正面に立つ八十センチばかりの銀色のポールに、T字になるように黒いグリップがはめられている。
 腰の高さに調節したそのグリップを両手でぎゅっと握り、下のレールにセットされた二つのスライドボードに両足を置くと、明石あかし新平しんぺいは勢いよく開脚した。
 左右のボードがそれぞれ外側へと、レールの上をキーッと滑る。すぐにガシャン、と乾いた衝突音を立てて止まった。
 うしろから見れば、新平の体は、ちょうど「人」の字のようだ。
 家庭用の健康器具の範囲だから、さほど幅があるわけでもなかったけれど、それでも両端のストッパーまで、左右合わせて九十センチはスライドするだろうか。握ったグリップにも十分体重をかけ、うまくバランスを取りながら大きく股を広げた新平は、はっ、と息をはき、今度は股を閉じた。
 外側へ広がっていたボードが、キキッと滑り、カシャン、と今度は小さめな音を立てて、真ん中で止まる。
 キーッ、ガシャン、キキッ、カシャン。
 キーッ、ガシャン、キキッ、カシャン……。
 何度も開脚し、脚を閉じる姿は、とても大正生まれの老人のものとは思えないかもしれない。
 平成三十年の春、明石新平は九十二歳だった。
 気が向くと自宅の二階に上がり、妻の衣装部屋に置いたその健康器具を使って、開脚運動をする。
 それが九十歳を過ぎてからの、新平の新しい習慣だった。
 以前からのルーティーン、朝起きてすぐのオリジナル体操だって、前は四、五十分で一セットだったのが、少しずつ、少しずつ新たな運動を追加して、今では一時間以上のコースになってつづいている。
 ヨーグルトにきなこ、すりごま、干しぶどうをカフェオレボウル一杯に入れていただき、ほかには梅干し一粒、った米ぬかをスプーン一杯、はちみつをスプーン二杯という、毎朝定番の健康食も、さらに塩煎り大豆二十粒をプラスして、パワーアップしていた。
 それに加えて、暇を見ての開脚運動だった。
「本当、お父さんって健康おたくよね」
 板橋のマンションで三毛猫を飼い、男の恋人と暮らすフラワーアーチストの次男には、ますます笑われることだろう。いつからか自分は長女だと言い張り、すっかりおばさんに見える身なりをした建二けんじのような人物のことを、ホームヘルパーの大石おおいしさんによれば、LGBTの「T」と呼ぶのだそうだ。「T」がなんの略なのか、学術用語なのか、どこかの世界での隠語なのかは、新平には一切わからなかったけれども。
「お父さん、また運動ですか」
 うしろから三男の低い声が聞こえたけれど、とりあえず無視。
 キーッ、ガシャン、キキッ、カシャン。
 キーッ、ガシャン、キキッ、カシャン……。
 気の済むまで開脚をくり返し、よし、と振り返ると、藍染めののれんをかき分け、やはり三男の雄三ゆうぞうがむさ苦しい顔を覗かせていた。
 グラビアアイドルの撮影会を中心に、若い女の子たちを集めて、わーわーきゃーきゃー騒ぐイベントばかり企画開催する会社を興して大借金を抱え、それでもまだ懲りずに会社をつづけながら、実家に舞い戻って暮らす、困りものの息子だった。
 子どもの頃からクマのぬいぐるみを可愛がる趣味は変わらずに、見た目ばかり、人並み以上に年を重ねている。今は髪を短く刈り込んで、顔の下半分を白いものだらけの無精ヒゲで覆っている。
 のれんから部屋に突き出した顔全体が、だるま……雪だるまみたいだ。
「お父さん、運動ですか」
 聞こえなかったと思ったのか、雄三はくり返した。宙に浮かんだきたない雪だるまが、にこにこ笑っている。その表情からすれば、ひとまずお金の無心ではなさそうで新平はホッとした。
 ない、もう一円もない、話しかけないでくれ、と突っぱねつづけて十年余り。それでも借金の尻拭いで、ずいぶんな額を蓄えから引っぱられている。損を承知で株もだいぶ売却したし、解約できる保険だって、もうひとつもない。
黒柳くろやなぎ​徹子てつこさんも、毎日、スクワットをやってるっていいますよね」
「スクワット?」
「ほら、こういう」
 上下ジャージ姿の五十男が、のっそりと部屋に足を踏み入れた。両手を前に上げると、それをうしろに振り下ろしながら、両膝を曲げ、大きな尻をうしろに突き出して、腰を落としてみせる。
「ああ。そういうのか」
 新平はうなずいた。だれかプロレスラーがくり返すのをテレビで見たことがある。「……知り合いか?」
「はい?」
「黒柳徹子と」
「なんで?」
「さん、って言っただろ。今」
「違います、違います」
 雄三は無用なほどおかしそうに笑うと、
「それ、使ってみていいですか」
 今まで新平が足をのせていた、健康器具を指差した。
 とにかく大食いの運動不足で五十代を迎え、ますます体の分厚くなったおデブの三男では、器具の耐荷重を超えているような気もしたけれど、軽く使うぶんには大丈夫だろう。新平は無言でうなずいて、場所を入れ替わった。
「雄三、おまえ、今日は休みか?」
「はい?」
 みしり、とイヤな音を立てて、器具に片足だけのせた雄三が振り返った。「いえ、少ししたら出かけますけど」
「あ、そ」
 質問しておいて、素っ気ない返事をするのは新平の得意技だった。
「なにか」
「いや、いい」
 あきらめのいい新平はあっさり答えると、藍染めののれんを手でかき分けて廊下へ出た。



 一つ年下の妻、英子えいこが倒れてもう二年半になる。
 あの秋、日曜日の朝、新平が目覚めると、英子はひとり廊下へ出て、お手洗いの前に突っ伏していたのだった。
 北関東の山間やまあい、郷里のM町でおたがいに大勢のきょうだいと一緒に育ち、太平洋戦争中に交際をはじめ、戦後、東京で所帯を持った妻だった。高度成長期に三人の子を産み、育てると同時に、新平が二十九歳で興した会社「明石建設」の経理の社員としても、ずっと支えてくれた。
「おい、英子!」 
 新平は駆け寄り、ころっと丸い体をした妻に自分の身を寄せた。まず息を確かめ、脈を取り、何度も声をかけ、二階に同居する引きこもりの長男、孝史たかしが階段の途中までこっそり様子を見に来ているのに気づくと、同じく二階で惰眠だみんをむさぼる三男を呼ばせ、それから救急車の手配をした。
 新平は男五人女四人、九人きょうだいの長男だったが、若いうちに郷里を飛び出していたから、家で親を看取った経験はない。
 正直なところ、いささか気が動転していたし、また、新平自身もかなりな高齢のため、救急車を呼ぶまでに、少し……本当はかなり、時間の遅れがあったのは間違いなかった。
 ただ、その一点をもって、一緒に住んでもいない次男から、倒れている英子をそのまま放置した、ありえない、としつこく非難めいたことを言われるのには閉口した。
「早く救急車呼びなさいよ」
 と、あの朝、三男のスマホへ指示したことを、いつまでも自分ひとりの大手柄のように。
 ひどいときには、名誉毀損ものの暴言、
「三人でママを殺そうとしたよね」
 とまで言う。
 それでなくても、妻が入院してからの治療方針や、お見舞いの仕方にも、いちいち口を挟むので、さすがに心の広い新平も、
「うるさいっ」
 一度は、相部屋の病室で怒鳴りつけたくらいだった。
 もし妻に、まったく治る見込みがないのなら。
 妻が倒れたあの朝、新平は考えたのだった。治る見込みがまったくないのなら、むやみに病院などに行かず、家で静かに看取ってやりたい。新平の見立てでは、妻は老衰だった。
 救急車で運ばれ、無情な切った張ったをされ、意識も戻らないまま、数日の延命をされてどうするというのだろう。
 それだったら自分が手を取って、家で最期をしっかり看てやりたい。
 そういった夫婦のあたたかな情が、もとよりエキセントリックな次男には、うまくくみ取れないようだった。
 結果、やいのやいのうるさい自称長女に負けて救急車を呼び、病院に搬送されたおかげで、英子の意識はもどり、当初は建二以外は不要と断じた胃瘻いろうでの栄養補給の甲斐かいもあって、じょじょに口から物を食べられるようにもなったのだけれど、とはいえ実際、救急車に同乗し、入院後も毎日病院に通い、看病し、きついリハビリを見守り、二ヵ月以上にわたる長期の入院費を支払ったのは、他でもない新平だった。
 退院後だって、毎朝、介護ベッドを起こし、一日一回、または二回の胃瘻をし、立ち上がらせて歩行器につかまらせ──それが難しくなってからは、安全のためにしっかり支えて車椅子に座らせ、居間へ連れて行き、一緒にテレビを見て、あれこれ話をし、たびたびトイレに行きたくないか訊ね、希望があればつれて行き、便座に腰かけさせるなどの介助をするのも新平の日課だった。
 居間ではおやつや食事も口に運んでやり、一日二回、コップと歯ブラシ、洗面器を持ってきて、ごしごし、ごしごしと、いやがる妻の歯を磨く。
 もちろん車椅子を押してベッドに戻り、支えて立ち上がらせ、寝かせるのも新平だった。
「いいね、お父さんがやさしくて。お母さん、私、ここのお父さん、タイプだわ」
 いつも出入りするホームヘルパーの大石さんが、ことあるごとに口にするから、
「そんなお世辞言われても、あげられるもん、なんもないよ!」 
 女性と話すのが大好きな新平は、陽気に答えるのだった。
 その楽しく、ほがらかな空気は、きっと英子にも幸せなものに感じられるのだろう。かつては新平の浮気をしつこく疑い、あんなに嫉妬ぶかかった英子がにこにこと笑い、ちょっと聞き取りづらい発音ながら、
「……あげる」
 と大石さんに言ったことがある。
「なに? お母さん」
「あげる」
 と、英子が笑いながら指差しているのが、夫である自分のことだとわかって、新平は、かっ、と笑った。
「いるもんか、こんなじいさん。なあ、大石さん」
「はい」
 四十代のさっぱりした、スマートな女性に言われ、新平は、もう一度、かっ、と笑った。