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 夫は昨晩、外泊をした。珍しいことではない。仙台に来たばかりの頃は、外泊の際には、「仕事で」だとか「海外とのリモート会議が終わらなくて」と言い訳を口にしていた。それがだんだん、後ろめたさの反動なのかもしれないが、「ぐずる息子の相手をしたら翌日の仕事に支障をきたす」「おまえの疲れた顔を見るのがつらい」と私や翔に原因があるような言い方をしはじめ、ここ数年は、「帰ってくる日もあれば、帰ってこない日もある」とルール化されたかのように、連絡なく泊まってくる。

「おまえ、何を考えてんだよ。恐ろしいな。息子を殺す気か」

 昨晩、夫は私にそう言った。鬼の形相と呼ぶのが相応ふさわしい、恐ろしい顔つきだ。例によって連絡もなく外食をして帰宅し、私は心を無にして残った彼の分の夕飯をダストボックスに入れたところだった。

 彼は、翔が寝転がるリビングに敷いたシートを指差し、「今日のニュース観てないのか? これ、通販で買った海外製だろ。このメーカーの商品から、発がん性物質が見つかったと報道していただろ」と甲高い声を出した。

 何を言われているのか、すぐには理解できなかった。そのシートは安価なことで有名な、衣料品やレジャーグッズを販売するメーカーのサイトで買った。触り心地がいいのか、翔はそこで寝るのが好きで、そうしていると私も家事をするのが楽だったため、助かることが多かった。

 発がん性物質? どういうこと? そもそもが、別のメーカーの商品を買おうとした私に、「無駄遣いするな」と言って、そのサイトを教えてきたのは夫だった。

「こんなものを息子に使わせて、やばいぞ。子供ががんになってもいいなんて、どういう母親だよ」

 翔のことが心配で床に敷いてあったシートに飛びつくと、丸めて、ダストボックスに捨てた。そこから、発がん性のある物質が溢れ出てくる恐怖も感じた。

 夫は大きく溜め息を吐き、「子供を殺す気かよ」と言い捨てた。「恐ろしい母親だな」

 私は黙った。なぜなら「子供が癌」の響きが恐ろしく茫然としてしまったからなのだが、夫は、「だんまりかよ」と喚き、近くのソファを蹴飛ばした。

 一秒ごとに夫の興奮度が増していくかのようだった。聴き取れない言葉で喚く。わーわーと糾弾してくる夫の声は騒がしいだけで、頭にうまく届かない。

 数日前、翔が、「パパ、最近怖いよね」とぼそっと言っていたのを思い出した。いつもでしょ。そう思いながらも、「怖くないよ。仕事で疲れているのかも」と私は答えた。

 夫は携帯端末を操作した後で、当然のように支度を始めると家から出て行き、そして帰ってこなかった。

 昔はまだこれほどではなかったのに。

「息子を殺す気か」「恐ろしい母親」といった言葉が頭の中を覆っていく。脳のしわに黒いものが染みわたり、「心」は罪の意識と自己嫌悪でいっぱいだった。涙が溢れるのを拭う気にもなれず、「ママ、どうしたの」と言ってくる翔に、「アレルギーだよ。困っちゃうね」と嘘をつき、笑った。

 翔が眠った後も、タブレット端末で例のメーカーのニュース記事を調べずにはいられなかった。発がん性物質や子供への影響を検索しては、次々と読み、眠れなかった。

 夫は外泊をした日はそのまま会社に行くことが常だった。だから、朝の早い時間、翔を幼稚園のバスに送り出した後に玄関ドアの鍵ががちゃがちゃと鳴った時は、彼ではなく不審者が来たのかと思い、ぞっとした。鼓動が速くなり、その場に座り込みそうになった。

 入ってきたのが夫だと分かり、ほっとするところもあったが彼の恐ろしい顔つきを見て、それも吹き飛んだ。

 玄関が開いた途端、彼はずかずかと室内に突進してきた。え、え、と状況が呑み込めず、後ろに倒れそうになる。

 目は血走り、「大変だぞ、大変だ」と喚いている。興奮状態で、このような夫を見るのは初めてだった。

 勢いよくつかみかかってきた。靴を脱いだのも把握できないほど、あっという間のことで状況が理解できない。

 いったいどうしたの?

 直後、蹴り飛ばされていた。私は後ろに転がされる。叩く真似や物を投げられた経験はあったが、身体的に暴力を振るわれたのは初めてのことだった。

 痛みはなく、ただ、身体が揺れる衝撃に動揺した。

 発がん性物質のことで怒られているのかと思った。それくらいしか、理由が思い至らない。

 狼狽しつつも、ごめんなさい、ごめんなさい、と繰り返したが声が出ない。

 何度も蹴られる。

 これなら! と光が射すように頭のどこかに考えが浮かんだのは少ししてからだ。これなら、罪になるのではないか。暴力として世間にも訴えることができるのではないか。そう思った。

 何より恐ろしいのは、夫が妻を心理的に追いつめることは、それ自体が即、刑罰には結びつかないことだ。が、暴力は、分かりやすい犯罪だ。

「おまえはのんきでいいよな。俺がこんなに大変だっていうのに」

「こんなに大変って何のこと」やっとまともに発声できた。

 すると一瞬、夫は口をぎゅっと閉じた。それからすぐに、「会社で働いてるんだから大変に決まってるだろうが」と怒鳴った。「俺を馬鹿にしているのか」

「馬鹿になんて」するわけがない。むしろ、あなたが私を馬鹿にしているのだ。

「俺が働いている間に、あいつと仲良くやっているんじゃないのか? そうだろ」

 え?

 何を言われているのかまったく分からなかった。歌詞でも口にされているのかと思った。言葉の意味を把握した時には、両肩をつかまれ、床に倒された。かと思うともう一度持ち上げられ、床に落とされる。身体がぶつかり、皮膚に弾けるような痛みが走り、そこから波打つように全身が震えた。骨や内臓がばらばらになる感覚がある。

 あいつとは誰のことなのか。仲良く?

かつらとかいうやつだよ。おまえの知り合いなんだろ。あの身体の大きい男だよ」

 すぐ近くの床に何かが落ちる。彼の唾なのか、汗なのか。

 少しして何を疑われているのかが理解できた。

 ああ、量子さん、こんなところで。

 挨拶してくる桂凍朗こごろうの顔を思い出した。大学時代に知り合い、サークルにいた後輩だった。

「凍朗君のこと? 彼は大学の」

「何が凍朗君だよ。東京の大学の知り合いが、どうしてここで、仙台で会うんだよ。そんなことあると思ってんのか?」

 そう言われたところで、偶然なのだから仕方がなかった。

「さっき、ばったり会ったんだよ。おまえたち、裏で俺を馬鹿にしているんだな」

 彼と再会したのは二週間ほど前だった。もちろんただの偶然に過ぎず、その偶然自体には驚いたものの、私と彼の間に後ろ暗いものは、少なくとも世間に対しやましく感じるようなものは何一つなかった。

 

 

 私は大学時代、手品やジャグリングを行うマジックサークルで活動をしていた。桂凍朗はその一年後輩だったが、やってきた時から少し異質だった。アメリカンフットボール部にも顔を出していると言うだけあり、体格が良い。身長は違和感を覚えるほど高く、百九十センチメートル近くあった。口数は少なく、感情の起伏もあまりなかったから、「凍朗にはいつも審査されている気分になるな」と冗談めかして言ったメンバーもいたが、その気持ちは私にもよく分かった。高いところから私たちを見下ろし、じっと観察し、採点しているかのようだ。

 マジックに関しては初心者だったが、手間を厭わず、地道な練習を繰り返し、教えを乞うこともためらわず、気づけばサークル内でもっともパフォーマンスの上手い一人となった。

 私たちはよく、高齢者施設や大学近くの児童養護施設で公演をしたが、身体が大きく見栄えの良い桂凍朗が実演すると、迫力が増すからか、彼自身には愛想やトーク技術はないため私やほかのメンバーがその部分をサポートする必要はあるものの、明らかに盛り上がり方が違った。

「大成功だったんだから、もっと喜んでくれよ、凍朗」と誰かが言うと、「喜んでますよ」と彼は静かに答えた。

「そんな、つまらなそうに言われるとどっちが本当か分からないよ」私は言った。

「どっちが、ってどういうことですか?」

「言葉と表情。どっちが本心なのか」

「ああ、そうですよね。ヒトは嘘がつけますからね」桂凍朗はぼそっと言った。

「まるで自分はヒトではないような言い方だけれど」

「ヒトですよ。残念ながら」

 その言い方がいかにも彼らしく、私たちは笑ったものだった。以降も時折、ふざけて、「残念ながらヒトなので」と枕詞のように口にするのが、サークル内では流行った。

 はじめのうちは、どうしてこんなにサービス精神のない人間が、マジックサークルに入ってきたのかと私は疑問を抱いた。「あいつはただ、採点をするためにやってきたんだろう」と冗談めかして言う人もいた。

 が、一緒に活動するとその疑問が氷解した。

 私たちのいたマジックサークルは、先述の通り、自分たちで主催したショーをする一方、子供たちや高齢者のいる施設に出向き、公演することも多い。

 特に、大学と同じエリアにある児童養護施設には頻繁に訪れており、さながら旗艦劇場のように感じていたが、子供たちと触れ合う桂凍朗は、表情は乏しかったものの、明らかに嬉しそうだった。打ち上げの時に、「やっぱり子供は宝ですね」としみじみと口にし、周りをどよめかした。「子供は宝」とは使い古され誰も使わなくなったかのような常套句に思えたし、それが彼の口から出たことがむしろ新鮮だった。

「量子さん、シンプルに考えて、子孫が残らない動物は滅びますよ。宝に決まってるじゃないですか。しゆとしては一番大事なことです」桂凍朗はそう言っていた。「だから、僕はどの子供も大事にしたいですし、できるだけ平和に成長してほしいんですよ」

「はあ」あまりに、「正しい思い」をてらいなく口にするものだから、鼻白むよりも圧倒されたのは事実だ。

「ただ、ヒトが難しいのは、種と同じくらい個も重要に感じているからです」とも言ったが、意味はよく分からなかった。

 その桂凍朗とは、ある時からぱったりと会わなくなった。大学自体に姿を見せなくなったのだ。

 大学卒業後も私はサークルの会合に時折、顔を出したが、彼には会えなかった。

 いったい何があったのか、と私をはじめ皆が気にしていたものの耳に入るのはいずれも噂のようなものばかりだった。真相ははっきりせず、サークル関係者と顔を合わせれば、毎回のように、「桂凍朗はどこでどうしているのか」と話題に出たが、それだけだ。

 まさかその桂凍朗と、この東北地方、仙台で会うとは、しかも私の住むマンションと彼の居住地が近いとは想像もしていなかった。

 

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