翌日、コールに行く前に池袋駅東口のカフェで海斗と落ち合った翔太は、互いに昨夜の首尾について報告し合った。
それぞれが〈捕獲〉した獲物のランク、特性、資産価値等について検討する。自分達への好感度も検討要素に入っている。こうして真剣に話していると、単なるナンパ自慢などではあり得ない、まるで学生の勉強会のようだと翔太は思った。もっとも、自分には友人と勉強会をした思い出など一度もないのだが。
女の査定が終わった頃、海斗が「それにしても」と嘆声を漏らした。
「城有さんて、最高だよな」
「ああ。トップテンのメンバーとかじゃないとなかなか会えないって聞いてたのに、俺達はラッキーだった」
「そうだよ。僕達はもっともっとあの人から学ばなきゃね」
そう言って、海斗は小さな手帳を取り出した。
「なんだ、それ」
「昨日、城有さんが言ったこととか、決めゼリフとか、咄嗟のリアクションとか、凄いと思ったふるまいとか、そういうのをトイレに入ったときにメモしといた。こうして書いとかないと忘れちゃうからね」
「スゲーな、おまえ。ちゃんと勉強してるじゃん」
「だから勉強なんだよ、これは」
海斗は大真面目に言った。
「せっかくの学びの機会を無駄にしたら、それこそ城有さんのくれたチャンスを無駄にすることになる」
「そうだな。悪ィ」
「いいよ。僕の見たところ、君は城有さんの行動を片端からコピーし、再現してた」
「嘘だろ。そんなこと、ゼッテーねえって」
「いや本当。単に真似してるってわけじゃなくて、城有さんの発想や考え方、それに洗練された動きをどんどん採り入れてたっていうか」
「ねえって、ねえって。おまえ、なに言ってんの」
本当にそんな自覚はまったくなかった。
「それがやってたんだよ、翔太は。ごく自然な感じでさ。本質を即座に理解してないと、とてもあそこまで動けない。つまり翔太は、すごく優秀な生徒だったってわけだ。僕みたいにメモを取る必要なんかないほどにね」
「やめてくれよ」
照れくさいが、海斗に褒められると悪い気はしなかった。また海斗の言葉には、冗談めかした多少のやっかみも感じられた。
「それより、コールの前にLINEを返しとこうぜ。ターゲットは初期対応が重要だ」
強引に話題を変える。
「あっ、そうだね」
海斗も思い出したようにポケットに手を入れた。二人同時にスマホを取り出し、着信をチェックしてから、無言で入力し始めた。
それぞれ昨夜相手をした女に連絡する。翔太も海斗も、三人の中からターゲットを一人に絞った。いずれも高い〈市場価値〉を有していたし、二人くらいまでなら同時にうまく対応することも可能だが、ここは慎重に行くべきだと判断したのだ。女同士もそれぞれアドレスやLINEを交換していたので、嫉妬心からの疑念を招いては元も子もないからだ。
[より大きな成果を目指しつつも、リスクの排除に努めること]
それもまたマニュアルの教えであった。
翔太も海斗も、ロックオン・ワンで引っ掛けた女をFに送り込むことに成功した。もともとが城有のファンで自ら網に飛び込んできたカモ達である。大した手間はかからなかった。
二人の成績はますます上がり、トップテン入りは間近であろうと半ば公然と囁かれるようにまでなった。
さらに嬉しいのは、城有が二人を呼び出してあちこち連れ回してくれる機会が増えたことだった。
それは取りも直さず、城有が二人に寄せている期待の大きさを意味していた。
翔太と海斗は、喜んで城有の誘いに食らいついていった。この人からどこまでも学び、どこまでも成長する。何より、この人にどこまでも付いていく。
そんな覚悟を感じ取ってか、城有も一層二人をかわいがってくれるようになった。
何もかもがうまい流れに乗っていた。二人はそれを疑わなかった。
同時に思った。他のメンバーに比べ、自分達はなんと恵まれているのだろうかと。
その日も二人は、城有に連れられて青山のクラブ『ルーチェ』にいた。
広いテーブル席を三人だけで独占する。どの店に行っても城有はVIP待遇で、間違っても嫌な顔をする店員などいなかった。
開店直後で、他に客は少なかった。城有は上機嫌で〈恋愛〉について語っていた。
〈恋愛〉とはターゲットとした女性に恋愛感情を抱かせ、罠に嵌める手口のことで、これもまたカタラグループ独特の用語である。
城有はマニュアルにも書かれていないノウハウについて、得意げに話してくれた。
これまで受験勉強一筋で恋愛――これは普通の意味の恋愛だ――を経験していない、特に地方出身の女子学生が狙い目であること。
そんなターゲットを見つけたときは、どこまでも〈別の世界〉を見せつけること。
〈別の世界〉に一度魅せられた者は、もう決して後戻りできないこと。
そのためには、自分自身が徹底して〈世界観〉を作り込む必要があること。
海斗はもう夢中でノートを取っていた。
城有は自分達をそこまで評価してくれている、だからここまで惜しげもなく指導してくれるのだ――そんな誇らしささえあった。
「おう、城有じゃねえか」
ドアの方から不意に野太い声がした。
反射的に振り向くと、高そうだが流行遅れのスーツを着た中年男が近寄ってくるのが見えた。背後に二人の若い男を従えている。
翔太には一目で分かった。ヤクザだ。
「これはどうも、原崎さん」
城有が立ち上がって挨拶している。そんなところは初めて見た。
「おめえ、近頃やたらに羽振りがいいそうじゃねえか」
男は城有の隣に無遠慮に座り込んだ。二人の手下はテーブルの横に立ってこちらを威嚇している。
「それほどでもないですけど、まあ、真面目に仕事がんばってますから」
「真面目に仕事ねえ」
鼻で笑った男は、対面の翔太と海斗を一瞥し、
「こいつらはおめえの若い衆か」
「やめて下さいよ。若い衆だなんて、ヤクザじゃないんですから」
「言ってくれるじゃねえか」
城有はどこまでも軽い口調で矛先をかわすように、
「こいつらは翔太に海斗で、うちのホープです。どっちもマジ見込みありますよ」
「へえ」
原崎と呼ばれたヤクザは、その筋の人間に特有の視線でこちらを眺め、
「なるほどな。こっちの奴、翔太とか言ったな、なかなか根性ありそうなツラしてるじゃねえか」
「でしょう?」
「そんなことより城有よう」
本題に入ろうというのか、原崎は城有の肩に手を回し、
「おめえが月々ウチに入れてる上納金な、来月から三割増しで頼むわ」
「冗談でしょ」
「それが冗談でもねえんだよ。ウチも締め付けが苦しくてな。上がうるさく言ってきてるんだよ。分かるだろ」
「分かりませんね」
冷笑を浮かべて城有は言い切った。
「なんだと」
原崎の声が低く変化した。暴力の前兆だ。
「おめえらのケツを誰が持ってやってると思ってるんだ」
「誰にも頼んでませんよ。オレは陣能さんに個人的に出資してるだけですから。ヤクザじゃないんで」
「そんな理屈はどうでもいい。出すのか出さねえのか。はっきりしろ」
「さあねえ」
城有の冷笑が寒気を増した。そこには憐れみさえ感じられる。
「てめえ、舐めてんのか」
「とんでもない。まあまあ、落ち着いて下さいよ原崎さん。こんな世の中なんで、お互い損になるようなこと、オレがやるわけないでしょ」
「だったら――」
「金の件なら、もうとっくに陣能さんと話はついてます。なんなら、今この場で電話してもらってもいいですよ」
「陣能の兄貴と?」
翔太は息を詰めて見守るしかない。隣の海斗は硬直しているようだった。
「みかじめとか上納金とか、もう時代遅れもいいとこですよ。名目なんかどうだっていい。金は金です。陣能さんも、自分のとこに直接現金で入るんならその方がいいって言ってましたよ。組には陣能さんがまとめて入れるって」
口座での金の流れを追われるとヤクザは弱い。必然的に現金の方が足は付きにくくなる。
だが翔太は直感した。一見筋が通っているようで、これは陣能とかいうヤクザが金を抜くためのシステムに他ならない。おそらく原崎は、陣能とは違う幹部の手下なのだ。
「そちらの組内で情報が共有されてなかったみたいですけど、ま、そーゆーことで。原崎さんも組のためとは言えわざわざこんなとこまで足を運んで下さって、マジ感謝っす」
そして新しいグラスを取って酒を注ぎ、原崎に差し出す。
「ご心配なく。原崎さんの顔を潰すようなマネなんてしませんよ。今日のお車代は後でちゃんと届けさせますから。現金でね」
原崎は自分の前に置かれたグラスを干して、
「分かった。今日んとこは引き上げてやる。だがな城有、あんまりチョーシ乗ってんじゃねえぞ。遊び半分のてめえらと違って、俺らは肚ァくくってやってんだ」
「ご忠告ありがとうございます。どうか今後ともよろしくお願いします」
「おう、帰るぞ」
原崎は二人の子分を連れ、大股で店を出ていった。
「ご苦労様したっ」
直立不動でそれを見送った城有は、おかしそうに笑いながら言う。
「聞いたか、あの捨てゼリフ。今どきコントでもやってねえぞ」
「大丈夫でしょうか。あの人、ヤクザじゃないんですか」
心配そうに言う海斗に対し、城有は呆れたように、
「ヤクザに決まってんだろ。もうコテコテじゃない」
「だったら……」
「今どきヤクザなんかやってるって時点でもうダメなんだって。何が『肚ァくくって』だ。バカバカしい。遊びであろうとなかろうと、金を稼いだ方が偉いに決まってんだろ。あんな下っ端でも、使いようによっては使えるから下手に出てるけどな。付き合うならできるだけ上と付き合え、だ。キミ達もよく覚えとくといいよ」
「はいっ」
返事をしながら、翔太は心の中でメモを取っていた。
城有とカタラグループのケツ持ちは陣能というヤクザ。
そして気づいた。城有も原崎も、組の名前は口にしなかったということに。