『香港警察東京分室』で直木賞候補になった月村了衛氏の新刊は、発売前から話題になっている「人間の本質的な邪悪」に切り込む社会派小説です。刊行即重版となり、読者からは熱い感想が寄せられています。東京大学名誉教授の養老孟司氏も絶讃した今年最大の話題作ともいえる『半暮刻』について、「小説推理」2023年12月号に掲載された書評家・豊崎由美さんのレビューで読みどころをご紹介します。
■『半暮刻』月村了衛 /豊崎由美 [評]
若者2人の姿を通して現代日本の「ありのままの姿」をあぶりだすとともに、金権主義の闇にも深く切り込む──出色の社会派小説にして、ハイパーリアリズム小説
施設育ちで、定時制高校を中退している21歳の山科翔太。キャリア官僚を父に持ち、一流大学に通っている辻井海斗。この2人が、半グレの城有が経営する会員制クラブ「カタラ」で出会う。繁華街でナンパし、何度かデートした上で店に連れていき散財させる。相手が支払いに困るようになればF(風俗店)を紹介する。城有が作った人生の勝者になるためのマニュアルにそって、何の罪悪感も覚えないまま女の子を地獄へ送りこむ。「彼女たちの自由意志だから法には触れない」という城有の言葉を信じている2人はタッグを組んでナンパに励み、新人ながら店のトップメンバーに。城有にも気に入られて有頂天になるものの、やがて店は摘発され、翔太は3年の実刑をくらってしまう。
月村了衛の『半暮刻』の物語は、ここから佳境に入っていく。出所したものの、無気力なまま地元の先輩の誘いでヤクザの盃を受け、デリヘルドライバーになる翔太。店の摘発からは逃れ、カタラでの“学び”を活かし、広告代理店最大手「アドルーラー」に入社する海斗。出発点は同じだったのに、明暗をくっきり分ける別々の道を歩むことになった2人を描いていく作者の筆致が冴え渡っている。
読書するデリヘリ嬢・沙季(本名は有紀)と出会ったのをきっかけに自分もまた海外の小説を読むようになり、そのおかげでカタラにおけるマニュアルの欺瞞に気づき、罪を悔い、有紀の助けを借りながら、自分が封印してきた昏くつらい記憶とも向き合えるようになっていく翔太。彼はヤクザから足を洗い印刷会社で働くようになり、やがて有紀と所帯を持つ。かたや、若手のホープとなった海斗は、5年後の28年に開催予定の都市博における推進準備室の室長補佐に任命され、家柄も容色も申し分ない、〈この武器なら自分にふさわしい〉と判断した女性との結婚も控え、この世の春を謳歌していると思われたものの──。
利権、裏金、賄賂、中抜き。都市博で動く大金に、政財界と広告代理店と半グレとヤクザが組んずほぐれつ群がる、海斗パートの読みごたえが凄まじい。貧しくとも幸福を見つけ、自分の過去と罪から目をそらさない人間に成長する翔太。カタラで身につけた価値観のまま、全てを失うことになっても尚自分の非は認めず、〈人間の真の邪悪〉の権化としてふるまう海斗。この2人の対照的な生き方を描く中、金権主義の闇に深く斬り込んでいく、これは出色の社会派小説にして、現代日本のありのままの姿をくっきりとあぶり出すハイパーリアリズム小説だ。