春を迎え、3年E組の教室に集まった32人の女子中学生たち。担任教師・加賀美秀彦のもと、彼女たちは中学最後の1年間を過ごすことになる。だが、夏休みを前に先生が病気で学校を辞めるという噂が流れて……。

 

『春までのセンセイ』は、『ザ・ロイヤルファミリー』や『アルプス席の母』などで知られる早見和真さんが“命”と向き合う青春小説。余命わずかな先生と過ごす日々を、32人の生徒、全員の視点で描き切っている。“泣かせにかかる小説”とは距離を置いていた早見さんが、なぜこの小説に挑み、今どんな手ごたえを感じているのか。その胸中をうかがった。

 

取材・文=野本由起
写真=下林彩子

 

 

早見和真が全力で考えた「泣ける余命の物語」

 

──『春までのセンセイ』は、余命短い教師と32名の女子生徒たちの物語です。刊行前に「絶対に自分には書けないと思っていた“余命”の物語です」とコメントされていましたが、どのような経緯でこの小説が生まれたのでしょうか。

 

早見和真(以下=早見):これまで自分の書いた小説に対し、「泣ける」と言われるたびに困惑していました。僕自身、本を読んで泣いたことがなく、泣ける小説を書こうとしたこともありません。『アルプス席の母』なんて、「ついに泣かない高校野球の話を書けた」と思っていたくらいなのに、来る感想は「泣けた」ばかり。どこで泣いているのか不思議に思って聞いてみると、人によって泣けたポイントがそれぞれ違ってまた混乱しました。泣ける小説って何なのか。わからないからこそ、僕が思う“泣ける”に全振りしてみようという感覚でした。

 

 そこから「僕がグッとくるものってなんだろう」と考えたところ、自分が女の子の父親になった頃から、少女がただ頑張っている姿を見ると心動かされることに気づいて。それを突き詰めてみたいと思ったんです。

 

 もうひとつ、世の中にはいわゆる“余命もの”と呼ばれるジャンルがあり、長年にわたって支持されていることも気になっていました。若い男女の片方が、突然余命を突き付けられ、命の尊さを感じて泣ける、という作品群ですね。ただ、いくら考えても、自分にはそうした“余命もの”を書ける気がしなくて。それでも、命の物語からは逃げたくない。「じゃあ、僕が書ける“余命もの”って何だろう」と考えたことも、この小説の出発点になりました。

 

 

──舞台となるのは、東京都杉並区にある中高一貫のミッションスクール・私立稜花女学院中学校です。「少女が頑張る話」の中でも、私立の女子中学を舞台にしたのはなぜでしょう。

 

早見:僕の娘も、私立の女子校に通っています。家族の中で僕ひとりが男性なので、食事どきは妻と娘の会話を半歩引いて聞いている感覚がずっとあって。そうすると、女子中学生ってとにかくよく揉めているんですよね。『え、先週その子と麻辣湯、食べに行ってなかった?』という子と、今日はもう揉めている。その生態が興味深くて、女子校を舞台にしてみたいという気持ちはありました。

 

 それに、共学と違って、女子校には同世代の異性の目がありません。共学の生徒が重視しがちなのは“異性にモテるかどうか”だと思うのですが、女子校は価値観が多様です。部活、勉強、おしゃれ、趣味などたくさんのコミュニティがあって、みんながどこかしらに所属できる。無数のヒエラルキーがあるところも面白いと思いました。

 

 

人には主役も脇役もない。クラス32人全員の胸中を描写

 

──新学期を迎え、クラス替えで3年E組になったのは32名の生徒たちです。担任教師は、冴えない中年男性の加賀美秀彦。合わせて33名で、中学最後の1年間を過ごすことになります。彼女たちの学校生活を追う中で、まず驚いたのが32人全員の視点で描いていることでした。誰ひとりとして見過ごすことなく、これまでの道のり、これからの人生があると感じさせてくれる。執筆には相当な苦労があったのではないでしょうか。

 

早見:最初はクラスの5、6人をピックアップして、先生の章と交互に書くつもりでした。でも僕は、高校野球の補欠球児に焦点を当てた『ひゃくはち』でデビューし、その後も「人には主役も脇役もない」と思って小説を書いてきました。それなのに、クラスの目立つ子、目立たないがゆえに気になる子だけをクローズアップすることに嫌悪感を覚えたんです。そこで、32人全員の視点で書くことにしました。ただ、もう一度同じことをしろと言われたら断るくらいに大変でしたけど(笑)。

 

──推し活に夢中な子、父親が鬱陶しくてたまらない子、周囲の顔色をうかがい、友達の間をふらふら泳ぎ渡る子など、それぞれの人物像が立体的に描き出されています。

 

早見:32人もいるので「誰が誰だかわからなくなった」という批判は覚悟のうえです。でも、そんなことはどうでもいいと思って。それに、教室ってそういうものじゃないですか? 僕が娘の授業参観に行っても、前回覚えたはずの子を忘れちゃうし、印象に残る子も残らない子もいます。でも、印象に残らない子たちにも、当然自分が主役の物語がある。そこは、恐れずに書きたいと思いました。

 

 

──32人の人物像、彼女たちの物語は、どのようにして考えていったのでしょうか。

 

早見:まず名簿を作ったのかな。50音順にバランスよく配置しようと思って、名前を考えました。縦軸となるストーリーは、7月に先生の病気が見つかる1年の物語で、卒業前に合唱コンクールがあることくらいしか決めていませんでした。

 

──生徒の中には、早見さんの前作『問題。 以下の文章を読んで、家族の幸せの形を答えなさい』に登場した西原寛乃もいます。

 

早見:実は連載時には寛乃は登場せず、単行本化にあたって彼女のエピソードを書き下ろしました。単行本が発売されたのは『問題。』のほうが先でしたが、連載が始まったのは『春までのセンセイ』のほうが早かったので。

 

──『問題。』にも、加賀美先生が語る「自分の頭で考えろ」というメッセージが込められていました。てっきり『問題。』の流れを受けて、『春までのセンセイ』が生まれたのかと思いました。

 

早見:連載を開始したのは、『アルプス席の母』『春までのセンセイ』『問題。』の順でした。内輪話になりますが、『春までのセンセイ』の担当編集者は、以前別の出版社にいた女性。双葉社に転職した際、当時僕が住んでいた愛媛県松山にいの一番に来てくれたので、「転職祝いに、東京に戻ったら仕事をしよう」と約束しました。その言葉どおり、『小説推理』で連載を始めて、約1年間かけて最終回までこぎつけたんです。

 

 ちょうどその頃、その編集者が産休に入ることになったんですね。「単行本化する時は、他の編集者が担当するんだろう」と思っていたところ、彼女から「どうしても私が担当したい。最後までやらせてほしい」と言われて。その熱意に押され、他の出版社に無理を言って『アルプス席の母』『問題。』の刊行スケジュールを前倒ししてもらいました。その後、『春までのセンセイ』の単行本化作業に入ったんです。

 

──その際、西原寛乃のエピソードが追加されたんですね。『問題。』での寛乃は、小学校から稜花に通っていましたが、母親の強いすすめもあってより偏差値の高い中学を受験します。ですが、不合格になり、結果として稜花中学に進学していました。

 

早見:『問題。』の登場人物の中で、寛乃だけ救いきれた気がしていなかったことも大きかったかもしれません。どうしても決着をつけたいと思い、改稿時に腹をくくって彼女の章を書きました。その結果できた寛乃の章が、僕はすごく好きなんですよね。良い改稿作業ができたと思います。

 

 

自分の頭で考える。自分のやり方を貫き通す

 

──そんな3年E組を率いるのが、担任の加賀美先生です。彼は生徒たちに対し、「我行我素ウォーシン、ウォースゥ」という中国の言葉で、自分のやり方を貫き通すこと、自分の頭で考えることの大切さを訴えます。この言葉には出典があるのでしょうか。

 

早見:僕は、沢木耕太郎さんから影響を受けた世代なので、学生時代は世界中を旅してきました。いろんな土地でいろんな言葉と出会い、その中には今も印象に残っているフレーズもあります。例えばインドでは「明日やれることを今日やるな」と言われたことも(笑)。「我行我素」もそのひとつです。

 

──早見さんからご覧になって、自分の頭で考えない人は増えていると感じますか?

 

早見:そうですね。子どもに限らず、大人もそう。もちろん自己肯定感を育むのは大切なことです。でも、この10年、20年、その傾向が行き過ぎているとも感じていて。「あなたの行動はすべて正しい」「あなたの言うことは間違っていない」と言いすぎた結果、自分に疑いを持たない人が増えている気がします。自分こそが正解だと信じている者同士の言葉がぶつかり合い、対話にすらなっていない。ただ自分の弁を一方的に振りかざしているのが、今の社会の正体の一つだと思います。

 

 そこに思考が介在していません。どこかで聞きかじった言説を、自分の言葉だと揺るぎなく信じている。人は、自分が正しいと思った瞬間、たぶん思考停止に陥ります。だから、もっと柔軟に、自分の頭で考え続けなければならないと思います。

 

──自分の頭で考えることの大切さを主張する一方で、大人がその機会を奪っていることにも言及しています。大人の責任については、どのように考えていますか?

 

早見:世の中には「枠に収まるな」「型にはまるな」「お前はお前だ」といった言説があふれているし、みんなそういう物語が好きですよね。でも、いざ枠をはみ出そうとする人がいると、なぜか一斉に潰しにかかる。この矛盾はどういうことなのだろうと思います。

 

 無批判にルールに従って、その結果今みんなが幸せならいいんです。でも、現実はそうではありません。みんなが苦しいのに、なぜかそろって世の中の決まり事を守っている。だからもう、物語の中で「自分のやり方を貫き通せ」と言い続けるしかないと思っています。

 

──加賀美先生は「平凡だと思う毎日を、今日一日だけでいい。大切に生きてください」と、繰り返し生徒たちに語ります。いわゆる“余命もの”でありながら、「余命が限られているから毎日が尊いわけではない」と逆説的に伝えている点が印象的でした。

 

早見:結局、それを一番伝えたかったんだと思います。連載終了後、単行本化されるまでに2年近く空きましたが、久しぶりに読んで、僕も加賀美先生の言葉が胸に響きました。

 

 みんな、1年後に死ぬとわかっていたらたぶん頑張るんです。なにかを残そうとするでしょう。でも、終わりが見えないから、ぬるい気持ちで先延ばしにしてしまうんです。そうではなく、今日一日だけでいいから頑張ってみる。昭和的かもしれないけれど、僕はそう思うんです。

 

──中学生の頃に、加賀美先生のような大人に出会うことも重要だと感じました。早見さんは、教師や教育現場に対して思うところはありますか?

 

早見:先生に対する期待は大きいですね。ルールなんて教えてくれなくていいから、より自由にさせてくれる先生と娘には出会ってほしい。今は、どの先生と出会うかが“運ゲー”になりすぎている気がします。学校は選べても教師は選べません。その運に、子どもたちの人生を託していいのかという思いは強いですね。

 

 でも、僕の場合、自分の意に反する教師と出会ったからこそ、物語に救いを求めて小説家になりました。「こいつ、クソだな」と教師を疑える子どもになってほしいという気持ちもあります。

 

──刊行にあたり、「今回、ほとんど初めて手応えを感じています」というコメントも残しています。その真意をお聞かせください。

 

早見:僕は、自分が書いた作品で「いけるぞ、これ」と思ったことがありません。毎回「これ、面白いのかな」と不安に思いながら世に出してきました。

 

 ただ、今回初稿を娘と彼女の読書家の友達に読んでもらったんですね。「細かいところまで読んでほしい。ありえないところ、変な言葉づかいやSNSの使い方は全部潰して」とお願いしたら、本当に一生懸命読んでくれました。朝、ふたりに分厚い原稿の束を渡した時には、「こんなの一日じゃ読めないよ」と文句を言ってたけれど、夜になって様子を見たら友達は泣いているし、娘も見たことのない顔で熟読していた。あとから聞いたのですが、僕がいないところでふたりは「何これ、パパにいろいろ話してんの?」「私、何も話してない」「だとしたら、超キモくない?」って盛り上がったそうです(笑)。それを聞いて「いける」という思いを強めました。「キモさ」を確かめるためにも、ぜひ手に取っていただけたらうれしいです。

 

『春までのセンセイ』特設サイト

https://fr.futabasha.co.jp/special/harumadeno_sensei/