伊坂幸太郎さんによる最新作『さよならジャバウォック』が本日10月22日に発売されました。
2000年『オーデュボンの祈り』以降、数々の名作を生み出してきた伊坂さんが作家デビュー25周年に書き下ろしたのは、「夫殺し」から始まる長編ミステリー。「ジャバウォック」という言葉から連想させられるのは、『鏡の国のアリス』(ルイス・キャロル 著)。一体どんな物語なのか。また、どこからこの物語の着想を得たのか。お話を伺いました。
取材・文=編集部
とにかく「ミステリー」を書きたい
──最初から、「読者をびっくりさせるミステリーを書きたい」と考えていたとお聞きしました。
伊坂幸太郎(以下=伊坂):いちばん最初にあったのは、とにかく、「ミステリー」を書きたいという気持ちだったんですよね。僕は、明らかにミステリーとは呼べない小説も書きますけど、ミステリー作家としてデビューして、今までもずっとミステリーを書いてきているつもりではいるんです。ただ、どうも自分はミステリー作家だと思われていないぞ、という気がしてきて、あれ? 仲間に入れてもらえてないのかな、と不安に(笑)。
──伊坂さんの小説は、いわゆる「ミステリー」という形はしていないようにも感じます。
伊坂:もともと僕の若いころって、冒険小説もミステリーに分類されていましたし、エンターテインメント全般がミステリーだと思ってしまっているのかもしれません。島田荘司さんに憧れていたからか、枠組みにとらわれないミステリーが書きたくて。ホワットダニット、何が起きているのか、というミステリーのつもりなんですよね。そして、どこかではっとする驚き、反転があればミステリーなのでは、と当然のように思っていました。『夜の国のクーパー』も『火星に住むつもりかい?』『777 トリプルセブン』も僕からすれば渾身のミステリーなんですけど、世間的には「ミステリー」だと捉えられていない気がして、寂しくて。それならもう、ちゃんとミステリーと分かる形をしたものを書こう! と決心したんです。
──ええと……しかし『さよならジャバウォック』は、分かりやすいミステリーの形はしていないですよね(笑)?
伊坂:書けませんでした(笑)。
──担当編集者によると「100枚近く書いた原稿を一から書き直したこともあった」ということですが、それと関係していますか?
伊坂:最初は、ちゃんと名探偵とワトソン役が出てくるミステリーを書いていたんですよね。いわゆる吹雪の山荘みたいな形で、次々人が死んで、みたいな。新機軸の驚きも用意していたんですけど。
──読んでみたいです! が、断念されたと……。
伊坂:100枚くらいは書いたんですけど、これまで自分が読んだことのあるミステリーをなぞっているような感覚になってしまって。このまま書いていてもぜんぜんわくわくしないな、と悩みまして。担当編集者に相談したら、「原稿は面白いと思うけど、わくわくしないならやめたら?」と言ってもらえたので、じゃあやめよう! と。
僕の指標では、〈驚き〉がないとミステリーじゃない
──その後に「『夫殺し』から始まるミステリー」という切り口で再スタートしたのですか?
伊坂:名探偵ものを諦めた後、ホラー映画が好きなので、僕なりの「悪魔祓い」の話を一度書こうとしたんです。ただ、それもうまくいかなかったので、いっそのこと、いきなりクライマックス的な場面から書いて、自分を乗せたかったのかもしれないですね。段取りとかいらないから、主人公が「わーどうしよう」と頭を抱えている場面から始めたい、というか。あとは、矢樹純さんの小説や夫婦間のサスペンスみたいなものを好きで読んでいるので、その影響もあったかもしれません。
──女性の一人称視点、というのもめずらしいようにも感じます!
伊坂:基本的には、女性の一人称って苦手で、今どき男女で分けてはいけないのかもしれないですけど、やっぱり(男性である自分が)どこか「フリをしている」感覚はあるんですよね。分からないのに、知ったようなこと書いてすみません……みたいな気がしてしまう。でも今回は「子供を守るため」という話なので、母親視点のほうが作品には合うかもしれないと、父親としての自分の気持ちを反映させながら書いていました。
──導入は、幼稚園児の息子を育てている母親・量子による「夫殺し」でしたが、そこから、あんな結末になるなんて、全く予想できませんでした。
伊坂:やっぱり、自分が書けるものしか書けない、と言いますか。結局、僕っぽい小説になっちゃうんですよね(笑)。もともとやりたかった「悪魔祓い」の話も、ああいう形になりました。入り口からはまったく想像ができない出口に辿り着いているのが理想なんです。まさかこんな話になるとは、という感覚が好きです。
──何が、とは言えませんが……あの場面には、驚きました。
伊坂:僕の指標では、〈驚き〉がないとミステリーじゃないので(笑)。いつも読者が、はっとするポイントは用意したいと思っています。というよりも、それが思いつくまで書けないんですよね。今回の、そのポイントは昔からやりたかったものなんですけど、毎回、うまくいかなくて諦めていました。大きい意味では、海外の作品などで前例はありますし、僕が知らないだけでほかにも同じようなものはあるのかもしれませんが、何とか書けたのでほっとしています。
最初は深い意味はなかったんです
──北斎や斗真という、量子の「夫殺し」とは直接的な関係性が見えてこないパートも描かれましたが、彼らのいきいきとした活躍は印象的でした。
伊坂:これはもう後から付け足したんです(笑)。はじめは量子さんのパートだけで書いていたんですが、なんとなく説明ばっかりで、躍動感がない。どうしようかなと悩んだ末に、もう一つパートを作ることにしました。音楽が結構関係する話なので、ミュージシャンにしようと。リチャード・カーティスの映画『ラブ・アクチュアリー』の大御所ミュージシャンとマネージャーのエピソードが大好きなので、あのような関係性のお話にしようと思ったら、モチベーションがあがりました。
──『鏡の国のアリス』に出てくる「ジャバウォック」を引用することは最初から決めていたんですか?
伊坂:何かよくわからない怪物、みたいな気持ちで「ジャバウォック」という名前を使っただけで、最初は深い意味はなかったんです。「ジャバウォック」「ジャバウォッキー」って発声したくなる言葉なのか、いろんなフィクションで使われていますよね。記号的、普遍的かなと思いましたし、ジョン・レノンの謎の傑作「アイ・アム・ザ・ウォルラス」も『鏡の国のアリス』から着想を得て作られています。偶然ですけど、ちょうどいいな、と思ったりしました。
──とある人物が「ヒトとは何か」と思い悩むシーンが印象的でした。種としての「ヒト」について、伊坂さんが考え始めたきっかけがあったのでしょうか?
伊坂:これは今回に限ったことではなくて、本能とかホルモンとか、脳のこと、やっぱりそういうものがすべての根底にあると思っていて。小説のテーマや題材ではなく、日常的に気になっているんですよね。リチャード・ランガムの『善と悪のパラドックス』に、「ホモ・サピエンスは最も温厚で最も残忍な種」ということが書いてあって、本当にそうだよなぁと思いますし、今回はそれを引用しつつ、作中に盛り込みました。
小説を書くのは、わくわくしたいから。プラモデルを作っている人の感覚に近い
──「デビュー25周年、おめでとうございます! これからも、新作を楽しみにしています」と言われたとき、率直にどう思われますか?
伊坂:これは素朴に、嬉しいですよね。新作を楽しみにしているということは、これまで期待に応えてこられたんだな、と思えますし。それとも、「この間のはつまらなかったから、次は頼むよ」という意味なのかな(笑)。
──そんなことはないと思います(笑)。でも、プレッシャーにはならないですか。
伊坂:語弊があるかもしれませんが、小説を書くのは結局、自分がわくわくしたいからなんですよね。完成させるまでの間に、「読者がどう感じるかな」「こういうのは読者は退屈かな」と考えることはありますが、基本的には書きたいものを書いているだけで、プラモデルを作っている人の感覚に近いのかな、と時々思います。誰かに見てもらうことを想定はしていても、とにかく、組み立てて完成させている時が何より楽しい、という。小説が完成した後は、読者が楽しんでくれれば嬉しいなぁと思いますが、その時はもうできあがっているので(笑)、プレッシャーではないのかもしれません。お祈りするしかない、という。
──気が早いかもしれませんが、30周年を迎えるとき、今と変わらない日々を過ごしていると思いますか? それとも、何か変えていきたいと思っていることはありますか?
伊坂:もう何も想像できないですね。自分の健康状態も、社会情勢も、いったいどうなっちゃっているんだろう、と怖くなります。25年経っても、一応、小説を書けているんだから5年後もきっとそうだろうとは思いたいですけど!