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 翌日のコールから、翔太は海斗と組んで都内の主だった繁華街に出た。
 平日は午後三時から最短でも午後八時まで。収穫がなければあるまで無制限に延長。土日祝日は午前十一時から。平日でも自発的に昼前からコールに出る者も少なくなかった。ランチに出た女子学生を狙ってのことである。端的に言えばナンパなのだが、カタラのメンバーは全員が真剣だった。女を引っ掛ければ引っ掛けるほど金になり、成績が上がり、グループ内での評価につながるからだ。逆に言うと、引っ掛けられなければ一日が無駄になるばかりか、皆の侮蔑と嘲笑の対象となる。お互いに競争意識があるからそれだけは耐えられない。嫌でも真剣にならざるを得なかった。
 その日は渋谷に出たのだが、海斗と組んだのは正解だった。何もかも目論み通りで、面白いように引っ掛かった。特に友達同士で遊びに来ている女は、こちらから声をかけるまでもなく、互いに肘をつつき合うようにして自分達を眺めていた。
 モデルの人かな――芸能人じゃないの――
 そんな囁きが聞こえてきたりもした。カモが自分の居場所を教えてくれている。こっちを狙えと鳴いている。銃口を向けない手はなかった。
 注意すべきなのは、女の子の好みが被ったときだ。二人組の女なら、どういうわけかまず大抵は自分と海斗とに趣味がきれいに分かれてくれるのだが、それでも一方に好みが偏るときがある。
 そういう場合は、選ばれなかった方が理由をつけて女の一人を引き離す。残された二人がカップルとなるようにだ。一人でも成果はあった方がいいに決まっている。
 標的として選ばれるのは、見た目がよい方。どちらも甲乙付け難い場合は、より素直そうな女。その選別を瞬時に行なうのがコツだ。排除すると決めた女には、友人に自分達への疑念や悪口を吹き込まないよう、丁寧に、且つ誠実そうにフォローする。「おまえは邪魔だからあっちへ行ってろ」とは間違っても言わない。
 もちろん事前に打ち合わせはしてあるのだが、海斗とは一瞬のアイコンタクトで通じ合った。そのあたり、海斗の勘のよさ、頭のよさは抜群だった。翔太は心底感嘆した。
 初めて会ったときは、正直、単なる苦労知らずの学生だろうと見くびっていた。それでも人一倍熱心に〈課題〉に取り組み、成績を上げている事実は認めていた。
 だが辻井海斗という男は、見かけ以上に〈デキる〉男だったのだ。
 温厚な外見だけではない。相手が何を求めているかを迅速に見抜き、先回りするように与えてみせる。滲み出る育ちのよさに加え、それほどの心配りをやってのける。女でなくても惚れようというものだ。
 うらやましく思わなかったと言えば嘘になる。さまざまな意味において、翔太にはないすべてを、海斗という男は生まれながらに手にしているのだ。
 しかも、自分とは最もそりが合わなそうなタイプであるにもかかわらず、どういうわけかウマが合った。それこそ理屈を超えた相性というものであったのかもしれない。
 海斗の方でも自分のことをそう思っているらしく、瞬く間に昔からの友達であるかのように親しくなった。
 それは翔太にとって、極めて珍しい体験でもあった。なぜなら、これまでの生い立ちのゆえか、翔太に近寄ろうとする者は少なく、また翔太の方でも無意識のうちに他人と距離を取るきらいがあったためである。そのことは翔太自身が痛切に自覚する性向であった。
 海斗だけはその例外だった。「女を落とし、成績を上げる」という共通の目的があったせいかもしれない。しかし生来の性格なのか、海斗は気さくで人懐こく、自分のことを無邪気に慕ってくれた。そうした人間の存在が、翔太にはこの上なく心地よかった。
 もちろん、笑顔の下で女を嵌める算段をしている男がただ無邪気なだけであるはずがない。そこには精緻な計算と純粋な打算とがある。それでも二人で釣果ちようかを数えているとき、ふと顔を見合わせ、込み上げてくる笑いを互いに隠すことなく存分に表わしたりする。そんなとき、翔太は疑いようのない連帯感を抱くのであった。
 獲物を捕らえると時間をかけて調教する。たまに懐きにくいのもいるが、大抵は数回のデートで済む。海斗とその獲物とのダブルデートならなお効率がいい。頃合いを見計らい、女達をカタラに誘う。「素敵なお店ねー」「ほんと、すっごーい」。女達はまず感嘆する。それから大事なのは会話だ。基本的には相手に合わせるが、低俗な話はまずしない。
「意識を高める」「自分を磨く」「自分が変われば世界が変わる」「そのためには資金が必要」「時間を無駄にしてはならない」「金を貯めるのに時間をかけていては駄目」「時間は金で買える」「すばやく効率的に稼ぐことが大事」「金を稼げない者は馬鹿と同じ」「人生で勝てるかどうかは今の価値観で決まる」「今やらない者は一生やらない」……
 そんな話を甘い言葉にくるんで囁き続ける。要するに洗脳だ。「意識の高さ」「自分磨き」「価値観」「向上心」「人生は勝ち負け」。同じワードを繰り返す。相手はこちらを「意識の高い勝者」であると錯覚し尊敬しているから、次第にそうした考えに染まっていく。
「でも短期間でお金を手に入れるなんて、そんなこと、できるんですか」
 女の方からそう尋ねてきたらこちらの「勝ち」だ。
「実は、すごく条件のいい仕事があるんだけど」
 結論は決まっている。Fだ。
「それって、風俗なんじゃないですか」
 決まって女はためらいを示す。まるでそれが自分の価値を担保する証明手続きであるかのように。
 次に言うべき言葉もマニュアルに書かれている。
「頭のいい子はみんなやってるんだよ」「だから必要額だけ稼いで短期間でやめるんだよ」「今やれるかどうかで今後の人生が決まるんだよ」「このまま奨学金の返済を続けてたらお金なんて一生貯まらないよ」「僕がフォローするから安全だよ」……
 従来通りのプログラムでしかないのだが、それぞれの獲物に対し、海斗と交互にフォローを入れるから相乗効果が期待できる。加えて女達を個別に競わせるため落ちるのはさらに早い。
 その時点で、女はカタラで相当な金を使っている。選択肢はない。本当はいくらでもあるのだが、「他に道はない」と思い込ませればいいだけなのだ。
 そこでも海斗と抜群のコンビネーションを発揮した。ぐずぐずと躊躇している女には、「翔太は君のこと、真剣に考えてるんだよ。そうじゃなきゃ、普通はそこまで言えないよ」ともっともらしい顔でフォローを入れる。何もかもが絶妙のタイミングだ。
 海斗とのタッグは、正真正銘の大成功だった。

「今月のランキングを発表する」
 閉店後のカタラで、集まったメンバーに道後が恒例の講評を行なう。
「トップは翔太と海斗。ダントツの成績だ」
 全員が拍手する。そういう決まりだからであって、中には義務的にやっているだけの者もいれば、悔しそうにいやいや手を動かしている者もいる。もちろん心からの敬意と羨望とを以て讃えている者も少なくないし、そうでなければカタラのシステムは成り立たない。「意識を高く持ち」「最大限の努力をした」者を称揚するのが、カタラという選ばれた者の世界なのだ。
「二人にバックされるマージンはそれぞれ二百万を超えている。新人としては破格の収入だが、努力した者には当然の報酬だ。しかも二人にはFの各店舗から今後も毎月マージンが入り続ける。総額いくらになるのか、俺はめんどくさくて計算してない。誰かヒマな奴がいたらやっといてくれ」
 ほんの少しの笑い声が上がった。
「でも道後さん、ウチでも一番若いヤツ同士が組むなんて、なんかズルくないっすか、評価方法として」
 手を挙げて疑義を挟んだのは翔太よりも半年ばかり早く参加した先輩だ。冗談めかした口調であるが、その顔に浮かぶやっかみの色はまるで隠せていなかった。
「悔しかったらおまえもいい手を考えてみるんだな。世の中は数字、つまり結果がすべてだ。いい結果を出すためにはどんな手を使ったっていい。いいか、それは悪いことなんかじゃない。悪いのは結果を出すための努力を怠ることだ」
 質問した男は所在なげに俯いてしまった。代わって別の男が剽軽ひようきんに口を挟む。
「それって、城有さんの受け売りじゃないっすか」
「バレたか」
 道後が一転しておどけてみせる。店内は今度こそ和やかな笑いに包まれた。
「翔太と海斗には城有さんも注目してるって話だ。次世代のリーダー候補だってな。みんなも二人を見習って自分磨きに励んでくれ。その気になれば、学ぶことはいくらでもある。それこそ城有さんが教えてくれた最も大事なことだ。いいな」
「はいっ」
 若者達の溌剌はつらつとした返事が店内に響き渡った。純粋な野心に満ちた生臭い声だ。翔太にはその声が痺れるほどに誇らしかった。
 翌日も普段通りに出勤したが、成績優秀者の特権として早めに切り上げ、翔太は海斗と近くのバーで祝杯を挙げた。やはりカタラのメンバーが来ることのない、カウンターだけの小さな店だ。
「まずは大成功だな」
 そう言うと、海斗は嬉しそうに微笑みながらも、真剣な面持ちで応じた。
「僕の思った以上に翔太がデキる奴だったからだよ」
「それはおまえだって」
「いや、僕はいつも翔太に勉強させてもらってる。感謝してるんだよ、翔太には」
「おまえまで城有さんの受け売りか」
 二人して声を上げて笑った。酒がうまい。自腹だがカタラと違って適正価格ということもあり、今夜は何杯でもいけそうだった。
「でもね、翔太もそうだけど、僕は本当に凄いと思ってるんだ、あの人」
「城有さんか」
「ああ。まだ会ったことはないけどね。あのマニュアルは心理学の理論に適ってる。いや、大学で使われてる教科書や参考書なんか目じゃないね。理論だけの教科書と違って、あれほど実践的に書かれてるテキストなんて他にないよ。自分を高め、人の心をつかむ。それこそ社会に出て役に立つ真の学びじゃないか」
 真の学び。もちろん同意見ではあるが、翔太はごくわずかな違和感を抱いた。しかし、そこが自分と金に困ったことのない海斗との違いだろうと、微細なとげのような引っ掛かりをジントニックとともに飲み下す。
「大学のサークルで無意味に遊び回ってる連中とは違う。こうして考えてみると、あいつらは貴重な時間を無駄にしているだけだったんだ。卒業して就職できたとしても、上になんていけやしない。リーダーになるためのノウハウをなんにも学んでないからだ。僕は本当にラッキーだった。カタラグループに入ることができて」
 海斗はそこでグラスをあおり、翔太の目を覗き込むようにして言った。
「僕は大学のイベントサークルにいたときにカタラと出会ったんだ。イベントに来てた人の紹介でね。『人生を無駄にしちゃ駄目だ、もっと意識を高めるんだ』とか言われて。最初は『なに言ってんだこの人は』って思ったけど、体験するだけでもいいからって話で、面白半分でミーティングに参加したんだ」
「それで人生変わったってわけか」
「ああ。やっと目が覚めたって感じ? 何もかもその通りだと思った。僕らってさ、生まれたときからナントカ世代だとか言われてるじゃない。そんなの知ったことかって。不況とか氷河期とか、責任は全部上の世代の老害どもにあるわけだし。僕らは僕らで生きていかなきゃならないのにさ。バブルとか小さいときからよく耳にしたけど、現代史でもやんなかったし、知らねえっつーの。単なる過去の歴史。明治維新とか関ヶ原の戦いとかとおんなじレベル。ま、経済の授業ではやったけどね」
 嫌な予感がする。強い酒には慣れているはずの海斗が、今夜はやけに饒舌じようぜつだった。翔太は密かに身構えた。
「でさ、君はどうしてカタラに入ったの?」
 やはり、来た――
「俺か。俺は……」
 普段なら曖昧にごまかすところだが、今夜はその気になれなかった。
 一つには、単なる気分だ。
 もう一つ。海斗には打ち明けたかった。自分を、ありのままに。
「言ったよな、俺は高校中退だって」
「うん、聞いた」
「それも昼間の高校じゃない。定時制だ」
 カタラのメンバーは大半が普通の学生だ。無職の遊び人も何人かいるが、彼らも大卒でそれなりの家庭の出だ。自分だけが違っている。認めたくはないが、劣等感というやつだ。
「俺はガキの頃から施設で育った。知ってるだろ、児童養護施設。ひでえ親でさ。飲んだくれのシングルマザー。その挙句に育児放棄だ。もっとも本人はちゃんと面倒見てたって主張してたそうだけどな。家裁の判断で俺は強制的に施設行き。そこは実家に輪をかけて酷いとこだった。生き残るには力が必要だったんだ。力と、それに頭だ」
 海斗が目を見開いた。
「力と頭か。城有さんの教えの通りだ」
「気がついたら俺は不良になっていた。ヤンキーって呼び方は好きじゃない」
「君の美学ってとこか」
 ときどき海斗は翔太にとって理解不能な文言を口にしたが、自分をいらつかせるばかりであるはずのそれらが、彼の口から出るとなぜかまるで気にならない。
「なんでもいいさ。あの世界は上下関係がすべてなんだ。先輩の命令にはどんな無茶でも絶対に服従。ワルいことは大概やった。だからそれなりの顔にもなった。そんなときだ、俺は地元でも有名だった先輩に呼び出されてこう言われたわけさ、『おまえもカタラに来い』って」
 そこで海斗は他の者達とは明確に違う反応を示した。すなわち、より敬意と親密さにあふれた眼差しを投げかけてきたのだ。
「つまり、君は最初から社会の縮図の中にいたってわけだ。道理でカタラの優等生なわけだ」
 そして最後に、あの穏やかな笑みを浮かべて言った。
「おかげで僕は君に出会えた。これからも上を目指して一緒にがんばろうよ」
 その言葉は、翔太の口中に残っていたアルコールの糖分を一瞬で倍増させたようだった。

 

(つづく)