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 様子を見にきてくれませんか、と高梨さんから連絡があったのは一年と半年が過ぎたころのことだった。ふたりが静かな湖畔こはんの別荘で暮らしはじめてから二度目の冬だった。それまで一度も訪れたことがなかったわけではない。昨年も今年も夏にはあちらの家族も呼んでみんなでバーべキューをした。自然豊かな土地で、そこで採れるおいしい野菜やきれいな水を堪能した。毎日がデトックスね、とママに云うと笑っていた。実際ママの肌つやはよくて、すてきな旦那さんと健康的な生活の両方のおかげで若返って見えるほどだった。
 ママと一緒にしあわせな日々を送っているはずの高梨さんの電話の内容は要領を得ないものだった。ソフトな語り口ながらも云うべきことはしっかり云う人だと思っていたのでちょっと意外だった。あとで思い返してみれば、どう説明すればいいのか、彼も違和感の正体を掴みかねて困惑していたに違いなかった。だから「遊びにきてくれませんか」という誘い文句ではなく、「様子を見にきてくれませんか」というあいまいな表現になってしまったのだろう。
 雪の多い地域とは聞いていたけれど、用意したスタッドレスタイヤだけでは心もとないような雪道だった。チェーンの巻きかたなんて覚えてないし、正直途中でひき返したほうがいいかもと何度も迷った。天気はよかったのでそれだけが救いだった。明るい陽の光が雪に反射してきらきらとまぶしいくらいだった。グローブボックスからサングラスをとり出してかけると少しはマシになったけれど、慣れない雪道にわたしはずっとひやひやしどおしだった。
 無事到着してベルを鳴らすと、高梨さんが待ちかねたように迎えてくれた。ママは暖炉の前のソファでくつろいでいた。わたしの姿を認めると驚いた様子で、「まあ、ちいちゃん、どうしたの?」と訊ねた。
「あなた、わたしに内緒でちいちゃんを呼んだのね。これはなんのサプライズ?」
 そうだったのか。わたしは高梨さんをふり返った。ママを驚かせようと内緒でわたしを呼んだのだと思った。なんの記念日か知らないけど、わたしはそのために担ぎだされたってわけね。
 だけど高梨さんは沈んだ表情で、「きみに説明したよね」とママに云った。
「何度も」
「どういうこと?」
 首をかしげるわたしをキッチンに連れていき、高梨さんは訴えた。一ヶ月くらい前からママの様子がおかしいこと、すぐに云ったことを忘れたりなにかを失くしたりする。時には何時間も家の中を探しまわって部屋をぐちゃぐちゃにしたり、かと思えば何時間も身じろぎひとつせずにソファにぼんやり座り続けていたりする、と。
「それって……」
「明日、病院につき添ってもらえないでしょうか」
「待って。ママはまだ若いわよ」
 反論しかけたわたしに向かって、高梨さんは疲れた様子で力なく首を横にふった。その時点ですでに彼はなにかを拒絶していた。翌日三人で病院にいき、ママに検査を受けさせた。精密検査の結果は後日になりますがほぼ間違いないでしょう、と医師から説明されたあと、無言で車に乗り込んだ。ハンドルは高梨さんが握った。
「この環境がいけないのだと思うんです」
 じっと白い雪道を見つめたまま、高梨さんが云った。そのときわたしとママは後部座席に並んで座っていた。
「わたしは会話があまり得意ではありません。外出も好きではない。変化の乏しい毎日は彼女にとって苦痛だったのでしょう。わたしは知らず知らずのうちに彼女を自分の理想に巻き込んでいたのかもしれません」
「それは……ふたりで話しあって決めたことですよね? ママはここにきてとてもしあわせそうでしたよ。それを安易に病気とつなげるのはどうかと……」
 隣のママの様子を気にしながらわたしは答えた。検査で疲れたのか、ママは半分目を閉じて眠りに落ちる寸前のようだった。
「わたしのせいです」
 やはり前を向いたまま、高梨さんがきっぱりと云い切った。
「彼女を連れて帰ってくれませんか?」
「……?」
「それが一番いい解決方法だと思うのです」
 わたしはママの手の甲をそっとでた。わたしたちはたくさんの男たちを捨ててきた。そして今度はその報いのように捨てられるのだ。
 次の日、ママを連れて別荘を出るまでわたしはほとんどしゃべらなかった。心配そうにママが問いかけるときだけはわずかにほほえんでみせた。所在なさげに立ち尽くす高梨さんのほうはなるべく見ないようにした。でないと彼に殴りかかってしまいそうだった。
 出発した車内でわたしは大きく息を吐いた。ママはまたおでかけだとにこにこしていた。彼になんのおみやげを買って帰ろうかとたのしげに考えているママに、しばらくわたしと暮らさないかとはなかなか云いだせなかった。
 暖房を効かせすぎたせいでフロントガラスが白くくもりはじめる。外も一面の白い世界。前が見えづらくなってきた。白と白の境界がわからなくなってくる。このままこの白に溶けてしまおうかと一瞬本気で考えた。でも次の瞬間、わたしは窓という窓を全開にし、同時にブレーキを踏み込んだ。車は半回転しながらなんとかとまった。開いた窓のすぐ外には大きなモミの木が立っていた。
 後日、高梨さんからママの検査結果を伝える電話があった。彼は事務的な口調で内容を読みあげた。ひと通り聞き終わるとわたしは「ありがとうございます」と平坦な声で云い、そして祈りを込めて続けた。
「あなたのこのさきの人生におだやかでしあわせな時間が永遠に訪れませんように」
「……わたしは」
 しばらくの沈黙のあと、高梨さんは苦しそうな声で云った。
「わたしはあなたほど彼女を知らないのです」
「それはわたしだって……」
 云いかけて電話を切った。
 わたしだってママをよく知らないのです。

 ふたりで暮らしはじめてから半年後、ママは倒れた。医師の話では軽い脳梗塞のうこうそくということだった。後遺症は残らないと告げられていたのに、退院後の生活では介護が必要になった。入院中に体力を消耗したのか、本人の意欲の問題なのかはわからなかった。認知症状も少しずつだけど確実に進み、ママはわたしのことがわからなくなった。娘を忘れたんじゃない、ママのちいちゃんは若いままどこかで生きていて、目の前にいる中年の女が誰なのかわからなくなったのだ。
 ママとふたりきりの生活をしあわせだったと軽々しく口にするつもりはない。だけどおだやかではあった、少なくとも今までで一番。
 数年後、ママが死んだ。
 わたしはクローゼットの奥から喪服をひっぱり出した。ミチオくんのお葬式に着ていったあの喪服だ。誰もいない部屋でそっと胸にあててみた。鏡の中の自分を見て、まだいける、と思った。
 高梨さんには一応連絡した。それが礼儀だろうと思ったからだ。高梨さんはかすれた声で丁寧にお悔やみの言葉を述べた。彼に今しあわせかどうか訊ねようかと考えたけれどやめておいた。それで終わりだった。
 お葬式の朝、わたしは早めに起きて朝食をとり、ゆっくりと準備をはじめた。納得のいくまでメイクに時間をかけ、薄い黒のストッキングを注意して穿き、喪服に着がえた。それから家中にあるアクセサリーを順に身につけていった。ピアスやイヤリング、ネックレスにチョーカー、ブレスレット、指輪も重ねてつけられるだけ。ママの持っていたアクセサリーも全部。
 葬儀場に向かうわたしをぎょっとした顔で道ゆく人たちがふり返った。その視線を無視して歩くのは爽快だった。ママはひとりで待っている。はやくいってあげなくちゃ。ふたりきりのお葬式なのだから。
 建物に入り、ママの棺へと近づいていく。一歩進むごとにアクセサリーたちがぶつかりあい、音を立てる。
――ちいちゃん、ママより目立っちゃ嫌だからね。
 ごめんね、ママ、うるさくてなにも聞こえないよ。
 耳もとで聞こえるアクセサリーたちのじゃらじゃらという音が、ママの声も言葉の虫の羽音もすべてかき消してくれた。

 

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