スタンド・バイ・ゴースト
遊園地と幽霊のとりあわせは、ぼくが思うよりも世の中にはあるらしい。ニッシーは古い雑誌の記事のデータをメンションしてきた。
「なんでも」と、彼はどこか得意げにぼくに言った。「Q遊園地のジェットコースターには、恋人に振られて自殺した女性の霊が出るらしい」
周りには、大勢のお客さんが歩いている。うららかな春の陽気に、ざわざわとした話し声が遠くに響いている。そんな中、ぼくらは、通路のどまん中に、でん、と車座で座りながらしゃべっている。
「幽霊もジェットコースターに乗るの? 安全バーを下げて?」
サリーの言葉に、ニッシーはムッとした顔をするが、「いつでもってわけではなくて、ほら、ジェットコースターって、二人掛けが並んでるだろ? そこに一人で乗ると、誰も隣にいないはずなのに、女性の悲鳴が聞こえてくるらしい……」
「幽霊なのに高いところが苦手?」
「うるさいな」
ニッシーは怒りマークの絵文字をボールに見立てたホログラムをサリーに投げつける。サリーはそれをテニスラケットで打ち返す。それをぼくは胸で受け止めてからトラップすると、ボールはいつのまにか、この遊園地のかつてのマスコットキャラクターの擬人化されたイルカの生首になる。
「うわ、またバグってる」
ぼくが、そのイルカの顔をぎゅっと手で握りつぶすと、パチン、という音が、火花のアニメーションとともに指向性スピーカーから耳に届く。クロスモーダル効果で、手のひらには実際に弾けたような手応えが感じられる。
「しゃーないって」と、ニッシーは笑う。「オレたちが勝手に使わせてもらってんだから」
「泥棒ね」
「なに泥棒かな?」と、ぼくが訊くと、
「青春泥棒」
真面目な顔でニッシーが言い、サリーは「バカみたい」と呆れたような声を出す。ぼくが、あはは、と笑い声を立てた途端に、じじっという摩擦音がして、お客さんの画像は乱れて消えた。あたりはシンとする。青空は気持ちいいけれど、はびこっている蔦と朽ちたアトラクションに囲まれるのは、あまり心地よいものでもない。
「今日の充電終了だな」
ニッシーは、錆びついた柵をぽん、と一回叩いた。「次はミチオの番だぜ」
えーっと、ぼくは声を上げたが、もう少しみんなとしゃべりたかったから、やれやれ、と立ち上がる。フライングバイク、というものがある。中央の鉄塔からにょきにょきとアームがいくつも伸びていて、そのまた先に、子供だましの飛行機が載っていて、それが上下しながらぐるぐると回る、というアトラクションだ。飛行機といっても様々で、プロペラもあればジェット機もある。どうしてか、その飛行機には自転車のようなペダルがついていて、とっても小さいころに、一度ここを訪れたとき、ぼくは脚が届かなくって父親に泣きついた記憶がある。そんな僕も十三歳になり、赤い翼の飛行機に乗っても、しっかりペダルに届く。そのまま、一気に漕ぐ。そこからつながれた発電機がぐおんぐおんぐおん、と作動して、ホログラム装置が起動し、やがてまた、お客さんたちが歩き出す。
「もっと漕げ漕げ」
サリーがはやし立てるように言う。ぼくは汗をかきながら、その、幻のお客さんたちを見る。子どもも大人も、にこやかに笑いながら、この遊園地を楽しんでいる。まさに、幽霊だ。幽霊たちが、そこにいる。
「あ」
サリーが短く声を上げた。「またいた」
ぼくたちも、彼女の視線の先へ目をやる。そこにも幽霊がいる。でも、その幽霊は走っている。他のお客さんはゆったりとおしゃべりをしながら歩いている中、彼だけは、まっすぐ前を見て、肘をしっかり曲げて、走っている。
「ほら、そろそろ消える」
ニッシーが言ったとたん、彼の姿はするりと消える。そこがホログラム装置の照射限界なのだから当然なのだけれど、その消え方は唐突で、まるで、本物の幽霊みたいだな、とぼくは思う。
この廃遊園地を見つけたのはニッシーだ。でも、ホログラムのことを言い出したのはサリーだ。だけど結局のところ、ぼくがいちばん、楽しみにしていたのかもしれない。
「誰も使ってない遊園地を、オレたちの遊園地にする。ワクワクするだろう?」
教室の隅っこで、ニッシーはぼくの肩を組みながら、ひそひそと言った。ぼくたちは小さいときからずうっとおんなじ学校で、そのぼくたちの友情史の中で、何度も秘密基地は創造された。川原に、廃屋に、雑木林に。でも、そのどれもが、風雨であっけなく壊れ、管理人に怒鳴られ、正体不明の虫の猛攻に撤退を余儀なくされ、長続きしたものはなかった。
「今回は行けるよ」
と、ニッシーは自信をこめてうなずいた。遊園地は、町の外れ、というほどでもない。集客のアテが外れた大型複合施設の端っこに、まるで、盲腸みたいにくっついている。盲腸、というのは、無駄なことのたとえだ、と父親は言った。きっと彼は、それが税金で補助を受けた施設であり、そこがあえなく撤退されたことに関する無駄を言い当てたのだろうけど、ぼくは、ぼくの幼いころの記憶を照り返して見たときに、それをきっちり麻酔とメスでもって切り分ける気にはなれなかった。
最初は不良のたまり場だったみたいだったけど、彼らはどこかに行ってしまった。ニッシーいわく、町の「一斉掃討」作戦によるものだ、とずいぶんと疑わしい情報を口にしてきた。いずれにせよ、ニッシーの友達のお兄ちゃんの友達、という風が吹けば桶屋が的な人間もその中に含まれていたようで、「きっとオレたちみたいな人間への当てつけだ」と、彼は憤っていた。そして、めぐりめぐって、彼の元に、北側の通用門のロックを解除するキーが受け継がれた。何度聞いても、その「めぐりめぐって」は迷路のようで、ぼくには全貌を理解することはできない。でもそういうことって、きっと子ども時代には、誰もが多かれ少なかれ持っていたんじゃないかと思う。形があるにせよ、ないにせよ。
最初は、ぼくとニッシーの二人だけのはずだったのだけれど、学校からの帰り道、いつもと違う方角に歩いて行くぼくたちを、サリーが見咎めた。
「悪ガキども」と、サリーはいつもの生意気な調子でぼくらの背中を叩いた。「社会科見学にでも行くのか?」
ぼくたちは顔を見合わせため息をついた。こうしてサリーに見つかってしまっては、もう逃げることは叶わない。男同士の友情の秘密基地は諦め、ぼくたちはいつも通りの幼なじみ三人組として、その遊園地を目指すことになった。名前は、みどりヶ丘遊園地。のどかな響きだ。
みどりヶ丘遊園地は、その素朴な名前からも察せられるように、はるか昔の開園だったが、隣の大型施設に併設される形でリニューアルした。当時少しだけ流行っていたホログラム技術を使った集客を見込み、園内のあちこちに、案内板代わりのマスコットキャラクターのイルカが泳いでいて、口うるさくおすすめのアトラクションやイベントの日時をひっきりなしに呟いていた。父は「いつの時代もイルカはうるさい」と、その日のことを思い出しては、よくわからない感想を言っていた。腕につけるチケットが感応デバイス代わりになり、そのホログラムに触っているような感覚で遊べるのも、ウリだったようだ。でも、グラスが浸透してきてAR技術が発達した結果、装置がなければなにもできないホログラム技術は廃れていってしまい、それがこの遊園地の終わりでもあった。隣町に、同じような規模の、それでいて洗練された遊園地ができたことも大きい。で、その装置の成れの果てを、ぼくらが拝借しているというわけだ。
そのランナーの幽霊に初めて気づいたのはサリーだった。そこの園内のいくつかの空間投影機材は、環境保護法の規制強化で廃棄に多大な費用がかかることになってしまい、権利関係でもめにもめた末に、いくつかの機材はそのまま置き去りになっている。ニッシーは、常にはんだごてを持ち歩いているような技術屋で、家から使わなくなった銅線やら通信ケーブルやらを持ってきて、毎日コツコツ配線を作り直した。噴水があった広場で、今はからっぽのまるいレンガづくりがぽっかりと通路のまん中を塞いでいる。そのぽっかりの中心にホログラム装置はあり、ぼくとサリーは、彼の言われるがままに、保護カバーのネジを引っこ抜いたり、銅線同士をつなげたり、とにかく作業を続けた。そして最後に、あのフライングバイクの発電機をバッテリーに繋げたところで、ホログラム装置の再起動準備は整った。ぼくとニッシーは、点火式よろしく、カウントダウンを始め、スイッチを入れた瞬間に復活したホログラムに、文字通り抱き合って喜んだ。が、「なにこれ」というサリーの声で我に返った。映し出されたのはただの人混みの映像だったからだ。群衆が、にこやかに笑いながら行き来している。その多くが、家族連れやカップル、と言ったところだ。
「もっとおもしろいものが残ってると思ったんだがなあ」
そう言いながらも、ニッシーは道行くホログラムの人々ひとりひとりにハイタッチを試みている。サリーは目の前で、べろべろばあ、と舌を出していた。もちろん、彼らは無反応だ。隣にいる誰かと笑い合い、もしくは次の目的地を指さし、ぼくたちをすり抜けていく。文字通り。声はなく、静寂の中行き交う彼らの姿は、幽霊と呼ぶには、どこか幸せそうだ。
「よーするに、盛ってる、ってことじゃない?」と、サリーは言った。「あんまりガラガラだったら見栄えが悪いじゃん。だから、こうやってホログラムで満員御礼を演出した、とか」
そんなことまでするかぁ? とニッシーは言いつつ、「だとしても、けっこうセコいやり方だ」と、ニッシーはぼくらの体を透過していく二人連れを抱えるような仕草をした。もちろん、彼らはすり抜けていくだけだし、ぼくらに気づくこともない。
「ゼロの状態から人間らしい動きを作り込むには、膨大な演算処理と予算が必要になる。あのやかましいイルカを動かすだけでも、かなりのコストを費やしたはずだ。だから、この遊園地はズルをしたんだよ」
「ズルって?」
ぼくが訊き返すと、ニッシーはにやりとした。「ネットの海に漂っている、パブリックドメインの古い記録映像をかき集めてきたのさ」
ほら、と、ニッシーは、噴水に近づく。そこには、スーツを着た紳士風の男が縁に座ってタバコを吸っている。紙のタバコだ。
「懐かしいだろ」と、ニッシーは、男の口元のタバコをつまむまねをした。「今時、公共の場所でこんなことしたら通報ものだ。というか、紙のタバコを手に入れること自体、けっこう難しい」
「つまり、昔の映像ってこと?」
「おそらく」
サリーの言葉にニッシーはうなずく。「さすがに画質が粗くてわかんねえけど、二〇〇〇年代ぐらいじゃねえのかな。というか、いろんな年代が混じりに混じっているように見える」
ぼくらはもう一度、噴水前の通りを行き交う人々を眺めた。ぱっと見はよくわからないが、たしかに、服装や髪型なんか、あまり統一性がない感じもする。
「つまりこいつらは、ゼロから作られたオリジナルではなくって、過去の人間のコピーということだ」
ふうん、とぼくはあいづちを打ち、それから、その「コピー」の人間たちの顔を、ひとつひとつ眺める。それは幸福そうな日本人たちであり、たぶん、ぼくたちのような人間の顔は、どこにもないのだろう。サリーも同じようにして、通路に仁王立ちして眺めていたが、つと、なにあれ、とぼくたちを呼んだ。振り向くと、彼女の指さす方向に、走る人がいた。彼は、そのときも、まっすぐ前を見て、噴水の横の通路を、脇目も振らず、しかし一定のペースで駆け抜けていた。サリーは人差し指を掲げたままだったから、ちょうど彼の首元に、その指が突き刺さるような形で、彼は彼女を走り抜けた。
「誰?」
サリーが振り向いてすぐに、そのランナーは消えた。そう、それは明らかに、ランナーだった。古くさいスポーツウェアのようなものを着て、リズムのよいストロークに、聞こえはしないがおそらく一定の息づかい。
「これも、誰かの『コピー』?」
サリーは、誰にというわけでもなく訊ねる。それとも、と彼女は続け、それから、失言でもしたかのように口をつぐんだ。幽霊。たぶん、彼女はそう続けたかったのだ。たしかに、とぼくもうなずいた。幽霊と幽霊でないものを隔てるなにかが、そのランナーにはあったからだ。
とはいえ、ぼくたちにとって、遊園地のもつ記憶の理由よりも、ここをいかに秘密基地としてエンタメ化するか、の方が大事だったから、そのランナーのことは一旦忘れることにした。「念のため」ニッシーが持参したデータを装置にインストールして、テニスやサッカーといったアクティブなゲームを実行できるようにした。感応バンドを身につければ、けっこう遊べるので、しばらくぼくたちはそれで楽しんだ。ランナーはそれきり現れなかったから、ぼくたちも楽しんでいるうちに彼のことを忘れてしまった。
だけど、だんだんぼくたちは、そうやって遊ぶよりも、だらだらおしゃべりするようになってきた。ホログラム装置は起動させつつ、地べたに座って、他愛もないことを話す。思い返せば、本当に他愛もないことだった。駅前の商店街でいちばんうまいコロッケはどれかとか、不気味な団地の噂とか、この前見たゴキブリが手のひらぐらいあったとか。基本的にサリーは呆れ顔のままぼくたちの話を聞いていたけれども、「この中で誰の足が一番速いか」には、全速力で走ってぶっちぎりの一等になった。結局、ぼくは、居場所がほしかっただけなんだ、と、今ならわかる。そして、三人で過ごす場所なら、それはどこだろうと、最高の場所になったのだ。
おしゃべりをし始めると、あのランナーはまた姿を見せるようになった。ぼくたちは、ぐだぐだしゃべりながら、彼が駆け抜けていく様子を眺め、またおしゃべりに戻る、という日々を繰り返した。
「あの人もぼくたちの仲間に入りたいのかな」
ある日ぼくが言うと、「ミチオは平和な少年だなあ」と、サリーは笑った。
「オレたちが勝手に入れたデータがあると競合して、たぶんあのランナーは現れないんだろう」ニッシーはそう分析した。「このお客の映像と同じディレクトリに入ってるっぽいから、オリジナルと連動してるのかもしれない」
ランナーは、装置の照射領域ギリギリから現れ、またギリギリに去っていく。だいぶ劣化しているのもあり、ホログラムの画質はガビガビ、男性であるのはわかるけど、その顔の細部まではわからない。日本人のような顔つきだが、それもなんともいえない。色はついていない白黒で、古さも感じるが、年齢もよくわからない。また、その出現の仕方は周期的なようだった。試しに測ってみると、三分ほどでまた彼はぼくたちの待つ場所に現れた。次もまた、三分。
「ジョギングでもしてるのかな?」
噴水のある通路は緩やかに曲がっていて、ランナーはそれに沿って現れ消えていく。その通路はぐるりと遊園地を囲んでいるので、「もしかしたらここを一周してるのかもな」と、ニッシーは言った。
「たとえば、健康志向のお客に向けて作ったとか」
サリーは言った。「遊園地で体脂肪を燃やそう!キャンペーン」
「もしあったなら、大失敗だ」ニッシーは、群衆のホログラムを指さした。「こんな混雑の中、走れるわけがない」
「混雑してなかったからできたんじゃないの?」
サリーは反論する。「ガラガラ閑古鳥を逆手にとった作戦」
などと掛け合っていた二人だけど、いつのまにやら言葉の応酬が重なりに重なり、険悪な雰囲気になってきて、「ミチオ、どう思う?」とくるりと振り向いて訊いてきた。にこにこ聞いていたぼくが「仲がいいなあと思うよ」と答えると、「誰が」とニッシーはそっぽを向き、「こんなやつと」と、サリーは威勢のいい舌打ちをした。いつもの調子なので、ぼくは気にしない。そんな風に話しているうちに、またランナーがやってくる。
「でも」
ぼくは手元のデバイスを見て、目の前を通り過ぎていくランナーのラップタイムを確認した。三分四秒。どうした、というニッシーの質問に、「あまりにも速すぎない?」とぼくは訊き返す。
「この遊園地の外周はだいたい一キロ。もし、ニッシーの言うように、ぐるりとこの幽霊のランナーが走っているとしたら、三分で一キロ、時速にしたら二十キロ。ママチャリで立ち漕ぎするぐらいの、かなりの速度だ。さすがに、運動不足解消にしちゃ、過酷すぎる」
サリーは消えたランナーの行く末を追うように、視線を遠くに向け、「マジ?」と呟いた。ぼくは、彼女の横顔を見て、あ、と口を開ける。もしかすると、彼女の負けん気に、火をつけてしまったかもしれない。そしてそれは、正しかった。とても。
信じられない、とサリーはまず言った。珍しく、ニッシーも「そうだな」と同意した。
「こんなの、ただの映像の切り抜き、ただのデータだ。それっぽい3Dモーションを組み合わせればオレにだって作れる。金と時間さえくれれば」彼は言った。「よしんば本物のアーカイブの映像だとしても、再生速度なんていくらでも自由に変えられる。それに、本当に一キロを三分で走っているかもわからない。百メートルの短距離走のものをつなぎ合わせているだけかもしれない」
「だけど、走り方は、短距離とは違う」
サリーは、また走ってきたランナーをにらみつけながら言った。「腕の振りとか、ストロークとか、もっと長い距離を走る走り方に見える」
「おいおい、お前はどっち派なんだよ」
と、ニッシーが浮かべた薄い笑みを吹き飛ばすように、「確かめてみる」と、サリーは、通りの端に立った。ちょうど、ランナーが出現する場所だ。
「確かめる?」ぼくは思わず声が高くなった。「一キロ三分って、けっこうな速さだよ。全国大会とかに出るくらいの選手ならまだしも」
「あたしだって狙ってる」
噛みつくようにサリーは言い、もうスタートの姿勢をとっている。こうなったら、テコでも動かないことを、ぼくとニッシーは知っているので、黙って、またあのランナーが出てくるのを待つ。
「カウント!」
サリーが叫んだので、ぼくは、つけっぱなしにしていたデバイスのストップウォッチを慌てて見た。「一〇・九・八……」と、出現予測の時間まで秒を刻む。
「出た!」
僕が「五」と言ったぐらいで、あのランナーがふっと出現した。サリーはぼくを見て「遅い!」と叫んだが、そのまま走り出す。ホログラム装置が照射する範囲はおよそ百メートルぐらい。サリーは、ぴたっと、幽霊のランナーに張り付くようにして走る。ぼくから見たら、相当な速さだ。ホログラムのランナーは質感がないのでわからなかったが、サリーの様子を見ていると、それはかなり力強く見える。
照射限界を超えると、ランナーの姿は消えたが、サリーは構わず同じペースのまま走り続けた。コーヒーカップのアトラクションの向こうに、彼女の姿は消えていく。ぼくとニッシーは顔を見合わせ、ため息をつく。結果はわかっているからだ。
「ザリガニ」と、ニッシーは呟いた。ぼくは噴水の縁に、どっこいしょと腰を下ろす。「覚えてるか?」
「覚えてるよ」ぼくはうなずいた。「散々だった」
小学校の低学年ぐらいだった。ザリガニ釣りをしにぼくたちは川に行った。楽しく釣りを途中まではしていたのだけれど、だんだんと大きさ比べになっていった。最初に煽ったのはニッシーだったけど、いつまでもムキになっていたのはサリーで、「もう一回!」という号令のもと、結局、彼女が一番大きいというザリガニを釣るまで、ぼくたちは家に帰ることができなかった。ぼくたちは、協力して大きな石を持ち上げ、見つければ追い込み、ときどきハサミに噛まれた。ようやく帰れたころには、日もとっぷりと暮れ、みんなで怒られたものだ。
「サリーも大人になったと思うよ」
ぼくは言った。「だといいな」と、ニッシーも言った。
結局、サリーは三分四十秒ぐらいで戻ってきた。あの幽霊のランナーは、とっくにまた噴水前に出現をして、消えていた。彼女は肩で息をしながら、ぼくが差し出した水を一気に飲み干すと、「もう一回!」と叫んだ。ぼくとニッシーは、今度はお互いを見ないようにした。