序

 

 私は、立ち尽くしていた。

 春日局かすがのつぼねの枕元には、蘇す芳おう色いろの飾り紐で固く封印された桐箱が置かれている。

 病臥する春日局の顔は土気色になり、瞼まぶたも力なく閉じられ、ふくよかだった体は痩せ衰えていた。けれど、病やまいに侵おかされて変わり果てた姿よりも、開けられた形跡のない箱の方に、私は言葉を失った。

――曜変天目茶碗ようへんてんもくちやわん――

 箱の中身は、徳川とくがわ幕府三代将軍家光いえみつが、乳母うばの春日局に贈った、大陸渡来の最上級の名器。青と銀に輝く釉うわぐすりの斑紋は、天の星々を思わせる美しさだという。

 春日局に薬を飲ませるために、この希少な曜変天目茶碗は贈られた。

 それなのに、一度も使っていないのだ。

 この女は、病を治したいという気がない。生きたいという思いがすでにないのか。

 薬くすり絶だち、つまり全ての治療を拒むという意志の根幹にあるのは、自ら死を選ぶということだ。

 春日局は、かの徳川家康いえやすにも臆することなく物申すほどの図ず太ぶとさを持ち、家光の生母である江ごうとの確執にも折れず、家光を三代将軍に立たせた後には、息子の稲いな葉ば正勝まさかつを栄達させ、江戸城北の丸と神かん田だに広大な屋敷まで手に入れた。やがて、将軍の妻女の居所である江戸城大奥の総取締そうとりしまりとなった彼女は、幕閣たちをも黙らせるほどだった。まさに、この世の権勢をほしいままにした女。

 そう思う者は、少なくないだろう。

 その女が、なぜ、自ら死を選ぶのか。

 私は傍らに座すと、春日局の手を握った。

 私の知っている春日局は、いや、福ふくという名の女子おなごは……。

 

 

一

 

 江戸城本丸表御殿において、忠俊ただとしは、徳川家康から直々に告げられた。

「青山あおやま忠俊、そなたを竹たけ千代ちよの傅役もりやくに任ずる」

 忠俊は平伏したまま「ありがたきお役目にございます」と答えた。

 竹千代は、家康の孫だ。家康の息子である徳川秀忠ひでただが二代将軍である今、その秀忠の嫡男である竹千代の傅役になる、ということは、徳川将軍後嗣こうしの養育を任まかされるということ。三十八歳になる忠俊にとって、いや、徳川譜代の家臣である青山家にとって、これ以上の名誉はないだろう。

 大役にわずかばかり声が震えたのは、武者震いだろうか。

「そう硬くなるな。面おもてを上げよ」

 鷹揚おうような声に促うながされ、忠俊は顔を上げた。

 ふくよかな頬をした白髪まじりの家康が、忠俊をじっと見ていた。その丸い目は、決して鋭するどくはない。それなのに、見つめられると動きを制される、強いまなざしだった。

(さすがは、天下を治められた御仁ごじん)

 忠俊の背筋は、おのずと伸びる。

 天下分け目の関せきヶが原はらの戦いくさにおいて、大勝利を収めた徳川家康は、諸大名を臣従させ、征夷せいい大将軍たいしようぐんとなってこの江戸の地に幕府を開いた。そして、息子の徳川秀忠を二代将軍として、代々徳川家が将軍職を継承していくことを世に示すと、二度にわたる大坂おおさかの陣において、豊臣とよとみ秀吉ひでよしの遺した子、秀頼ひでよりと、その母である茶々ちやちやを自害に追いやった。これによって、戦国乱世に栄華の階きざはしを駆け上った豊臣家は滅亡し、天下は名実ともに徳川家のものとなった。

 その豊臣家を滅亡させた大坂の陣から凱旋するなり、青山忠俊は、こうして家康と秀忠の御前に呼び出されたのだ。

「精悍せいかんな顔つきであるな」

 家康が満足そうに忠俊の顔を見やり、忠俊は一礼した。

「畏おそれ多いお言葉にございます」

「竹千代は、来年には十三歳を迎える。元服の儀に向けて、忠俊のような気骨ある忠臣に傅役を任せたい。そうであるな、秀忠」

 家康の隣に座した秀忠が、口元に微笑を浮かべてそれに答える。

「仰おおせの通りに」

(こういうところが、秀忠様のよろしくないところだな)

 そんなことを思ってしまう。微笑を浮かべて従順に受け入れるのは、武家の嫡男として求められる姿ではない。忠俊の一つ年下、三十七歳のはずなのだが、その年齢よりもずっと若く見えてしまうのは、この優柔ゆうじゆうな姿勢ゆえか。

 率直に言って、見目みめは悪くない。くっきりとした目鼻立ちは、家康の若い頃はこうだったのだろうかと想像をかきたてる。だが、自分というものがまるでない。これまで政まつりごとの場でも戦の場でも、家康や重臣の言いなりだった。

 ゆえに、こうして秀忠が二代将軍となった後も、家臣たちは家康を大おお御所ごしよ様と敬うやまい、家康の言葉を第一義にしてしまうのだ。

 家康は、鷹揚な口調のまま言った。

「忠俊、竹千代に乳母がいることは知っているな」

 忠俊は「は」と答えた。

 福、という名の女が、竹千代出生の乳付ちつけの頃から仕えていた。

 その姿は、忠俊自身、幾度も目にしている。なぜなら、竹千代がいる場には必ず福の姿があるからだ。十二歳の竹千代に添う姿は、乳母というより影といった方がいい。

「竹千代様が、たいそう信頼なさっている乳母と存じております」

 忠俊は、そつなく言った。ここで家康を相手に、福が竹千代に侍はべっている姿への苦言を述べたところで、吉と出るか凶と出るかわからない。福は家康自らが選んだ乳母なのだと、もっぱらの噂うわさだ。

 福の夫は、稲葉正成まさなり。関ヶ原の戦において家康が大勝利を収めるに貢献した、小早川こばやかわ秀秋ひであきの家老だった。この男が小早川秀秋に家康側へ寝返るように勧めなければ、徳川の勝利はなかった。つまり、家康は徳川家にとって恩義ある男の正妻を、竹千代の乳母に任じたということだ。

 家康は、言った。

「竹千代は生まれつき体が弱いこともあって、いまだに福が案じて離れぬのでな」

 ほとほと困っている、という言葉までは口にしなかったが、そう言いたいのではなかろうか。家康の表情を窺うかがい見る忠俊に、家康は目だけで頷くと言った。

「竹千代を強く逞たくましい将軍後嗣に鍛きたえ上げてほしい。乳母の福とともに、傅役として尽力せよ」

 家康の言葉に、忠俊は「は」と低頭する。

(ということは……私の役目は、福とうまく付き合わねばつとまらぬということか)

 忠俊の中で、傅役に任じられた瞬間に感じた武者震いの感動が消沈していくとともに、これは大変な役を仰せつかったやもしれぬ、という事実がのしかかってくる。

「そうであるな、秀忠」

 家康に振られても、秀忠は口元に微笑を浮かべて「仰せの通りに」と答えるのみ。

 家康は、一つ息をつくと言った。

「その乳母、実は斎藤利三さいとうとしみつの娘だ」

「斎藤利三、にございますか?」

 思わず聞き返してしまう。

(それは、謀反人むほんにんの娘ということではないか)

 戦国の覇者はしやである織田おだ信長のぶながを、本能寺ほんのうじで弑し逆ぎゃくした明智あけち光秀みつひでの家臣、と言えば、福が謀反人の娘と後ろ指をさされる理由は誰もが察する。しかし、いわゆる本能寺の変が起きたのは、忠俊が数え五歳の幼おさな子ごだった頃のこと。徳川家康が天下を治め、豊臣家も滅亡した今となっては、織田信長を誅したことなど遥はるか過去の話。

 とはいえ、問いかけてしまう。

「畏れ多いことながら、家康様はそのことをご存じで、召されたのでございますか」

 家康は「むろん」と頷いて言った。

「福の出自は知った上で乳母に登用した。だが、江は福を快くは思っていないようでな」

 江、の名が出て、忠俊は「それはそうだろう」と言いそうになるのを飲み込む。

 秀忠の正妻であり竹千代の生母である江が、福を厭いとうていることは、この江戸城において知らぬ者はおるまい。江と福が場を同じくするたびに、ぎすぎすとした雰囲気が漂い、周囲の者たちは気をもむのだ。

(福は、斎藤利三の娘だったのか)

 江の伯父おじは、織田信長だ。

 自分の伯父を謀殺した者の娘が、竹千代の乳母となり、いつまでもそばを離れない。江が福に好感を持つはずもなかろう。

「まあ、うまくやってくれ」

 家康がそう言うと、秀忠の口元に浮かんでいた笑みが苦笑に変わった。その一瞬を、忠俊は見逃さなかった。

 先ほど感じた武者震いの感動は、完全に消え失せていた。

 

 

『曜変の女』は全2回で連日公開予定