なぜかしら、頭がいろいろな気持ちでいっぱい。何が何だかはっきり分からない。

 ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』の中でアリスが言う。「ジャバウォックの詩」を読んだ後に、そう感想を洩らすのだ。詩は怪物ジャバウォックを倒す物語のことを描いているらしいが、内容は二の次、ルイス・キャロルが造った言葉を用いた言葉遊びが主目的なのだろう、もともと意味があるのかないのかもはっきりしない。混乱させるための詩のようなものだとするなら、アリスが洩らした、「頭がいろいろな気持ちでいっぱい」という感想は的を射ているとも言える。

 今の私は、まさにその、「ジャバウォックの詩を読んだアリス」と同じ状態だった。頭の中がいろいろな気持ちでいっぱい。焦りと恐怖、心配に怒り、思いや考えをまとめることができず、ひっくり返したスノードームの中身のように混乱している。その中で私は溺れている。溺れる子供のようだ。落ち着いて、落ち着いて。何があったのかを受けとめないと。理解しないと。落ち着かないと。

 今一番に考えなくてはいけないことは、一つだけ。どうしたら、しように害が及ばないか。そのことだけだ。

 夫は死んだ。死んでいる。先月、三十六歳になったが、今は死んで倒れている。

 そのことは間違いない。

 私が殺したのだ。

 ここは? 仙台市内の自宅マンションだ。一昨年、建ったばかりの分譲マンション、二十階建ての九階、エレベーターを降りてすぐの901号室3LDKで、今、私はその浴室前にいた。開いたドアから、倒れた夫の下半身が見えている。上半身は浴室にあるが、脱衣所兼洗面所のところまで足が少しはみ出している。

 彼の頭を金槌かな づちで殴りつけたのはここだったか。違う。キッチンだ。

 キッチンで死んだはずが、どうして浴室に?

 私が一人で運んできたじゃないか。

 翔が幼稚園から帰宅した時に、この夫の死体を目にさせてはいけない、息子にショックを与えたくないという一心で引き摺ってきた。はっきりした記憶はないが、おそらく、そうだ。

 死体はなかったことにできないのに。

 混乱している。たくさんの気持ちが舞っている。

 洗面所に置いた時計に目をやる。午前十一時半だった。幼稚園のお迎えは午後の三時半、通りを二つ曲がったところ、コインパーキング前にバスが来る。

 良かった、まだ時間はある。お迎えには間に合うだろう。すぐに頭を振る。それどころではない! 何をのんきなことを考えているのか。

 幼稚園の送迎バスに間に合うかどうかが問題ではない。

 夫が死んでいるのだ。私が殺害した。

 故意ではなかった。もちろんだ。自分を守るために、いつの間にか金槌で殴っていた。

 血は? 私は足元に目をやる。血痕はなかったんだっけ? いつ拭き取ったのか。ほとんど見当たらない。

 ああ、そうだった。発作的に振った金槌は、夫の顎のあたりを直撃した。夫はその場でひっくり返るように倒れ、ダイニングテーブルに頭をぶつけ、弾むようにし、床に転がった。頸骨けい こつが折れたのではないか。

 金槌で殴ったのは私だが、首の骨を折ったのはテーブルだ。そんな言い訳が通用するとは思えなかった。

 殺人の罪に対する罰は? 懲役何年? 私が加害者なのか。被害者ではなく? いずれこうなる運命だったのではないか。自分と翔を守るためには、遅かれ早かれ、そうするしか、彼に立ち向かうしかなかったのでは?

 

 

 母の顔が浮かんだ。山形に住む彼女は今年で七十歳になる。私が子供の頃から最大の理解者、相談相手だったが、今から思えば、夫の本性についても母は早い時点で気づいていたのかもしれない。

 結婚前、彼を紹介した時から母は、それとなく心配を口にした。

「彼には、お父さんに似た要素はないんでしょうね」と冗談めかしたり、「お父さんも結婚するまでは、ひたすら優しかったんだから。結婚したら急にあんなになっちゃって。私がいけなかったんじゃないかって自分を責めたんだよ」と噛み締めるように言ったりした。

 確かに父はひどかった。常に母に対しては権力者のように振る舞い、叱責しては母に謝らせ、酒を飲んでは物を投げ、壊した。もちろん私に対しても攻撃的だったから、母は私を庇い、そのことでまた怒られた。結果的に私も母もぼろぼろにされた。父にいつか天罰が下りますようにと願いながら大人になったが、十年前、私が二十五歳の時、酔っ払った父は冬の夜道でひっくり返り、後頭部を打ち付けて亡くなった。他人に迷惑をかけずに最期を迎えたことだけは感謝している。

 だから母が、私の交際相手に対し警戒心を抱くのも仕方がなかったのだろう。

 彼は父とは違う。私はそう反論した。彼がいかに優しいか母に説明した。二十代前半で両親を立て続けに病気で亡くし、身寄りと呼べる身寄りがいなくなったものの、アルバイトをしながら大学を卒業し、今は立派な企業に就職し、大変な仕事をこなしている、尊敬に値する人物なのだと、多少の誇張をまじえて力説した。「だから大丈夫だよ」

「そうだよね。心配性でごめん。ネガティブに考えすぎちゃって」母は言いつつも不安は解消されない顔をしていた。

 彼に結婚を申し込まれたことを報告した際、最初は、「良かったねえ」と喜んでくれたものの、彼の誕生日に婚約指輪を渡されたのだと話すと途端に表情を曇らせた。

「量子の誕生日なら分かるけれど、自分の誕生日に結婚を申し込むのって、少し違和感がある。自分中心なんじゃないかしら」

 私はさすがにムッとし、「私の誕生日を待っていたらだいぶ先になっちゃうし、記念になる日なんだから、問題ないよ。これで自己中心的と言われちゃったら、彼もつらいよ」と反論した。すると母も、「まあ、そうだよね」とうなずいた。

 今は素直に認められる。

 お母さん、ごめんなさい。言う通りだった。

 

「さよならジャバウォック」は全4回で連日公開予定