの予定であったが、一時間ほど早く来てくれるように頼んだのだ。
「いやあ、昨日の城有さん、マジかっこよかったよな。ヤクザを相手にあれだけの余裕。並の人にはできないよ。『金を稼いだ方が偉い』って、ホント真理だよね」
 城有に心酔している海斗はつくづく感じ入ったというように褒めそやした。
「ところで、今日はなんだよ。一時間早く起きるだけでも、こっちは大変なんだぜ」
 それは翔太も同じである。並の女以上に肌の手入れや身支度には時間を使う。
「俺も城有さんはマジ尊敬してるけど、おまえ、分かってる?」
「何を」
「カタラグループのケツ持ちは陣能ってヤクザだ。道理で他のグループも手を出してこないはずだ。そうなるといくらなんでもカタギじゃ通らない。城有さんは〈半グレ〉だ」
「それがどうしたの」
「分からないのか。カタラグループは半グレ集団ってことになる。たぶん警察も把握してると思う。あれだけ派手にやってるんだからな」
「だからそれがどうしたっていうの」
 海斗が訊き返してきた。ふざけているのではない。本当に意味が分からないという顔だ。
「城有さんがいつも言っている通り、僕達は法に触れることは何もしてない。法に触れてないってことは、犯罪じゃないってこと。つまり僕達はヤクザのような犯罪者じゃないんだよ。つまり城有さんはヤクザを防波堤に使ってこっち側をクリーンに保ってるってわけだろ」
「そりゃそうだけどさ……」
 翔太は口ごもった。自分は半グレがどういう人種かよく知っている。正直に言うと、カタラグループが半グレ集団であることも薄々は察していた。しかし今日まで海斗と同じく、「それがどうした」と思っていた。
 なぜなら、施設出身の翔太にとって、今まで身近にいたのはそういう者ばかりであったからだ。未成年のうちは不良としてやりたいようにやり、やがて〈進路〉を選択する。進路と言っても、ヤクザの盃を受けるか受けないか、違いはそれだけでしかない。ヤクザになることによってビジネスに支障が出るなら、ならない方がいいに決まっている。ヤクザ社会の掟など、自分達にとっては煩わしいだけだ。そんなものに好んで縛られようとする方がどうかしている。
 またヤクザの方でも、若者を無理に組へ入れようとはせず、カタギとして好きにさせ上納金を取る道を選んだ。すべては時代の必然であったのだ。
「もしかして翔太はさ、何年か前に六本木であった事件、ああいうのをイメージしてるんじゃないの」
 三年前、六本木のクラブで半グレ集団による凄惨な殺人事件が起こった。多くの有名芸能人も関わっていたその事件により、半グレという名称が一般に知られるようになったのである。
 翔太や海斗らが生まれる以前に成立した暴力団対策法や、その後の暴力団排除条例施行により、急速に増加した〈グレーゾーン〉の住人達。彼らは決して暴力団に籍を置かず、一般人の立場で脱法行為に従事する。必然的に暴対法や暴排条例の適用範囲外となるため、警察でもその実態を把握できずにいるのが現状だ。
 金と女をほしいままにする半グレ達に、多くのベンチャー起業家や芸能人、さらには政治家までもが群がった。それは異様でもなんでもない、陳腐でありきたりな、単なる日本の一風景である。
「カタラグループはああいうのとは違う。六本木のあいつらはね、ただのバカだよ、バカ」
「それくらいは分かってるさ」
「なら問題ないじゃない」
 海斗は平然と言う。むしろ翔太の正気を疑うかのように、
「どうしたんだよ、いきなり。そんなことを言うために呼び出したのかい」
「そういうわけじゃないんだけど……」
 何か言おうとすればするほど、本来言いたかったことが遠のいていく。一つには目の前の海斗が、あまりにも確信に満ちていたせいかもしれない。今や自分が何を言おうとしていたのか、それさえも定かでなくなりつつあった。
「しっかりしてくれよ。いいか、城有さんの発想や行動力は翔太もよく知ってる通りじゃないか。僕達が今やるべきことは、一人でも多くの獲物をFに送り込むこと。それだって犯罪なんかじゃない。僕達は女の子の意識を変える手助けをしてあげてるだけさ。その経験から何を学ぶか、それは彼女達次第だけどね。そこまでは知ったことじゃない。すべては自己責任なんだ」
 海斗の言葉に熱がこもる。
「僕達が他の奴らと違っているのは、何を学ぶべきかをちゃんと自覚してるってことだ。昨日も城有さんが言ってただろ。このまま行けば僕達はもうじきトップテン入り間違いなしだって。グループでも最短記録だそうだ。なあ翔太、今日も力を合わせてがんばろうぜ。僕、すっごく充実してるんだ。今やってることが全部未来につながっていく。そういう実感って、なかなかできるもんじゃないよ。それに気づけない奴は生涯下積みになるだけだ。君はそんなクズになりたいって言うの」
「まさか」
 そこで海斗は腕時計に目をった。ブランドはオーソドックスなロレックス。値段は確か百万以上と聞いた。
「おい、そろそろ行かないと。こんなところでのんびりしてる場合じゃない。[時間を無駄にしてはならない]ってマニュアルにもあっただろ。下手へたしたら上物を他の奴らにかっさらわれるかもしれないぞ」
「そいつはまずいな。よし、急ごう」
 翔太は伝票をつかんで立ち上がった。海斗に伝えたいと思っていた事柄も、すでに思い出すことさえできなかった。

 カタラの店内で笑いさざめく声。男達は誰もが若く、美しい。女達はピンキリだ。しかしピンにもキリにも差別はしない。全員の意識を高める手助けをする。そして全員まとめてFへと送る。
 その月の終わりに、翔太と海斗は揃ってトップテン入りを果たした。
「カタラグループの旗艦店たるこの店から、歴代最短でトップテンを出せたのは、マネージャーとして光栄に思う。翔太、海斗、これからもがんばってくれよ」
 閉店後、道後のスピーチとともに歓声が巻き起こった。
 誇らしかった。途方もなく誇らしかった。翔太のこれまでの人生で、人に褒め讃えられることなどなかったからだ。
「見ろよ、後ろで固まってる奴ら」
 歓声と拍手の中、海斗が耳許で囁いた。
 目の前に集合したメンバー達の後方にいる何人かは、面白くなさそうにこちらを睨んでいた。
「負け犬って、この段階でもはっきり分かるものなんだね」
 同感だった。
 だが翔太は、不意に得体の知れない既視感に襲われた。
 あの目。連中の目。どこかで見たことがある――
 すぐに分かった。これまでの人生で、常に周辺でたむろしていた不良達の目だ。
 そして毎日鏡の中に見ていた己の目だ。
 常に餓え、他人をうらやみ、世間を憎む。そんなすべてが詰まった目だ。
「おい、翔太」
 海斗に肘でつつかれ、我に返る。目の前に道後の広い胸が迫っていた。
「おめでとう、翔太」
「あざっす。これも道後さんやみんなのおかげっす」
 翔太は大声で挨拶し、道後と暑苦しいハグを交わした。
 カタラグループのトップテン。その肩書は、店の内外で翔太と海斗にさまざまな恩恵をもたらした。
 繁華街のどのクラブに行っても待遇が違う。まるでVIPにでもなったかのような扱いだった。オーナーやマネージャーがやってきて挨拶してくれる。サービスのシャンパンがふるまわれる。連れてきた女の子達は、一層熱い視線を二人に投げかける。仲間内の嫉妬もあったが、そんなものはもう気にならない。
 こうなると何もかもがうまく回っていく。二人の成績はいよいよ上がった。何人ものターゲットが我先にFへと落ちていった。
「いやあ、オレの見込んだ通りだったよ」
 二人を赤坂の高級中華料理店に招待した城有は、上機嫌で言った。
「新宿店もこれで安心だ。これからもしっかり頼むぜ」
「はいっ」
 翔太と海斗は同時に答えていた。こんな名誉があるだろうかと。
 四川料理を賞味しながら、しばらくはたわいない世間話に時を過ごす。人の話、金の話、そして女の話。城有は座談の名手と言っていいほど話がうまかった。翔太も海斗も、大いに笑いながら楽しんだ。
 やがて白い顔を紹興酒で赤くした城有が、声を潜めて切り出した。
「キミ達だから打ち明けるけどさ、オレはカタラグループ以外にもビジネスを展開してるんだ」
「へえ、どういうビジネスなんですか」
 海斗がなにげない口調で尋ねる。話の流れからして当然の質問だ。
「うん。人を雇って、いろんな人に営業の電話をかけさせるんだ。振り込めなんかじゃないよ。立派な投資勧誘さ」
 棒棒鶏バンバンジーを摘んでいた翔太は思わず箸を止めた。
「投資ですか。凄いですね」
 海斗は無条件に感心している。
「それで、どんな案件を扱ってるんですか」
「金融商品も不動産もやってる。とにかくいろいろだよ」
「でも、この不況ですから、今はそう簡単に売れるもんじゃないでしょう」
「それが売れるんだよ。秘訣があってね。あらかじめ買いそうな奴が分かってるのさ」
「えっ、どうしてですか」
「それは企業秘密だよ。たとえ相手がキミ達でも簡単に教えられるもんじゃない」
 翔太は酔いが一気に醒めていくのを感じていた。
 間違いない、詐欺だ――
 名簿屋から非合法に入手した名簿を使い、主に一人住まいの高齢者を狙って電話をかける。振り込め詐欺をはじめとするいわゆる特殊詐欺は、半グレの代表的なシノギの一つである。翔太の知人にも特殊詐欺に関わっている者――厳密にはその下請けに使われている者――は数多くいた。
「山科君、キミ、疑ってるね」
 驚いて顔を上げる。城有がじっとこちらを見据えていた。普段は日本人離れした色白であるだけに、赤く染まった顔には相手を捕らえて逃さぬ迫力、いや妖気にも似たものが感じられた。
「詐欺じゃないかと思ってるだろ、オレの仕事」
「まさか、そんな」
「いいよいいよ、別に隠さなくっても。疑われて当然だもんね。でもさ、詐欺ってのはね、法に触れるから犯罪なの。法に触れなきゃ犯罪じゃないし、従って詐欺じゃない。この仕事のおかげで大勢の人間が食えてるわけだし、客はいろんな体験ができる。例えば土地を買う、家を買う、株を買う、それってつまり、夢を買ってるわけじゃない。分かるよね、カタラグループの理念とおんなじこと」
「そうですよね。仕事を通してみんなが利益を得る。ビジネスの本質は社会貢献ですもんね」
「おっ、辻井君、キミはなかなか分かってるじゃない」
 調子のよい合いの手を入れた海斗に、城有が相好を崩す。
 海斗はどこまで自覚して言っているのかーー
「実はね、キミ達にこの話をしたのは、ゆくゆくはオレの仕事を手伝ってもらいたいと考えてるからなんだ」
「えっ、ほんとですか」
 身を乗り出した海斗に、城有は大きく頷いて、
「店でも外でも、オレはいろんな奴らを見てきたけどさ、イマイチ信用できないっていうか、アタマ悪いヤツばっかでさ。その点、キミ達なら大丈夫かなって」
「光栄です。城有さんにそこまで言って頂けるなんて」
 完全に酔っているのか、城有と同じく顔を真っ赤にした海斗が威勢よく応じた。
「でも、道後さんとか、優秀な先輩方が――」
 翔太が口を挟むと、城有は片手を左右に振ってそれを遮り、
「ダメダメ、道後はせいぜいマネージャーが関の山。それがアイツの器だよ。オレが求めてるのは、もっとでっかい仕事を任せられるヤツ」
 城有の両眼が異様な光を帯び始めた。
「オレはね、スマトラ島のリゾート開発に目をつけてんだ。リゾートだけじゃない。スマトラの山にも海にも膨大な地下資源が眠ってる。こいつをただ眠らせとく手はないぜ」
「だったらもう誰かがとっくに手をつけてるんじゃないですか」
 海斗が理性的な質問を発した。
「と思うだろ? だけどスマトラは地形が複雑でさ、開発には莫大な資金がいる。それに発展途上国にはよくある話で、役人や政治家に賄賂を握らせなきゃ話が進まない。だから未だ手つかずの資源もまだまだ残ってるってわけ。カタラグループの仕事は、そのための資金稼ぎ。投資の仕事だって、将来的にスマトラにつなげられれば正真正銘、立派なビジネスってことになる。どう思うよ、この話」
「城有さん、凄いです。感動しました」
 海斗と違い、翔太はすぐには答えられなかった。
 女をFに落とすカタラグループと、スマトラ島の開発事業。
 この落差は一体なんだ――
 しかし今になって紹興酒が回ってきたせいか、それとも海斗の前のめりの勢いに感化されたか、翔太も思わず口走っていた。
「最高っす、城有さん」

 

(つづく)