徳川三代将軍・家光の乳母として自らの才覚で権勢を欲しいままにした春日局は、「悪女」として後世に名を残している。だが、そんな春日局が本当に目指した世の中とは。彼女が抱えていた思いとは。

 

 「小説推理」2026年12月号に掲載されたライター・大矢博子さんのレビューで『曜変の女』の読みどころをご紹介します。

 

曜変の女

 

■『曜変の女』佐藤雫 /大矢博子 [評]

 

 三代将軍徳川家光の乳母で、後の江戸城大奥の礎を作り、松平信綱・柳生宗矩と共に家光を支えた「鼎かなえの脚」の一人に数えられた春日局こと稲葉(斎藤)福。女性の生き方が極めて限られていた江戸時代初期にあって、謀反人の娘だった福が従三位の位階と春日局の名号を朝廷から下賜されたというのは、他にまったく例を見ないことだった。

 

 福の何がそれを可能にしたのか──佐藤雫『曜変の女』は、幼い家光の傅役・青山忠俊、二代将軍秀忠、福の息子で家光の側近となった稲葉正勝、そして家光の視点を通して福の生涯と、彼ら自身の思いに迫った歴史小説だ。

 

 弟の忠長を溺愛する御台所・江との確執や家康への直訴、家光の疱瘡平癒を祈願しての薬断ちなど、巷間伝わる福の挿話はそのまま取り入れられている。だが興味深いのは、その行動の裏に福の「謀反を起こす」という思いがあったという設定だ。将軍家に対してではない。良縁を得て誰かの妻となり子を育てるのが女の「まっとうな生き方」であるという世の常識に対して謀反を起こす、というのである。

 

 これは上手い。著者は語り手の周囲に幾人かの女性を配し、自らの幸せを自分で摑み取るとはどういうことかというテーマを相対的に描いていく。

 

 だが本書の真骨頂はその先だ。世の常識を覆すというのは極めて孤独な戦いだ。周囲には理解されない。そのせいで実の息子の心は傷つけられる。そんな犠牲に目を瞑り、信念のために進む福。その戦いが、体が弱く頼りない将軍・家光と重なったとき、これがやりたかったのかと膝を打った。家光もまた、将軍かくあるべしという世の常識に反旗を翻さざるをえない、孤独な戦いを強いられる立場なのだ。

 

 特に家光が語り手の最終話は圧巻。血だらけでも進むしかない荒野が、家光と福を取り巻いているかのようだ。彼女たちの戦いをじっくり味わっていただきたい。新たな春日局・家光小説の誕生である。